昨日、学校を休んでいる間にぐっすり眠って十分に体を休めたのと、星宮が作ってくれた卵雑炊を食べたおかげか。
今朝は熱を測ると平熱まで下がり、体調もすっかり回復していた。
と、いうわけで。
無事に登校を再開した今日の1限目は、待鳥先生の授業の予定のはずだったんだけど――……、
「えー、今日はクラス全員揃っているということで。授業をホームルームに変更して、学園祭の出し物についての話し合いをするぞー」
教卓に両手をついて、前かがみになった待鳥先生の発言に、クラスメイトたちがぱあっと笑顔を輝かせ、弾けるような歓声を上げた。
まるで、楽しいイベントが始まったような盛り上がりっぷりだ。
まあ、出し物の準備の話し合い自体、学園祭というイベントの一つのくくりみたいなものだしさ。
というか、みんなこのときを楽しみに待ち焦がれていたんだな……。
お祭り騒ぎのさなか。
待鳥先生がいったんクラスメイトたちを落ち着かせるように手を叩いて、「それじゃあ、このクラスでどんな出し物をやりたいか。意見があるならどんどん言ってくれよー」と声かけした。
すると、教室のあちこちから、クラスメイトたちが思い思いに意見を述べ始める。
「やっぱお化け屋敷でしょ!」
「あたし、クレープがいい!」
「段ボールでジェットコースターを作るのなんてどう?」
「プラネタリウムとかどうですかー?」
「ここはあえて王道にメイドカフェでよくない?」
さまざまな意見が出される度に、待鳥先生がそれを聞き拾って、黒板にチョークで書き残していく。
しばらくすると、だいたい出揃ってきたのか。盛り上がっていた空気が、少しずつ静まり返ってきた。
ここらへんでいったん閉め切るのかな。と僕が思ったちょうどそのとき。
「はーい。俺、レトロ喫茶がいいでーす!」
ピン、とまっすぐに手を挙げて、星宮が発言した。
クラス中の視線が、一気に彼に集中する。
「星宮ー、レトロ喫茶って?」
振り返りざまにたずねる待鳥先生に、星宮はガタンと席を立つと、「えっとー、文字通りレトロな雰囲気のある喫茶店って感じで~」と要領を得ない説明をし始めた。
星宮のやつ、本当に言語化苦手だな。
でも、そんな説明じゃ抽象的過ぎて相手に伝わらないだろ……。と心の中でツッコミを入れていると、急に星宮がサッと体ごと僕の方を向く。
なぜに……、僕?
「怜、あの本持ってる?」
「え?」
「ほらっ、最近読んでる本だよ! 喫茶店の写真が表紙の……」
「あっ! ああ……、これ?」
いきなり話しかけられて戸惑ったけど、僕は机の引き出しから読みかけの文庫本を取り出して、星宮に見せた。
それは、喫茶店を舞台にした連作短編の小説だった。
レンガの壁とステンドグラスの窓を背景に、テーブルの上に置かれたクリームソーダとプリンアラモードの写真が表紙を飾っている。
一応説明のため、その本の表紙を待鳥先生に見せたところ、すぐにピンときたらしく。
「あー、はいはい。アレか。最近流行りのエモいやつな」と理解して、クラスメイトたちにわかりやすく説明してくれた。
「いいじゃん、レトロ喫茶! 面白そう!」
「おしゃれだし、ほかのクラスともかぶらなさそうだよね!」
まだ意見交換も多数決も始まってないというのに。クラスメイトのほとんどが、レトロ喫茶を出し物にすることに乗り気だ。
単純に学園祭の出し物にしては真新しさがあるんだろうけど。
特に星宮のファンと思しき女子たちが、「絶対にやりたい!」とやる気にあふれ、燃え上がっている。
ここまでくると、あとの流れはもう決まったようなものだ。
「じゃあ、このクラスの出し物はレトロ喫茶で決定。ってことでいいかー?」
確認を取る待鳥先生の声に答えるように、「はーい!」というクラス全員の返事が教室に響き渡り、すんなりと学園祭の出し物が決まった。
◇ ◆ ◇
――数日後の朝。
ホームルームでの待鳥先生の話によると、レトロ喫茶を出し物に決めたのはこのクラスだけだったらしい。
