デパートという職場の男女比は圧倒的に女性の方が多い。この女ばかりの職場では誰もがぼっちだと思われたくないと、必死で群れようとする。今も真ん中のテーブルでは食料品売り場のパート達が、この場にいない社員の悪口大会で盛り上がっている。
群れたり関わっていくのが面倒に感じた時、睦美は今のように隅っこの席を選んで小さくなってやり過ごすことが多かった。群れの中を見ないよう、視線をわざとずらして。
なのにあの人はいつも、そのすぐ傍で一人でいても平然としていた。真ん前に群れた女たちが居ようが関係ないと、自分のペースを崩さない。臆する様子は一切ない。そして、周りも特に冷やかしたりもしない。彼女が纏っている空気がそれを許さないのだ。
セミロングの髪を耳を出したハーフアップにして、持参したお弁当をテーブルの上に広げている。弁当の蓋の横に置かれているペットボトルはいつも同じメーカーの緑茶。一つ上の階で勤務する契約社員、柿崎香苗だ。
よく見れば整った顔立ちだけれど、どこか華やかさには欠ける。ナチュラル過ぎる薄いメイク。はっきり言ってしまえば、とても地味。素材を全く活かしきれていない。彼女を面接した人事担当者はその落ち着き払った雰囲気から、迷わずフォーマル売り場に配属したのだろう。
お互いシフトが遅番なことが多いからか、今日のように食堂で見かけることは多いけれど、香苗とはこれまでまともに話したことはなかった。
過去に何度か客を売り場まで誘導したことがあり、その際に「お疲れ様です」と声を掛け合ったくらいだろうか。2階にある睦美の売り場でもフォーマルで使えるストールやコサージュなども扱っているから、割と取り扱いアイテムの被りはあるし、全く関わりがないという訳でもない。
そのフォーマル売り場で契約社員ながらもチーフを勤めている香苗は、黙々と食べていた弁当の蓋を閉じた後、ビニールバッグからスマホとイヤフォンを取り出していた。画面を横に傾けて何かの動画を見始めながら、弁当箱を赤いチェック柄の巾着袋に入れてからバッグにしまい込む。
翌日の公休日。朝から姉の電話で叩き起こされた。二つ年上の里依紗は5年前に結婚し、隣町で3歳と0歳児の子育て中だ。
「ごめん、昨日からあっくんの熱が下がらなくてさ。予定無いんだったら、さーちゃんを市民センターの親子イベントに連れてってあげてくれない? ずっと楽しみにしてたから、どうしても行きたいってグズってるのよ」
「えー……何時からあるの?」
「10時。家から歩いて10分くらいだから、9時45分には迎えに来てあげて」
甥の淳史は10カ月。胎児だった頃に持っていたいろんな免疫が切れて、体調を崩しやすくなる月齢だ。そして、姪の沙耶は3歳4か月で、体力が絶好調に有り余っているお年頃。弟が風邪をひこうがお構いなしに、走り回りたい時期だ。
電話の向こうからは「むっちゃん、つれてってー」と可愛いお願いの声が聞こえていた。
29歳の独身で趣味も恋人もなく、休日の予定すらない。姪の頼みならばと諦めて、睦美は勢いよく布団を蹴り上げる。
電車を乗り継いで30分ほど。姉の住んでいる最寄り駅に着くと、大通りに沿って歩いていく。二つ目の交差点を西に向かって5分、5階建てマンションの3階の角部屋でインターフォンを鳴らすと、ドタバタという子供の足音が迎えてくれた。
「むっちゃん! お歌、いこう!」
ピンクのリュックを背負った沙耶は、まだ毛量の少ない髪をツインテ―ルにしてもらっていた。睦美の顔を見るなり、太腿に抱き着いてきて離れない。かなりの大歓迎ぶりだ。
その後ろからは、額に冷却シートを貼られた淳史を抱っこした姉が、寝不足気味の顔を覗かせる。看病でろくに寝れてないところを、元気有り余ってる沙耶にもグズられて疲れ切っている様子だ。
