「三好さんって、お休みの日は何かされてますか?」
まるでお見合い中のような質問が、香苗の口から発せられた。慣れない相手との時間稼ぎのような会話。昨日のことを口止めするのが目的だったのだから、とっくに用件が済んで間が持たずに困っているのなら、何か用事を作って早めに席を立ってあげた方がいいのかもしれない。睦美はそう思いつつ、「特になにも。溜まってる家事をしたりとかですね」と答えた。
すると、なぜだか香苗の表情がぱあっと明るくなったように見えた。無趣味な暇人だと分かって、睦美のことを馬鹿にしてくるのとも全く違う。テーブルの上に身を乗り出す勢いで、香苗は向かいから睦美の右手をガシッと両手で握り締めて言った。
「三好さん、ピアノのお姉さんをやってくれませんか?」
「は?」
「私も多少は弾けるんですけど、それだと子供達と一緒に踊ったり手遊びが出来ないんですよね。そもそも、弾き語りだと子供受けしないし」
「ああ、だから昨日もカラオケだったんだ」
「そうなんです。でも、やっぱり生演奏の方が絶対いいのにってずっと思ってて……」
確かに直に聞く楽器の音はカラオケの音源とは迫力が違う。子供の為のイベントなら尚更だ、きっと彼女はステージの音の質にこだわりたいのだろう。
握られた手をほどき、落ち着いて下さいと制止すると、香苗は恥ずかしそうに笑いながら椅子へ座り直した。
「でも私、ピアノをまともに習ってたのって小学校までですし……別に上手くも何とも。弾けることは弾けるけど、みたいなレベルですよ」
「あ、そういうのは別に求めてないので大丈夫です。ピアノがメインではないですし、相手は未就園児がほとんどですから。人前で堂々と演奏できるだけでいいんです」
確かに新卒で入ったばかりの社員旅行で、半分酔っ払いの上司や先輩達の前でも躊躇せずピアノを弾いていた睦美だ。音楽的なレベルは全く足りないかもしれないが、人前で平然と演奏するのは割と平気かもしれない。元々あまり緊張はしないタチだ。
「でも……」
「多くても月に2回。出演料は折半。ピアノは用意して貰える会場も多いですが、無い場合は持ち込んでいただかないといけないです。それから――」
立て続けに条件を提示してくる香苗の台詞を、睦美は慌てて遮った。完全に香苗のペースで話が進んでいっている。
「柿崎さんが主役のイベントなのに、折半なんですか?!」
「はい。最初はボランティアから始めたことなので、報酬は別に目的じゃないんです。なので半分ずつでも問題ないですよ」
「え、ちなみに昨日って、どのくらい……?」
下衆な問いかけだとは思ったが、興味本位でつい聞いてしまう。否、これは普通にものすごく大事なことだ。
童謡5曲で半時間程のミニコンサートだったけれど、香苗が口にした金額は時給換算すると破格だった。折半しても一流大学の学生が家庭教師するくらいのバイト代にはなるだろう。ただし、イベント主ごとにピンキリなんだと付け加えていた。
「えっと、ちょっと考えさせてもらっていいですか? あまりに急なことで、頭がついてけてないっていうか……」
「勿論です。ゆっくり検討していただいて大丈夫ですよ」
穏やかに微笑みながら、香苗は緑茶の入ったペットボトルに口をつける。彼女がいつも水やコーヒーではなくて緑茶ばかり飲んでいるのは、その殺菌作用で喉を守る為なのかもしれない。密かに感心しながら睦美も給茶機のお茶が入った湯呑に手を伸ばし、残りを一気に飲み干した。
「ところで、社員旅行の話って誰から聞いたんですか?」
もう7年も前だし、そもそも別の店でのことだ。系列店とはいえ、そんな昔のネタがここでも回っているのかと思うとウンザリする。
「ああ、向こうのフォーマルのチーフと、こないだの展示会でご一緒したんです。三好さんとは同期なんですよね?」
「あー……夏目さんかぁぁ」
「夏目さん? あ、ご結婚されて苗字が変わられてるんですね。今は瀬野さんでしたけど」
「そうです、今は瀬野です。ちなみにあの人は、無難に同期の女の子三人でカラオケで済ませてました」
スピーカー元があっさり判明したことで、睦美は同期の瀬野にいつか文句を言ってやろうと心に決める。当時の同期達のコスプレ画像は今もスマホのデータとして保存してあるのだ。さらに拡散する気なら、報復も致し方ない。
「その時に、三好さんが演奏されてる動画を見せていただいたんです。それがすごく楽しそうだったから、一緒にやってもらえたらなって思ってて――」
「はっ?! 動画って……な、夏目ぇぇぇ」
報復は確定。でも、向こうも動画を持っているのなら、ちょっと話し合いの必要がありそうだ。一気に流れ始める変な汗を、睦美は休憩バッグから出したタオルハンカチで拭った。
壁掛けの時計を見上げると、休憩時間は残り5分になっていた。お手洗いに寄ってメイクを直し、急いで売り場に戻らないといけない時間だ。香苗と連絡先の交換をし合った後、睦美は食べ終わった食器類を手に返却口へと向かった。
