第2章 霙
第1節 ふゆ
1
拓海くんと暮らして、半年が経った。
梅雨だった季節も移り変わり、外はちらちらと雪が降る日もある。
わたし達の生活はなにも変わっていない。遅く起きて、一緒にご飯を食べて、色んな所に行って、一緒に寝る。
ただ強いて言うなら、わたしも拓海くんと一緒に仕事をするようになった。
拓海くんの過去を知ったあの日、わたしも仕事を手伝いたいと言った。
人を殺したかったとか、そういうことに興味があったとか、そういうわけではない。拓海くんの肩に乗っかっている重荷を、少しでも肩代わりしてあげたいと思った。
――わたしも"仕事"、しちゃだめですか?
――それは、どういう意味での仕事?
――拓海くんがやっている仕事、です。
拓海くんはわたしに罪を背負わせることに引け目を感じたのか、分かりやすく顔を曇らせた。
――いや、だめでしょ、璃恋は。
――いいですって。
拓海くん相手に、何度もこんな台詞を言ってきた気がする。何かを言われて、それに対してすぐにわたしが反論して。子供の喧嘩みたいで、なんだか微笑ましく思う。
――あーもう分かったよ。
――いいんですか?
――だめって言っても聞かないんでしょ?
――はい、聞かないです。
――なんだそれ。でも、一個だけ条件がある。
条件。何だろうと不思議に思っていると、拓海くんが口を開いた。
――もし、誰かになんでこんなことしたのって聞かれたら、ぜんぶ俺のせいにして。ぜんぶ。
拓海くんらしいお願いだと思った。
いざとなったら、ぜんぶ俺のせいにしていい。俺のことは、どうでもいいから。そう思っているんだろう。
でも拓海くん、わたしだって、もうどうでもいいんですよ。家を出たあの日から、もうぜんぶ投げ捨ててきたんです。いつ死んだっていい、なんなら死ねれば本望だからって、そう思って家を出てきたんです。そうでもなきゃ、今拓海くんと一緒にいないですよ。
そう言ったらきっと、拓海くんは怒る。もっと自分を大事にしろって。一番自分を大事にしていないのは、拓海くんなのに。自分よりも周りの人を優先して生きているんだ。
そんな優しさが切なくて、でも温かくて、拓海くんを抱きしめたくなった。
――うわっ、何、どうした。
ぎゅっと拓海くんに抱きつく。拓海くんは少し嫌そうな声を出したけれど、表情はとても明るかった。
わたしの頭に大きな手が触れる。
その手はどこまでも温かく、どこまでも私を包み込んでくれそうだった。
「璃恋?」
隣で銃を構えた拓海くんに呼ばれた。どうやら過去の記憶を辿ってぼんやりとしてしまっていたらしい。
「ごめんなさい、ぼーっとしてて」
「しっかりして、気抜いたら死ぬよ」
拓海くんが言うと全く笑えない。この業界はいつだって、死と隣り合わせだ。わたしは銃を握る手に力を込めた。
「……いた。行くよ」
拓海くんに続けて走り出す。吹いてくる風がわたしの肌を刺す。十二月ともなると夜は寒い。吐く息は白く、浮かんではすぐに消えてゆく。
拓海くんが一瞬振り返り、わたしを見てから角を曲がる。そういう瞬間的な仕草が嬉しくて、幸せな気持ちになって、頬がほころぶ。
道の先、拓海くんが手招きをしている。小走りで向かい、しゃがむよう合図をされた。
「先行くから、後から着いてきて。また合図するから」
わたしの返事を待たず、拓海くんは歩いて行く。颯爽と歩く後ろ姿が何よりもかっこよく視界に映った。
拓海くんが向かう先には、一歩でも間違えたら死が待っている。それなのに、どうして拓海くんは、あんなに堂々としているんだろう。
いつか聞いたことがあった。人を殺すことは怖くないのかと。常に死が潜んでいることに、恐怖を感じないのかと。
――なんとも思わないよ、俺は。もう狂っちゃってるからね。
自嘲気味に、拓海くんは笑った。その笑顔を見て、なんだかわたしが苦しくなった。
――それに、堂々としてないと逆に怪しまれるから。俺はお前らの見方だぞって感じで近寄ってかないと、それこそ死ぬよ。
そういうものなのだろうか。わたしはよく分からない。
ふと、銃を握る自分の手が震えていることに気づいた。怖いのだ。拓海くんと違って。死ぬことが、わたしは怖い。
善性とはかけ離れたこの行為に恐怖を感じていることに安心しつつ、同時にどうして怖がっているのだろうと自分自身への苛立ちが湧く。もしその恐怖に身がすくんで動けなくなったら、それこそ文字通りわたしはお荷物だ。拓海くんに迷惑をかけてしまう。
その恐怖をかき消すかのように、控え目な銃声が聞こえた。消音器で抑えているとはいえ、静寂に包まれる夜だと少しは音がする。
遠くにいる拓海くんと目が合った。拓海くんがこくんと小さく頷く。
――これが合図だ。
否応なしにそう思ったわたしは、銃を片手に駆け出した。敵の背後に回り、銃の引き金を引く。
反動で銃の重さが増す。片手ではその重さに耐えきれなくなり、両手でそれを抑えると、拓海くんの手からも弾丸が放たれた。
拓海くんが最初に放った弾丸も含めると、三発の銃弾を受けた男は動かなくなり、その場に倒れた。
「……終わり、ですか」
「だね。ありがと、璃恋」
わたしは肩で大きく息をしているのに、拓海くんはそんな様子全く見せていない。この見とれるほどに真っ赤な液体に肌を汚されることも、もうなんとも思っていないようだ。
地面に転がったそれを用意しておいた袋に入れ、近くにあったトラックの荷台に積んだ。拓海くん曰く、こうしろと指示が来ているらしい。
「毎回思うんですけど、これってどこに行くんですか?」
「俺も分かんない。取りあえずこうしろって言われてるからやってる」
拓海くんが私の方を向き、手を差し出す。わたしはその手を取って、握った。
「よし、帰るか」
十二月の夜は寒い。その寒さは暗すぎて深すぎて、わたしひとりで過ごすには耐えられなかっただろう。
でも、今は違う。
隣で、わたしの手を握ってくれる人がいる。
大きくて温かい手で私を包み込んでくれて、こっちだよと道を示してくれる人がいる。その人が隣にいてくれて、わたしの名前を呼んでくれる限りは、この寒さだって何だって凌げる気がする。
――もし、ひとりになったら?
寒さにも似たようなものが身体の中で渦巻く。体感的には全く寒くないのに、身体の中だけが冷やされているような感覚がする。
ひとりになってしまったらどうしよう。考えないようにしていても、時々この不安に襲われる。
昔から考えすぎてしまう性格だった。これでいいのかとか、わたしが今話して良いのかとか、すぐにそう思ってしまう。
自分の行動を振り返っては自分が嫌いになって、よく分からない感情で頭が埋め尽くされる。
目の前の幸せでいっぱいになれたら楽だった。拓海くんから受け取れる愛でいっぱいになって、それしか考えられなくて、他のものなんて目に入らなくなればよかった。
どうしてこんなに、生きづらいんだろう。
――萩乃さんはもっと、肩の力を抜いてもいいと思います。
クラスの担任との教育相談で言われた言葉だった。いつもどこか頑張っているように思います、そんなに頑張らなくてもいいんですよ、ほらもっと肩の力を抜いて――
わたしだって、好きで考えすぎているわけじゃない。好きで肩に力を入れているわけではない。この肩にかかった力を抜けるもんなら抜きたい。抜いていいなら抜きたい。