そして、香西先輩の提案で筋トレの指導をしてもらうことになった。
 最初雛田先輩は嫌がったけど、香西先輩の穏やかなゴリ押しで渋々了承した。
 先輩たちは、先に隣の小部屋に置いていたジャージに(三年生は体育の授業なんてもうないのに)着替えると出ていった。
 けれどすぐに二人は「あっ!」と大きな声を上げた。嫌な予感がした。

「今日はジャージかよ……」

 その一言だけで何が起こったのか分かった。と同時に、わたしも頭を抱えた。

「わたしのトートバッグもない……」

 呆然とつぶやく。
 あれには、アロサカプロジェクトから送られてきた書類が入っている。
 悪寒が走った。

「誰がこんなことを……他にこの時間に、講堂で部活やるのを知ってる人って、いる?」

 香西先輩に訊かれ、ぞわっと身震いした。
 自然と『友達』の顔が浮かぶ。
 答えられないでいると、雛田先輩が言った。

「とりあえず、俺は校舎に戻る。今までのパターンだとたいてい教室に戻ってるからな」

 みんなして校庭を横切って校舎に戻る。
 時刻は夕方の五時前。先週よりも日が長くなって、夜の気配は遠い。

「焼却炉を見てくる」
「わ、わたしも」

 就也と香西先輩は教室に行くと言った。ふたりは別々の方向に走る。

「ったく、うっとうしい」

 うんざりとつぶやく雛田先輩に同意しようとした、ら。

(え……?)

 前を行く先輩の、まっすぐな背中に黒い影があった。
 輪郭のぼやけた、小さな黒丸の影。あれは――先週、先輩を追いかけた時に目にしたモノだ。
 けれど『それ』は、先輩が校舎の裏庭に出るドアを開けた途端に、ふっと消えた。風に吹き飛ばされるように。
 先輩は以前と同じように焼却炉の中を検めたけど、影も形もない。

(もうやだ……)

 頭の中がゴチャついて、うまく考えがまとまらない。なくなったジャージとトートバッグ。黒丸の影。おかしなことだらけだ。

 と、その時。
 わたしの鼻先に何か白いモノがかすった。
 空中に浮遊するそれを、雛田先輩が一枚キャッチする。

「何だこれ。……紙?」

 まるで雪のように頭上に落ちてくるのは、紙片だった。
 大きめに破られた紙が北風に舞う。
 一枚拾うと、息を呑んだ。
 アロサカのロゴが印刷されていた。
 これは……顔合わせの概要が書かれたプリントだ!

(なんで!?)

 校舎を仰ぐと、三階の窓が開いている。三階は一年生の教室だ。
 誰かが頭を引っ込めるのが見えた。

「おい!?」

 わたしは弾かれたように走り出した。校舎の中に入り、階段を駆け上がり、三階のわたしたちの教室に向かう。
 そこには、……。

「なり……み……」

 口の中が一瞬で乾いた。
 頭がガンガンと痛む。
 急に走ったせいか呼吸がうまくできない。

「羽鶴……?」

 成実が振り返った。
 その足元にはわたしのトートバッグ。アロサカプロジェクトからの封筒から薄い設定資料集がはみ出ている。

「……なん、で?」

 声を出した途端、涙がボロッと出た。
 息がうまく吸えない吐けない。喘ぎながら、途切れがちにわたしは成実に問う。

「成実だったの……? やっぱり、成実だったの!?」

 わたしが叫ぶと同時に、就也が来た。

「成実の仕業、なのか……?」

 当の成実は後ずさりをし、わたしと就也を交互に見た。

「何のことよ……意味分かんないし」
「わた、わたしの靴とか盗んだの?」
「ハァ!? 知らないし!」
「じゃあそれは何……!?」
「知らない! 教室に来たらバッグとか紙とか散らばってて、あたし知らない!」

 嘘はやめて、と叫ぶ。

「なんでここまでできるの……? そんなにわたしが合格したのが許せないの!?」
「……は?」

 成実の声が低くなった。
 血が出そうなくらい唇を噛んで、わたしを睨みつける。

「許せるわけないでしょ……? アロサカのオーディションはね、あたしにとって最後のチャンスだったの!」
「チャンス……?」
「あたし声優になる夢、諦めなきゃなんないのよ!」