平日の朝ということもあり、集まっている子供達は幼稚園に入る前の未就園児がほとんど。一人の母親が三人のちびっ子を連れて来ていたりと、大人よりも子供の方が倍近くいる。走り回る子供達を親が必死で座らせようとするが、誰かが騒ぎ出せば他の子まで釣られて騒ぎ、小さな鬼ごっこまで始まるという、ちょっとしたカオスな光景。でも、どんなにうるさくても誰も怒ったりはしない。怒るどころか反対に、「元気ねぇ」と微笑ましく見守っている人の方が多い。多分、子供がいれば当たり前の状況なのだろう。

 人形劇に興味を示した少し大きい子達は我先にとステージの真ん前まで近づいて行って、かぶりつきで観ていた。沙耶も犬や猫の人形達と声を合わせて「うんとこしょー、どっこいしょー」と叫んでいる。定番の童話でみんなが知っているお話だからこそ、これだけ盛り上がれるのだろう。もし、これが全く知られていないお話だったら、子供達はどんな反応をしていたのだろうか。

 睦美は参加者の一番後ろに座って、子供達や親子連れの様子を他人事のように眺めていた。どう考えても大人には退屈でしかないのに、子供の為に時間を割いて連れて来てあげる。それは独り身にはなかなか理解できない労力だ。現に睦美は今まさに手持無沙汰で退屈でどうしようもない気分になっている。

 ふと真横を見ると、大会議室のカーペットの上に赤ちゃんを寝転がせてオムツを交換し始めた母子がいた。こんなに人が沢山いる中で、と睦美は驚いたが、周囲の誰も気にしていない様子だった。おしっこで満タンになったオムツを替えてもらっている最中なのに、当の男児はチュパチュパと音を立てて右の拳を口いっぱいに頬張っている。

 おじいさんが育てた大きなカブが皆の力を合わせたことで無事にすぽんと抜けると、人形劇は終演となった。登場した全ての人形と演じていた劇団員達が舞台前に並んで、子供達とハイタッチをしていく。沙耶もちゃっかり前列に立って、猫の人形に握手してもらっていた。

「さーちゃんも、うんとこしょーってしてたの、ちゃんと見てた?」
「見てた見てた。劇は面白かった?」

 睦美のところへ駆け戻って来た沙耶の頭を撫でて、お利口に鑑賞できていたことを褒めてやる。沙耶は来春から幼稚園に入れる年齢だから、きっとこの中では大きい方で、それなりに周りの子達を気にしながらお行儀良くできていたと思う。実際、劇も見ずに走り回っていたのはもっと小さい子達だった。

 ステージの上にあった人形劇用の舞台装置が、手際よく部屋の後方へと移動されていく。お揃いの黒色のTシャツを着た劇団員達は慣れた手付きで舞台を解体し、あっという間に片付けを終える。何も無くなったステージでは民生委員のお婆ちゃんがマイクを手にして、次に始まるミニコンサートの紹介を始める。

「春のお花見イベントに来てくれたリンリンお姉さんが、今日も皆に会いに来てくれましたー」

 ステージ横には大きなグランドピアノが置いてあったけれど、音楽は両脇に設置された二つのスピーカーから流れ始めた。最初の曲は沙耶がよく観ている子供番組で流れていた、元気な行進曲だ。
 音楽が始まると同時に、会議室の入口扉が開き、ワイヤレスマイクを片手に持ったツインテ―ルの女性が「こんにちはー」と子供達へ向かって元気に挨拶しながら登場した。隣でお利口に座っていたはずの沙耶が、立ち上がって「リンリンお姉さんだー」と目をキラキラ輝かせ、ステージ前まで駆け寄って行く。

 よく見れば、その歌のお姉さんに反応して前列を陣取っている女の子のほとんどがツインテ―ル。普段は編み込みやらの凝った髪形をして欲しがる姪っ子が、今日はえらくシンプルな頭をしているなと不思議ではあった。
 沙耶はボンボン付きのヘアゴムだったけれど、お姉さんとお揃いで赤とピンクの2色のリボンを結んで貰っている子が多い。

 ――なるほど。リンリンお姉さんと同じ髪形にしてもらったんだ。

 睦美自身は初見だけれど、この辺りの子供達の間では結構な有名人なんだろうか。親の膝の上に座ったままの、小さな子達も音楽に合わせて手を叩いていたりと、リンリンお姉さんの歌声を楽しんでいるようだった。
 ギャザーたっぷりのフレアスカートが、歩いたり回ったりする度にふんわりと花のように開くのを、うっとりとした憧れの眼差しで眺めている子もいる。

 ――……あれ?

 元気で勢いのある一曲目が終わりかけた頃、睦美はステージの上で大袈裟過ぎるくらいの振り付けで歌う女性の姿に、何かとんでもないことを見逃している気がした。濃いめのステージ用メイクで強調されているその顔立ちにかなりの既視感。それだけじゃない。テンポの良い曲から、優しくゆったりした歌に変わった時、その声にも聞き覚えがあることに気付いた。

「へ?!」

 この場には場違いな短い間抜けな声が出てしまう。一度そうだと気付いたら、もうそうとしか見えない。というか、どう考えても、絶対にそうだ!

「……柿崎さん、だ」

 歌の途中、睦美の声なんて聞こえているはずはないのに、ステージの上のリンリンお姉さんと目が合った。そして、向こうもまたこちらのことに気付いたようで、一瞬だけハッとした表情になったのは見逃さない。

 ――え、本当に? っていうか、どう考えて本人だよね?! え、何やってるの、あの人……?

 社員食堂でいつもこっそり見ていたから、柿崎香苗のことを見間違えるはずはない。どんなに派手なステージ衣装を着て、どんなに濃いメイクを施したところで、あの切れ長の瞳と程よく厚みのある唇は隠しきれていないのだから。