かぶりがなかったということで、その日の放課後から準備に取りかかることになった。
「じゃあ早速、俺と一緒に買い出しに行ってくれる人、いるーっ⁉」
ホームルームが終わったあと。学園祭実行委員になった五十嵐が、教室にいるクラスメイトたちに向かって声をかける。
その呼びかけに、星宮が好奇心に駆られたようにぱあっと目を輝かせて、「いいよー」と五十嵐の元へ一目散に駆け寄った。
ふーん。星宮のやつ、五十嵐と買い物に行くんだ。それも二人きりで。
たかが学園祭の準備。そのための必要な買い出しの手伝いを、星宮が買って出ただけだというのはわかってる。
でも、……楽しそうな二人の姿を眺めているだけで、なんだかものすごく面白くない。
この間の期末テスト前。五十嵐たちに誘われた星宮を送り出していた僕はどこに行ったんだろう?
すこぶる性格の悪い自分にイライラして、「はあっ」と短いため息をついたそのとき。
「怜も一緒に行こうよ!」
「えっ?」
突然星宮に大声で呼ばれて、僕はハッと我に返った。
「い……、いいの?」
「うん。荷物がかなり多くなるだろうから、手伝ってくれる?」
「おっ、月森も来てくれんの? 助かるー!」と、珍しく五十嵐が僕を受け入れてくれた。
「それじゃあ、3人で行こうぜ」
「あ、ああ……」
本当に、僕も一緒でいいのかな? でも、星宮も一緒にいるならまあいいか……。
僕は自分にそう言い聞かせて、先を歩く二人の背中を追い駆けた。
◇ ◆ ◇
「月森って、なんか変わったよな」
教室の装飾に使う画用紙や画材などを買ったあとの帰り道。
ふいに五十嵐がそんなことを口にしてきたものだから、僕は呆気に取られて、思わず「え?」と聞き返した。
「変わったって、なにが……?」
「んー、雰囲気かな。前はもっとツンケンしてるっていうか、『僕にはかまわないでください』って言いたげな近寄りがたいオーラを放っててさー……」
「気づいてたんだ……」
「いやー、わかるよ。だって、あからさまに態度に出ていたんだもん。でも、ここ最近はだいぶ柔らかくなったというか、取っつきやすくなったというか。七緒と仲良くしてるから、『悪いやつじゃなさそうだな』って、思えてきたっていうのもあるかもしれないけどさ」
「そうそう! 怜はすっごくいいやつなんだよ!」
と、星宮が横から口をはさんできて、僕は苦笑いをした。
僕はてっきり五十嵐には疎まれていると思ってたのに。
星宮と一緒にいることで、あいつの中で僕に対する見方が好意的な方向に変わった話はかなり意外だった。
そっか。ちょっとしたきっかけで、人の気持ちは変わるんだな……。と、僕が一人でしみじみとしていると、
「もしかして月森、好きな人でもできた?」
「は⁉」
突拍子もない五十嵐の質問に、自分の顔が耳までカッと熱くなるのがわかった。
「いやーほら、よく言うじゃん? 『恋をすると人は変わる』って。あんなにツンツンしてた月森が、こんなにも丸くなったっていうことは、やっぱ好きな人ができたからじゃないかなーって思ってさ~」
五十嵐がヘラヘラ笑いながら、僕をからかってくる。
ここは適当に返事をして流せばいいだけだとわかっているのに。
「えっ? 怜って好きな人いるの?」
星宮が興味を持ったらしく、僕に食い気味にたずねてきた。
にやついてる五十嵐と違って、真顔で。
2つの大きな透き通った瞳で、僕の心の奥底を覗き込むように、じーっとこちらを見つめてくる。
あまりにも真剣な眼差しを向けられて、脳みそが急上昇していく顔の熱によって妬き切れてしまいそうだ。
「いるわけないだろ……」
これ以上星宮を直視するのに限界がきた僕は、サッと視線をそらしてボソッと呟くように返事をした。
◇ ◆ ◇
――気づけば日々が慌ただしく過ぎ去って、学園祭当日まであと数日。
出し物の準備もいよいよ大詰め。
