すみれちゃんからの電話はひどく久しぶりで、あまりも突然だった。

 牧本すみれちゃんは、数年前の職場で仲良くしていた後輩だ。
 同じ契約社員で、二人でよく飲みに行ったり、お互いの家でご飯を食べ合ったりした。
 15歳も年が離れていて、わたしとは一回り以上年齢が違ったけれど、彼女に人懐っこい笑顔を向けられてすぐに打ち解け、大事な後輩になった。


 部長と夕食を食べ終え、夜9時を過ぎたころだった。
 スマホが振動して、数年ぶりにすみれちゃんの名前をディスプレイに映し出した。
「わ、懐かしい後輩から電話がきました。
 出てきます」
 リビングのソファで隣にいた部長にそう告げて、自室の扉を閉めてから応答ボタンを押す。

「もしもし、すみれちゃん?」
「けろっこ先輩?
 お久しぶりですー。
 元気でしたか?」
「うん、元気にしているよ。
 すみれちゃんは元気?」

 彼女は自分から電話してきておいて、返事に困ったように押し黙った後、次のような近況を教えてくれた。

 すみれちゃんはわたしと知り合ったときにはすでに結婚していたのだが、数年前から夫からのモラハラを受けており、それと同時期にわたしと一緒に働いていた会社とは別の会社で上司からのパワハラも受け続け、オンとオフ両方で心身を病んだ結果、逃げるように他県の実家に帰ってきたのだという。

「一緒に住んでいる間、夫からは、『俺と離婚しろ!』って毎日言われましたね」
「そうか……。
 本当に大変な思いをしたんだね。
 旦那さんとは離婚するの?」
「実は、今日夫から記入済みの離婚届が届いたんです。
 子どもがいなかったんで、それに私が記入して役所に出せば終わりです。
 離婚の手続きってこんなにあっけないんですね」
 返す言葉が見つからない。

「今、実家近くの居酒屋にひとりで飲みに来てるんですよ」
 さっき話の中で精神科に通院していると言っていたので、薬とお酒の飲み合わせは大丈夫なのか気になったが、指摘するのはやめた。
 彼女が電話口の向こうで泣いていたから。

 彼女の話を否定せずに聞いていたら、すみれちゃんが
「けろっこ先輩は憧れです。
 私も先輩みたいに強くなりたい」
 と言い出す。
 言われ慣れない言葉に、なんだか落ち着かない。

「わたし強くないよ。
 豆腐メンタルだよ」
「私から見た先輩は強いです」
「そうかなあ?」
 どこらへんを見たらそう思ってもらえるのか、自分には皆目見当がつかなかった。

「先輩、今幸せですか?」

 これまた突然の質問をされ、言葉に詰まった。
 幸せって……そもそも何なの?
 一般的な幸せってあったっけ?
 自分の誕生日に嬉しいことが起きても、その喜びは一日中ずっとは続かなかったのに。
 確かに今、正社員になれて、部長との共同生活を楽しんではいる。
 でもそれを幸せという言葉で括ってしまうことには違和感があった。
 彼女の求めている幸せかという問いかけの答えとは、ずれている気がする。

 正社員にはなれたが、だからこそ仕事は以前より増えているし、残業も増えている。
 部長との共同生活も、完全な他人との生活だから、家族など身内との生活のような気楽さというものはなく、細やかな気を遣いながら続けているというのが実態だ。

 わたしは「幸せだね」とは即答できなかった。