今日も暴風雨のような一日だった。
朝から電車が遅延、報連相の手落ちがあって打ち合わせが台無し、チケットの落選メールが届いて心が折れたところに、ダメ押しのようにパソコンのフリーズでデータが飛んで残業。
もう勘弁してください神様…と都合のいい時だけ呼び出す神様に手を合わせながら、ヨレヨレになって帰宅した。
せめて何かいいことがあってほしい、たとえば雑誌のアンケートプレゼントで推しアイドルのチェキが当選して届いているとか…となかなか欲深いことを願いながらマンションのポストを開ける。
水色のA4封筒が狭そうに、でも確かな輝きを持って詰まっていた。
差出人の名前を見るより先に、手書きの文字で中身を察する。
「…っ!!!まじ、女神様…」
疲れが吹き飛ぶ、とまでは行かなくとも少し心が回復したと思う。
重量のある封筒を抱きしめて、エレベーターに乗り込んでボタンを強く押した。

鈴木紫央にとって、今から十年前、新卒会社員だった頃に推し活の現場で出会った三歳歳上のミソノは女神である。
一緒にライブに通い、ライブ終わりに飲みに行き、社会人生活に挫けていた紫央の愚痴を聞いてもらい、人生に迷ってライブ通いをやめて婚活に踏み込んだ時も温かく見守ってくれて、婚活に見切りをつけてライブ現場に戻ってきた時も笑ってくれた。
その間に推しは三回変わった。
ずっと追いかけていたバンドが解散したときも、デビューから推していたアイドルのスキャンダルが出た時も、泣きながらミソノと飲んだ。
紫央がそんな十年を過ごしている間にミソノは長く付き合った彼氏と結婚して出産して引っ越して、現場から遠ざかってしまった。
生存確認はもっぱらSNS。
年に一度、いや二年に一度会えるか会えないかだけど、SNSで近況を把握している。
最近の推しは地元のゆるキャラらしい。
絶妙なバランスの黒目が愛らしいそのキャラは今、ミソノのSNSのアイコンになっている。
今日届いた水色の封筒は、そんなミソノからの定期便。
紫央が、推しアイドルの海外公演に遠征したお土産をA4封筒で送ったのがきっかけで始まった、文通の物バージョンのようなもの。
予算はざっくり三千円。
最初に送ったお土産がそれくらいだったから。
確か、台湾のお茶とお菓子とポストカード。
そうしたら、家族旅行のお土産として大阪のテーマパークのグッズが返ってきた。
それが、仕事で大きなミスをして落ち込んでいるタイミングだったから、本当に嬉しかった。
ミソノが、自分のことを思って選んでくれたということが、しおしおに弱り果てている心に沁みた。
この封筒も、紫央が今推しているアイドルのメンバーカラーが水色だから、わざわざ水色にしてくれたのだろう。
家の鍵を開けて手を洗ってうがいをして、着替えもせずお弁当箱も洗わず、まず封筒を開ける。
ちょっとお高めのレトルトカレー、袋ラーメン、ドライフルーツ、入浴剤、ドリップコーヒー。
レトルトカレーには『道の駅で見つけた!めっちゃ美味い』。
袋ラーメンには『朝のテレビ番組のランキングで一位だったやつ!』。
と、件のゆるキャラグッズのメモが貼ってある。
前回は朝の番組のランキングで紹介されていたグミが一位から五位まで入っていた。
それぞれ付箋にコメント付きで。
ミソノが今住んでいる街のパティスリーの素敵なクッキー缶も一緒に入っていたけど、グミに貼られたコメントが熱すぎて、今ハマっているんだろうな、朝のテレビ番組…と笑いが漏れた。
現場に行けなくなった分、家で楽しめることを見つけているのだろう。
地元のゆるキャラを推していることといい、どんな現場でも楽しもうとしていたミソノらしいと思う。
豪雨のフェスも、炎天下のグッズ待機列も、前日にメンバーの脱退が発表されたライブも、ミソノはこれを一生の思い出にする!と自分を鼓舞していた。
どれもこれも、今思えばいい思い出だけど、脱退はないに越したことはない。
少し笑って元気になったし、冷凍庫にご飯が入っていることだし、ありがたくレトルトカレーを夕飯にいただくことにした。
レンチンでご飯を温めている間に湯煎でカレーを温め、遠征先で一目惚れして購入した大きめのプレートに盛り付ける。
大きな肉の塊がゴロゴロ入っていて、食べ応えがありそうだ。
まずは大きな肉をスプーンにすくって一口。
噛んだ瞬間にほろほろに崩れる柔らかさ。
レトルトはここまで進化しているのかと感動する。
うまぁ…と心からの独り言が漏れた。
じわじわと額に汗が浮く。
意外と辛い、けど、手が止まらない。
「あ、DM送らなきゃ」
半分以上食べてからやっと思い出す。
お礼のメッセージより先に食べてしまった。
それくらい疲れていたということ、そして満たされて余裕が出てきたということでもある。
SNSでミソノへのメッセージを打ち込んでいると、ぽこん、とライブ配信アプリから通知が届いた。
「えっゲリラ配信!?ありがたい〜生きる〜!」
美味しいものを食べて推しのアイコンをみたら、なんだか急激に元気になってきた。
スマホでメッセージを送り、配信アプリを開きながら風呂場に行き、片手で蛇口をひねって湯を溜める。
ミソノから届いた入浴剤はもっと特別な日にとっておいて、今日はドラッグストアで手に入る炭酸入浴剤にした。
配信を観ながらゆっくり湯船に浸かって、録画していた音楽番組をみて、お弁当を仕込んだらもう寝る時間。
週末は先行を逃した舞台チケットの一般発売もあるし、その次の週にはDVDのリリースイベント。
毎日忙しくて楽しくて、だけどどうにも疲れてしまった日に、自分をご機嫌にしてくれるのは、自分自身であり、推しであり、遠くの友達。
ツアーに遠征したらまたお土産を送ろうと、まだ申し込みもしていないチケットの当選を願った。