教室の装飾も、接客時に着る衣装も、メニューやその他小物類の制作など、すべての作業が終わりに差しかかっていた。
今日は教室の飾り付けがひと段落したところで解散。
寮の部屋に戻った僕は、どっと押し寄せてくる疲れに「はあっ」と大きく息をつく。
「あー、疲れた……」
ワイシャツの襟に指を引っかけて、パタパタと風を送りながら、エアコンのスイッチを入れる。
すると、サウナのように蒸し蒸しする部屋に、冷房の涼しい空気が流れ込んできて、暑さが少しマシになった。
そういえば、星宮はどこ行ったんだろう?
僕と一緒に教室を出て行ったような気がするけど、まだこの部屋には戻ってないんだよな。
五十嵐たちとおしゃべりでもしに談話室に行ったのか、それともトイレにでも行ってたりして……。
「れーい、おつかれー!」
背後からいきなり頬に冷たいものをぐっと押しつけられた。
思いがけない事態に「ひゃっ……⁉」と悲鳴を上げて肩をすくめる僕の顔を、「びっくりした?」と星宮がニマニマしながら覗き込んでくる。
「当たり前だろ……。ってか、さっきまでどこ行ってたの?」
「自販機! 冷たいジュースが飲みたくってさー。はいこれ、怜の分!」
と、さっき僕の頬に当てていたらしき、サイダーのペットボトルを渡してくれた。
まったく。気が利くのか人騒がせなのか……。
「あ、ありがとう……」
僕はドキドキしながらお礼を言って、星宮からペットボトルを受け取る。
星宮は「どういたしまして」と返事をして、自分の分らしきコーラのペットボトルのキャップを開けて、おいしそうに中身をゴクゴク飲み始めた。
細い首に張り出した喉仏が、大きくゆっくりと上下に動いている。
なんだか凝視してはいけないような気がするのに、星宮の喉仏の動きに目が離せずにじーっと見入っていると、「どーかした?」とペットボトルから口を離した本人に気づかれてしまった。
「いや……、なんでもない」
僕は慌ててごまかすなり、先ほどもらったサイダーをあおった。
でも、あまりにも慌て過ぎていたせいで、一口飲んだだけでむせてしまう。
「ちょ、怜⁉ 大丈夫⁉」
「大丈夫……。とりあえず、立ちっぱなしもなんだし、いったん座ろっか」
「そだね。だいぶ疲れてるしね……」
「えっ? さっき、あんなにテンション高かったのに?」
「んー、これでもだいぶクタクタだよー……。ってか、ねむーい! 今すぐにでもベッドで寝たいって感じ!」
大声を出したせいで電池が切れたのか。星宮はすぐ近くにあった自分のベッドの上にダイブした。
この様子じゃ、だいぶ疲れていそうだな。って、そりゃそうか。
うちのクラスのレトロ喫茶の出し物を提案したのは星宮。
言い出しっぺだからこそか、いつも周りの人一倍頑張って学園祭の準備を進めている姿をこれまで何度となく見てきた。
今日も自分の仕事をしながら、なかなか作業が進まないクラスメイトたちの手伝いを自ら買って出ていたくらいだし。
星宮のそういう細かいところに気づいたり、周りに気を配れる性格はいいところだと思うし、今日も今日とて大変だったなと労いたいところだけど――……、
「せめて風呂には入れよ! あと、ちゃんと歯磨きもして!」
僕はベッドの上に寝転がる星宮を起こそうと、彼の腕をぐいっと引っ張った。
でも、星宮はまったくと言っていいほどびくともしない。それどころか、
「……うわっ⁉」
勢い余って足がすべって、体がふわっと宙に浮いた。
全身が重力に引っ張られるように倒れる。気づけばボフッという音がしたあと、僕はふわふわしたものに顔を埋めていた。
「ううっ……今の、なに……?」
顔を上げてずれたメガネをかけ直すと、目と鼻の先ほどの距離に星宮の顔があって、心臓が早鐘を打つ。
「う、わ……」
今更気づいたけど、ヤバい。なんだこの体勢は。
コケて倒れ込んだとはいえ、こんなの……まるで僕が星宮を組み敷いているみたいじゃないか……!
