「ねぇ、莉桜ちゃんのさ。泣いたとこって見たことないよね?」
「え」
 鼓動が速まる。中間考査終わりの教室。私は、休み時間にクラスの子達と時間を潰していた。
「あ、それ私も思っていました」
 必死に言い訳を考える。どうしよう。ここでへましたら、今まで頑張ってきたのが全部無駄になっちゃう。
「私、あんまり人前で泣けないんだよね」
「へぇ、でも見てみたいよね。泣いてるとこ」
 私は、なんでよ、と笑いながら答える。どうしよう、どうしよう、どうしよう。みんなが私を見ている。
ばれたら、もしばれたらみんなに迷惑をかけちゃう。
「ちょっとさー。莉桜ちゃん、試しに泣いてみてよ」
「えー、そんな無理だよ」
「いいじゃん、見てみたいんだもんね?」
「ね」
 なんでもない風をよそおって、笑顔を顔に張り付ける。
どうしよう、桜。助けて。私と桜は二年に学年が上がってからクラスが離れてしまった。リョウ君も隣のクラス。それでも、お昼は一緒に食べていたし、私もクラスに少しずつ慣れていった。
「だって、泣いたら負けたみたいじゃん?」
「そんなことないって」
 今まで、周りの子が怖くて話せなかった。でも、桜やリョウ君に会って優しい人もいるって知った。だから、最近はクラスの子とも少しは話せるようになったのに。いつもは有り難く入れてもらっているグループの中で、私だけが違う世界にいるみたいだった。みんなの顔がまともに見られない。
「ほら、早く。泣いてみてよ」
「え、でも」
私はこの笑顔を知っている。
からかっているだけのつもり、その場でのノリに合わせた同調。みんながその時の雰囲気で笑って、この子はこんな風に言っても怒らないから大丈夫。そう言っているのが、聞こえる気がする。決して悪気があるわけではない。それがわかるから、なおさら息ができない。
視界がゆがむ。顔を上げられない。
泣き方なんてとっくの昔に忘れちゃったのに。陽キャでもないのに急にグループの輪に入ったからかな。
せっかく、新しく変われたと思っていたのに、社会に馴染めない私みたいなのは一生そうなんだ。
「え、莉桜ちゃん?」
「大丈夫ですか? 顔真っ青ですけど・・・」
「・・・ごめん。ちょっと、お腹痛いからお手洗いに行ってくる」
 私は、女子たちを残して教室を出た。逃げちゃった。
せっかく友達になれたのに、みんなは仲良くしてくれていたのに。
壁伝いに校内を歩く。
気持ちが悪い。
昔の記憶がフラッシュバックする。熱い風、耳障りなセミの声、赤黒い塊。団体の気持ちが悪いくらいにそろった同調、みんなの笑っている顔、心の底から気持ちが悪い。
私は、ハンカチを手にゆっくりと廊下を歩く。
今までは自分に蓋をすれば、私が我慢して頑張って、そうしたらきっと泣いていたお母さんもいじめられていたあの子も心の底から笑ってくれると、許してくれると思っていた。
でも、最近心の底から笑えなくなっている自分に気付いた。

『ほんと、莉桜ちゃんって真面目で優しくていい子だよね』
 
 私は、みんなが思うようないい子じゃない。みんな、屈託のないとっても澄んだ表情で笑うのだ。どうやって? どうしたら私もみんなみたいに笑えるの? 感情を表に出せるの?
 いい子、優しい、怒らない、真面目、色々なことを言われる。いや、言ってもらえる、の方がしっくりくるだろうか。でも、私は一切そんなふうには思えない。いい子に見えるのも優しく接するのも、誰にも嫌われたくないからで、怒らないのも怒ることで受けるデメリットの方が大きいから。真面目って言われるのも失敗したくないから心配でやりすぎているだけ。そんな私しか知らないみんながいいところだと思っている要素で私は創られている。
ケンカして、ぶつかって、口論して、お互いにぐちゃぐちゃになるまで泣いて、怒って、不安に思って、で最後には笑う。
 私もいつか見た美しい映画みたいな日常が送れると。
友達とカラオケ行って体育祭ではしゃいで、文化祭で美味しいもの食べて、そして、恋に落ちる。そんな風に、私もみんなと同じような〈普通〉の人として生きたかった。
でも、泣くことも笑うこともできなくなっちゃった。
《じゃあさ、感情なんか捨てちゃえば》
 嫌だ。私は、友達と桜と一緒に高校生活を。
《なら、どうして逃げた》
 それは。
《お前が周りを信じてないくせに、周りがお前を助けてくれると思うのか》
 私はみんなを信じて・・・。
《そうか。じゃあ、病気のこと言えるのか》

『・・・化け物。莉桜ちゃん、気持ち悪い』

《コンタクトを外した本当の姿で。みんなが、桜が、心の底から信じてくれると思うか》

『来ないで!』

《お前は化け物なんだよ。お前がいるとお母さんが泣く。お前がいると周りが不幸になる》

《それでもお前は》

《心の底から笑えるんだな》

 その日、私は人生で初めて仮病というものを使って高校を早退した。保健の先生の心配そうな表情が少し気なったけれど、不思議と苦しくはなかった。ごめんなさい。そんなに心配しないで。
 私は、帰って誰もいない部屋でふと中学時代の卒業アルバムを引っ張り出していた。懐かしい写真、色ペンで書かれたメッセージ。
黄色とか黄緑とか色の薄い字は、私にはもう読めなかったけど、なんとなく色が違う事は分かった。写真は、その時その瞬間のみんなの思い出を一枚の紙に収めることができる。そのきらきらした笑顔が散りばめられた本を見つめながら、ページをめくっていく。
偶然か、必然か、その中に私の姿はなかった。