リビングでは、テレビの中から歌番組が流れていた。
「おかえり」
 電子レンジで作った熱燗を飲んでいた部長が振り向く。
 つまみはわたしが作り置きしていたこんにゃくのピリ辛炒め煮だ。
「わたしも飲んでいいですか」
「いいよ。
 自分の分のおちょこ出してきて」

 部長は季節問わず熱燗が好きで冷酒を飲まないのだが、熱燗もこれまたちょっと熱めが好きなのだ。
 わたしも部長と過ごしてきて、いつの間にか飲み過ぎてしまう冷酒よりも、ぬるい日本酒よりも、熱々でちょびちょびと飲む熱燗が好きになっていた。
 ちなみに熱燗を部長が好きな理由はずばり、飲み過ぎなくて済むから、である。

「電話の用件は何だったの?」
「それがですね……」
 かいつまんで話す。
「ああ、みんな通ってきた道だよね」
 離婚経験者の部長は深く頷きながら、こんにゃくをつまんだ。
「ですよねえ」
「彼女も早く楽になるといいね」
「はい、そう願ってます」
 わたしも熱々の日本酒を少しだけ口に含んだ。

 ただ、わたしのすみれちゃんのことを思ってる気持ちが、もっと伝えられたらよかった。
 文字や言葉で伝える自分の力の限界を感じてしまう。
 もっと伝わる方法ってないのかな。

 そのとき、テレビから合唱曲が聴こえてきた。
 歌番組で卒業シーズン特集が組まれていたらしく、アイドルグループがスタジオで歌っている。
 昔自分も学生のときに歌ったなあと思いながら聴いていたが、歌詞を見てとっさに思いついた。

「これだ!」
 立ち上がって叫ぶ。

「どしたの?」
 部長が怪訝そうな顔でこちらを見上げる。
「いえ、何でもないです」
 慌ててソファに座り直す。

 そうだ、ピアノで伴奏を弾きながらこの曲を歌った動画を送ろう。

 とてもいいことを思いついた気持ちになった。
 自己満かもしれない。
 でも、いいんだ。
 伝えたい気持ちの方が大事だから。

 久しぶり、というか28年ぶりにピアノを弾く。
 わたしが最後にピアノに触れてから、すみれちゃんの年齢と同じだけの年月が経っていた。
 どれだけ弾けるだろうか。
 指は動くだろうか。
 楽譜は読めるだろうか。
 シャープが3つくらいついていたら読めないかもしれないな。
 この曲、最後の大サビが転調するから、高音を綺麗に歌える自信はないけど。
 とにかくやってみるしかない。

 わたしが所有している数少ない紙の本の中に、合唱曲の楽譜本を残していたことは覚えていた。
 試しに歌だけでも歌ってみるか。
 音楽のサブスクで合唱曲名を検索してみると、二部合唱、三部合唱、カラピアノというピアノ伴奏のみの曲まで見つかった。

「部長、ちょっと部屋にこもってきます」
「はーい」
 わたしはおちょこに残った日本酒を飲み干し、再び自室に向かった。