「怜……?」
目を閉じていたはずの星宮がうっすらとまぶたを開けたのに気づいて、僕はギクッとして全身を強張らせた。
「いや、あの、これは……」
この状況をどう弁解しようか。
冷や汗をかきながらしどろもどろになっている僕に向かって、星宮が「ふふっ」とかすかな笑い声を上げて目を細めた。
「怜、俺とキスしたかったんでしょ?」
瞬間、ものすごい速さで飛んできた弾丸によって、心臓を撃ち抜かれたような衝撃が僕に走った。
体温が一気に急上昇して、全身が熱さで火照ってクラクラする。
星宮に伝えたいことがあるのに、言い訳も弁明も出てこない。
それどころか僕は、熱に浮かされたように、ただ口をぱくぱくさせることしかできない。
「はっ……、はあっ……!」
なんとか熱が引いて、声を振り絞れるようになった頃には、星宮はスースーと気持ちよさそうに寝息を立てていて。僕は拍子抜けしてしまった。
さっきの星宮は、ただ寝ぼけていただけだったのかな……?
うん、きっとそうだよね。と自分に言い聞かせていながらも、僕はふと気づいてしまった。
――『俺とキスしたかったんでしょ?』と星宮に聞かれて、まったく嫌じゃなかったこと。
――むしろ、『星宮とキスをしたい』なんて思ってしまったこと。
『もしかして月森、好きな人でもできた?』
学園祭の準備で買い出しに行ったあの日、五十嵐にされた質問が頭の中によみがえる。
――僕、星宮のことが好きだ。
人付き合いが苦手なはずの自分にも、こんな気持ちが芽生えるだなんて思ってもみなかったけど。
あいつの行動や言動に心臓がドキドキうるさくなったり、顔が火照るほど熱くなったり。
姿が見えないだけで寂しくなったり、五十嵐と行動しているところを見ただけで、胸の奥が痛んで嫉妬したり。
そして何よりも、星宮と二人で一緒にいる時間が、いつまでも続いて欲しいと願っている自分がいたり――……。
星宮と接するようになってから、決して自分では制御できない体の状態や感情に振り回されてきたその理由が今ならわかる。
――僕が、星宮に恋をしているからだ。
自分のこの気持ちの名前にはっきり気づいたその瞬間。
体の奥から熱いなにかがほとばしって――、同時にものすごい不安がこみ上げてきた。
星宮が好き。いつも一緒にいたい、キスしたい、あいつの中の一番になりたい。
この身勝手で一方的で身のほど知らずな気持ちを自覚した今。
僕は今後も今までどおり、あいつに接することが出来るんだろうか?
でも――もし、いつかどこかでこの恋を星宮に気づかれてしまったら?
それで、僕たちの関係が転がり落ちるように、悪い方向に変わってしまったら?
そしたら僕は、一体どうすればいいんだろう……?