まるでお見合い中のような質問が、香苗の口から発せられた。慣れない相手との時間稼ぎのような会話。昨日のことを口止めするのが目的だったのだから、とっくに用件が済んで間が持たずに困っているのなら、何か用事を作って早めに席を立ってあげた方がいいのかもしれない。睦美はそう思いつつ、「特になにも。溜まってる家事をしたりとかですね」と答えた。
すると、なぜだか香苗の表情がぱあっと明るくなったように見えた。無趣味な暇人だと分かって、睦美のことを馬鹿にしてくるのとも全く違う。テーブルの上に身を乗り出す勢いで、香苗は向かいから睦美の右手をガシッと両手で握り締めて言った。
「三好さん、ピアノのお姉さんをやってくれませんか?」
「は?」
「私も多少は弾けるんですけど、それだと子供達と一緒に踊ったり手遊びが出来ないんですよね。そもそも、弾き語りだと子供受けしないし」
「ああ、だから昨日もカラオケだったんだ」
「そうなんです。でも、やっぱり生演奏の方が絶対いいのにってずっと思ってて……」
確かに直に聞く楽器の音はカラオケの音源とは迫力が違う。子供の為のイベントなら尚更だ、きっと彼女はステージの音の質にこだわりたいのだろう。
握られた手をほどき、落ち着いて下さいと制止すると、香苗は恥ずかしそうに笑いながら椅子へ座り直した。
「でも私、ピアノをまともに習ってたのって小学校までですし……別に上手くも何とも。弾けることは弾けるけど、みたいなレベルですよ」
「あ、そういうのは別に求めてないので大丈夫です。ピアノがメインではないですし、相手は未就園児がほとんどですから。人前で堂々と演奏できるだけでいいんです」
確かに新卒で入ったばかりの社員旅行で、半分酔っ払いの上司や先輩達の前でも躊躇せずピアノを弾いていた睦美だ。音楽的なレベルは全く足りないかもしれないが、人前で平然と演奏するのは割と平気かもしれない。元々あまり緊張はしないタチだ。
「でも……」
「多くても月に2回。出演料は折半。ピアノは用意して貰える会場も多いですが、無い場合は持ち込んでいただかないといけないです。それから――」
立て続けに条件を提示してくる香苗の台詞を、睦美は慌てて遮った。完全に香苗のペースで話が進んでいっている。
「柿崎さんが主役のイベントなのに、折半なんですか?!」
「はい。最初はボランティアから始めたことなので、報酬は別に目的じゃないんです。なので半分ずつでも問題ないですよ」
「え、ちなみに昨日って、どのくらい……?」
下衆な問いかけだとは思ったが、興味本位でつい聞いてしまう。否、これは普通にものすごく大事なことだ。
童謡5曲で半時間程のミニコンサートだったけれど、香苗が口にした金額は時給換算すると破格だった。折半しても一流大学の学生が家庭教師するくらいのバイト代にはなるだろう。ただし、イベント主ごとにピンキリなんだと付け加えていた。
「えっと、ちょっと考えさせてもらっていいですか? あまりに急なことで、頭がついてけてないっていうか……」
「勿論です。ゆっくり検討していただいて大丈夫ですよ」
穏やかに微笑みながら、香苗は緑茶の入ったペットボトルに口をつける。彼女がいつも水やコーヒーではなくて緑茶ばかり飲んでいるのは、その殺菌作用で喉を守る為なのかもしれない。密かに感心しながら睦美も給茶機のお茶が入った湯呑に手を伸ばし、残りを一気に飲み干した。
「ところで、社員旅行の話って誰から聞いたんですか?」
もう7年も前だし、そもそも別の店でのことだ。系列店とはいえ、そんな昔のネタがここでも回っているのかと思うとウンザリする。
「ああ、向こうのフォーマルのチーフと、こないだの展示会でご一緒したんです。三好さんとは同期なんですよね?」
「あー……夏目さんかぁぁ」
「夏目さん? あ、ご結婚されて苗字が変わられてるんですね。今は瀬野さんでしたけど」
「そうです、今は瀬野です。ちなみにあの人は、無難に同期の女の子三人でカラオケで済ませてました」
スピーカー元があっさり判明したことで、睦美は同期の瀬野にいつか文句を言ってやろうと心に決める。当時の同期達のコスプレ画像は今もスマホのデータとして保存してあるのだ。さらに拡散する気なら、報復も致し方ない。
「その時に、三好さんが演奏されてる動画を見せていただいたんです。それがすごく楽しそうだったから、一緒にやってもらえたらなって思ってて――」
「はっ?! 動画って……な、夏目ぇぇぇ」
報復は確定。でも、向こうも動画を持っているのなら、ちょっと話し合いの必要がありそうだ。一気に流れ始める変な汗を、睦美は休憩バッグから出したタオルハンカチで拭った。
壁掛けの時計を見上げると、休憩時間は残り5分になっていた。お手洗いに寄ってメイクを直し、急いで売り場に戻らないといけない時間だ。香苗と連絡先の交換をし合った後、睦美は食べ終わった食器類を手に返却口へと向かった。