「ほんと、助かった。ごめん。市民センターの場所は分かる? 2階の大会議室でやるから、入口を入ったら靴脱いで左手の階段を上がって」
「それってチケットみたいなのは、ないの?」
「ないない。民生委員が主催のイベントで、子連れなら誰でも参加できるやつだから」
参考にと渡されたチラシにさっと目を通すと、『人形劇とミニコンサート』という親子イベントの案内。人形劇は市内のボランティアサークルが”大きなカブ”を上演してくれるみたいだ。ミニコンサートの方は”みんなで童謡を歌おう”となっていたので、参加型のイベントなのかもしれない。
「あのね、リンリンお姉さんが来るんだよ」
「リンリンお姉さん?」
手を繋いで一緒に市民センターへ向かって歩いている際、沙耶がちょっと得意気な顔で教えてくれる。
「前はね、さいたさいたをいっしょに歌ったの」
睦美はもう一度チラシを見直すと、ミニコンサートの案内には『出演:リンリンお姉さん』と小さく書いてある。どうやら歌のお姉さんのことらしい。ちなみに、沙耶の言う「さいたさいた」は童謡のチューリップのことだと思う。
建売住宅が多く建っている一角、市民センターの建物が近づいてくると、ママチャリが駐輪場に向かって集まってくるのが見えた。狭いスペースをはみ出すように停められているのは電動アシスト付き自転車ばかりで、前や後ろの椅子に子供を乗せている。
他の親子連れの後ろについて、睦美達も建物内へと入っていった。二階の大会議室はカーペット敷きの広い空間で、部屋の前には簡易ステージが設置され、下を暗幕で覆った人形劇の舞台の準備が出来上がっていた。その前を親子連れが好き勝手に床の上に座っていた。母親ばかりじゃなく、父親の参加もチラホラあり、祖父母らしき姿もある。きっと睦美達だって傍から見たら母子に見えているだろう。
ほどなくして、このエリアの民生委員だというお婆ちゃんがマイクを持って挨拶し、子供達の好きそうな陽気な音楽とともに人形劇が始まった。
群れたり関わっていくのが面倒に感じた時、睦美は今のように隅っこの席を選んで小さくなってやり過ごすことが多かった。群れの中を見ないよう、視線をわざとずらして。
なのにあの人はいつも、そのすぐ傍で一人でいても平然としていた。真ん前に群れた女たちが居ようが関係ないと、自分のペースを崩さない。臆する様子は一切ない。そして、周りも特に冷やかしたりもしない。彼女が纏っている空気がそれを許さないのだ。
セミロングの髪を耳を出したハーフアップにして、持参したお弁当をテーブルの上に広げている。弁当の蓋の横に置かれているペットボトルはいつも同じメーカーの緑茶。一つ上の階で勤務する契約社員、柿崎香苗だ。
よく見れば整った顔立ちだけれど、どこか華やかさには欠ける。ナチュラル過ぎる薄いメイク。はっきり言ってしまえば、とても地味。素材を全く活かしきれていない。彼女を面接した人事担当者はその落ち着き払った雰囲気から、迷わずフォーマル売り場に配属したのだろう。
お互いシフトが遅番なことが多いからか、今日のように食堂で見かけることは多いけれど、香苗とはこれまでまともに話したことはなかった。
過去に何度か客を売り場まで誘導したことがあり、その際に「お疲れ様です」と声を掛け合ったくらいだろうか。2階にある睦美の売り場でもフォーマルで使えるストールやコサージュなども扱っているから、割と取り扱いアイテムの被りはあるし、全く関わりがないという訳でもない。
そのフォーマル売り場で契約社員ながらもチーフを勤めている香苗は、黙々と食べていた弁当の蓋を閉じた後、ビニールバッグからスマホとイヤフォンを取り出していた。画面を横に傾けて何かの動画を見始めながら、弁当箱を赤いチェック柄の巾着袋に入れてからバッグにしまい込む。