◇ ◆ ◇
「れーい。早く起きてー。遅刻しちゃうよー」
翌朝目を覚ますと、すでに身支度を整えていた星宮が、僕のことを見下ろしていた。
昨日の夜、思わず彼を組み敷いたみたいな体勢のことを思い出してドキッとしてしまう。
「えっ……、あ……お、おはよう……」
「おはよ。今日も一緒に準備頑張ろうね」
視線を泳がせる僕に対して、星宮はいつものように満面の笑みを浮かべる。
……ヤバい。心臓の動悸が激しくなってきた。
まるで、時限爆弾のスイッチが入って、カウントダウンが始まってしまったかのようだ。
どうしよう? どうすればいい?
ただでさえもたない心臓が、今にも爆発してしまいそう――……。
「あ、うん……」
僕ははじめて星宮と会ったときのように、よそよそしくサッと視線をそらしてしまった。
「怜……? どうかした……?」
「なんでもない、行こう……」
僕はベッドから起き上がると、素早く身支度を整える。
それから、「待ってよ!」と声を上げる星宮を振り返ることなく、そそくさと部屋を出た。
今朝は熱を測ると平熱まで下がり、体調もすっかり回復していた。
と、いうわけで。
無事に登校を再開した今日の1限目は、待鳥先生の授業の予定のはずだったんだけど――……、
「えー、今日はクラス全員揃っているということで。授業をホームルームに変更して、学園祭の出し物についての話し合いをするぞー」
教卓に両手をついて、前かがみになった待鳥先生の発言に、クラスメイトたちがぱあっと笑顔を輝かせ、弾けるような歓声を上げた。
まるで、楽しいイベントが始まったような盛り上がりっぷりだ。
まあ、出し物の準備の話し合い自体、学園祭というイベントの一つのくくりみたいなものだしさ。
というか、みんなこのときを楽しみに待ち焦がれていたんだな……。
お祭り騒ぎのさなか。
待鳥先生がいったんクラスメイトたちを落ち着かせるように手を叩いて、「それじゃあ、このクラスでどんな出し物をやりたいか。意見があるならどんどん言ってくれよー」と声かけした。
すると、教室のあちこちから、クラスメイトたちが思い思いに意見を述べ始める。
「やっぱお化け屋敷でしょ!」
「あたし、クレープがいい!」
「段ボールでジェットコースターを作るのなんてどう?」
「プラネタリウムとかどうですかー?」
「ここはあえて王道にメイドカフェでよくない?」
さまざまな意見が出される度に、待鳥先生がそれを聞き拾って、黒板にチョークで書き残していく。
しばらくすると、だいたい出揃ってきたのか。盛り上がっていた空気が、少しずつ静まり返ってきた。
ここらへんでいったん閉め切るのかな。と僕が思ったちょうどそのとき。
「はーい。俺、レトロ喫茶がいいでーす!」
ピン、とまっすぐに手を挙げて、星宮が発言した。
クラス中の視線が、一気に彼に集中する。
「星宮ー、レトロ喫茶って?」
振り返りざまにたずねる待鳥先生に、星宮はガタンと席を立つと、「えっとー、文字通りレトロな雰囲気のある喫茶店って感じで~」と要領を得ない説明をし始めた。
星宮のやつ、本当に言語化苦手だな。
でも、そんな説明じゃ抽象的過ぎて相手に伝わらないだろ……。と心の中でツッコミを入れていると、急に星宮がサッと体ごと僕の方を向く。
なぜに……、僕?
