その日のレッスンを終えると志倉先生に講師室に呼び出された。

「まずはオーディション合格、おめでとう……浮かない顔ね?」

 見透かすような先生の瞳から逃れたくて、ついうつむきがちになる。
 実を言うと、成実のことで頭がいっぱいだった。
 きっと先に帰ってるだろう。でも、もしかしたら……そんな不安と期待で先生の話に集中しきれないでいた。

「――誰かにイヤミでも言われた?」

 ギクリとする。
 確かに休憩時間に、いろんな言葉をぶつけられた。お祝いに見せかけたイヤミがほとんどで、でもそんなのどうでもよかった。

「まあ、そういうものだと諦めることね」

 先生は、モロに他人事といった物言いだ。

「先生、いつもわたしに『声に個性が無い』って言ってますよね」
「『個性が無い』、よ。『声』とは一度も言ってない」

 どう違うって言うんだろう。

「なのになんで、わたしは受かったんですか……?」

 わたしは縋るような気持ちで問うた。先生の目がまるくなる。
 けれど先生は、すぐに真顔に戻って、

「分からない」

 一刀両断した。
 突き放されたのかと思ったら、「本当に分からない」と重ねられた。

「私も曲がりなりにもプロとして、二十年ほど業界にいるけれど、受かる理由なんて分からないものなのよ。隠れた才能を見出されたか、担当するキャラに奇跡的に合致していたのか。ただ縁は確実にあった。今はそれで充分なんじゃない?」

 先生は冷静に意見を述べる。結局何も分からない。

「自分が選ばれた理由よりも、小山内さん自身はどうなの」
「どう、って」

 思いがけない問いかけに、少し怯んだ。

「別にいいのよ。合格を辞退しても。それはアナタの自由で、権利だから」
「……」

 そんなこと考えたことなかった……先生の吊り目がちな瞳が、わたしをまっすぐ見つめる。

「ただ、あえて今、改めて訊くわね。――小山内さんは、どうして声優を志したの?」

 わたしはその質問に答えられなかった。


 講師室を後にして、トイレの個室に入る。どこか狭い場所でひとりになりたかった。

 ……声優を目指す人の志望動機といえば、『幼い頃、自分が観ていたアニメに憧れて』が圧倒的に多い。
 わたしだってそうだ。うちは両親ともにアニメ好きで、小さい頃から色んなアニメをおやつ感覚で摂取してきた。アニメの中の世界に入りたくてたまらなかった。
 養成所の入所試験の面接でも、そう自己PRした。

(『(さくら)もののふ』が好きだって語ったっけ)

 十年前、わたしが幼稚園児の頃に放送された女児向けアニメ。魔法少女と戦隊ものを掛け合わせて和風で彩った名作だ。
 尊敬する高遠さんのデビュー作でもある。
 当時、高遠さんは二十歳の若さで主役の『紅色』に抜擢された。

(よく声真似して遊んだな……)
 アニメが好きなら、誰でも一度は声優を夢見る。
 マイクの前に立ち、キャラクターに生命を吹き込む姿を妄想する。けれどほとんどは、成長するに従って夢想のままで終わる。

 わたしもそのつもりだった。

 ふいに記憶がよみがえった。
 中学一年生の時の教室の光景がまぶたの裏に浮かぶ。
 放課後、友達数人との雑談。
 机に広げたアニメ雑誌と漫画。友達の笑い声。作り笑いをしかけたわたし。あの頃、わたしと成実はまだ単なるクラスメイトで――

「――羽鶴が合格なんて、絶対におかしいよね」

 突然名前を出されて、内臓が竦み上がった。同じクラスのレッスン生の子だと、すぐに分かった。

「ハッキリ言って劣等生じゃん。いっつも積極性に欠けるって注意されてるし」
「声もフツーだし、顔も平凡だし」
「裏金でも使ったんじゃないの?」

 キャハハハ、と甲高い笑い声。
 聞きたくなくて、耳をふさごうとしたけど、

「ね、成実もそう思うよね?」

 成実もいるの?
 驚く前に、成実の声が届いた。

「……そうね」

 たった三文字の肯定に、冷水を被せられた気持ちになった。

(成実……)

 暗いトイレの個室で、わたしは手を噛んで声を殺した。嗚咽が外に漏れないように。