翌日の公休日。朝から姉の電話で叩き起こされた。二つ年上の里依紗は5年前に結婚し、隣町で3歳と0歳児の子育て中だ。
「ごめん、昨日からあっくんの熱が下がらなくてさ。予定無いんだったら、さーちゃんを市民センターの親子イベントに連れてってあげてくれない? ずっと楽しみにしてたから、どうしても行きたいってグズってるのよ」
「えー……何時からあるの?」
「10時。家から歩いて10分くらいだから、9時45分には迎えに来てあげて」
甥の淳史は10カ月。胎児だった頃に持っていたいろんな免疫が切れて、体調を崩しやすくなる月齢だ。そして、姪の沙耶は3歳4か月で、体力が絶好調に有り余っているお年頃。弟が風邪をひこうがお構いなしに、走り回りたい時期だ。
電話の向こうからは「むっちゃん、つれてってー」と可愛いお願いの声が聞こえていた。
29歳の独身で趣味も恋人もなく、休日の予定すらない。姪の頼みならばと諦めて、睦美は勢いよく布団を蹴り上げる。
電車を乗り継いで30分ほど。姉の住んでいる最寄り駅に着くと、大通りに沿って歩いていく。二つ目の交差点を西に向かって5分、5階建てマンションの3階の角部屋でインターフォンを鳴らすと、ドタバタという子供の足音が迎えてくれた。
「むっちゃん! お歌、いこう!」
ピンクのリュックを背負った沙耶は、まだ毛量の少ない髪をツインテ―ルにしてもらっていた。睦美の顔を見るなり、太腿に抱き着いてきて離れない。かなりの大歓迎ぶりだ。
その後ろからは、額に冷却シートを貼られた淳史を抱っこした姉が、寝不足気味の顔を覗かせる。看病でろくに寝れてないところを、元気有り余ってる沙耶にもグズられて疲れ切っている様子だ。
「ほんと、助かった。ごめん。市民センターの場所は分かる? 2階の大会議室でやるから、入口を入ったら靴脱いで左手の階段を上がって」
「それってチケットみたいなのは、ないの?」
「ないない。民生委員が主催のイベントで、子連れなら誰でも参加できるやつだから」
参考にと渡されたチラシにさっと目を通すと、『人形劇とミニコンサート』という親子イベントの案内。人形劇は市内のボランティアサークルが”大きなカブ”を上演してくれるみたいだ。ミニコンサートの方は”みんなで童謡を歌おう”となっていたので、参加型のイベントなのかもしれない。
「あのね、リンリンお姉さんが来るんだよ」
「リンリンお姉さん?」
手を繋いで一緒に市民センターへ向かって歩いている際、沙耶がちょっと得意気な顔で教えてくれる。
「前はね、さいたさいたをいっしょに歌ったの」
睦美はもう一度チラシを見直すと、ミニコンサートの案内には『出演:リンリンお姉さん』と小さく書いてある。どうやら歌のお姉さんのことらしい。ちなみに、沙耶の言う「さいたさいた」は童謡のチューリップのことだと思う。
建売住宅が多く建っている一角、市民センターの建物が近づいてくると、ママチャリが駐輪場に向かって集まってくるのが見えた。狭いスペースをはみ出すように停められているのは電動アシスト付き自転車ばかりで、前や後ろの椅子に子供を乗せている。
他の親子連れの後ろについて、睦美達も建物内へと入っていった。二階の大会議室はカーペット敷きの広い空間で、部屋の前には簡易ステージが設置され、下を暗幕で覆った人形劇の舞台の準備が出来上がっていた。その前を親子連れが好き勝手に床の上に座っていた。母親ばかりじゃなく、父親の参加もチラホラあり、祖父母らしき姿もある。きっと睦美達だって傍から見たら母子に見えているだろう。
ほどなくして、このエリアの民生委員だというお婆ちゃんがマイクを持って挨拶し、子供達の好きそうな陽気な音楽とともに人形劇が始まった。