「怜、あの本持ってる?」
「え?」
「ほらっ、最近読んでる本だよ! 喫茶店の写真が表紙の……」
「あっ! ああ……、これ?」
いきなり話しかけられて戸惑ったけど、僕は机の引き出しから読みかけの文庫本を取り出して、星宮に見せた。
それは、喫茶店を舞台にした連作短編の小説だった。
レンガの壁とステンドグラスの窓を背景に、テーブルの上に置かれたクリームソーダとプリンアラモードの写真が表紙を飾っている。
一応説明のため、その本の表紙を待鳥先生に見せたところ、すぐにピンときたらしく。
「あー、はいはい。アレか。最近流行りのエモいやつな」と理解して、クラスメイトたちにわかりやすく説明してくれた。
「いいじゃん、レトロ喫茶! 面白そう!」
「おしゃれだし、ほかのクラスともかぶらなさそうだよね!」
まだ意見交換も多数決も始まってないというのに。クラスメイトのほとんどが、レトロ喫茶を出し物にすることに乗り気だ。
単純に学園祭の出し物にしては真新しさがあるんだろうけど。
特に星宮のファンと思しき女子たちが、「絶対にやりたい!」とやる気にあふれ、燃え上がっている。
ここまでくると、あとの流れはもう決まったようなものだ。
「じゃあ、このクラスの出し物はレトロ喫茶で決定。ってことでいいかー?」
確認を取る待鳥先生の声に答えるように、「はーい!」というクラス全員の返事が教室に響き渡り、すんなりと学園祭の出し物が決まった。
◇ ◆ ◇
――数日後の朝。
ホームルームでの待鳥先生の話によると、レトロ喫茶を出し物に決めたのはこのクラスだけだったらしい。
かぶりがなかったということで、その日の放課後から準備に取りかかることになった。
「じゃあ早速、俺と一緒に買い出しに行ってくれる人、いるーっ⁉」
ホームルームが終わったあと。学園祭実行委員になった五十嵐が、教室にいるクラスメイトたちに向かって声をかける。
その呼びかけに、星宮が好奇心に駆られたようにぱあっと目を輝かせて、「いいよー」と五十嵐の元へ一目散に駆け寄った。
ふーん。星宮のやつ、五十嵐と買い物に行くんだ。それも二人きりで。
たかが学園祭の準備。そのための必要な買い出しの手伝いを、星宮が買って出ただけだというのはわかってる。
でも、……楽しそうな二人の姿を眺めているだけで、なんだかものすごく面白くない。
この間の期末テスト前。五十嵐たちに誘われた星宮を送り出していた僕はどこに行ったんだろう?
すこぶる性格の悪い自分にイライラして、「はあっ」と短いため息をついたそのとき。
「怜も一緒に行こうよ!」
「えっ?」
突然星宮に大声で呼ばれて、僕はハッと我に返った。
「い……、いいの?」
「うん。荷物がかなり多くなるだろうから、手伝ってくれる?」
「おっ、月森も来てくれんの? 助かるー!」と、珍しく五十嵐が僕を受け入れてくれた。
「それじゃあ、3人で行こうぜ」
「あ、ああ……」
本当に、僕も一緒でいいのかな? でも、星宮も一緒にいるならまあいいか……。
僕は自分にそう言い聞かせて、先を歩く二人の背中を追い駆けた。
◇ ◆ ◇
「月森って、なんか変わったよな」
教室の装飾に使う画用紙や画材などを買ったあとの帰り道。
ふいに五十嵐がそんなことを口にしてきたものだから、僕は呆気に取られて、思わず「え?」と聞き返した。
「変わったって、なにが……?」
「んー、雰囲気かな。前はもっとツンケンしてるっていうか、『僕にはかまわないでください』って言いたげな近寄りがたいオーラを放っててさー……」
「気づいてたんだ……」
「いやー、わかるよ。だって、あからさまに態度に出ていたんだもん。でも、ここ最近はだいぶ柔らかくなったというか、取っつきやすくなったというか。七緒と仲良くしてるから、『悪いやつじゃなさそうだな』って、思えてきたっていうのもあるかもしれないけどさ」
「そうそう! 怜はすっごくいいやつなんだよ!」
と、星宮が横から口をはさんできて、僕は苦笑いをした。
僕はてっきり五十嵐には疎まれていると思ってたのに。
星宮と一緒にいることで、あいつの中で僕に対する見方が好意的な方向に変わった話はかなり意外だった。
そっか。ちょっとしたきっかけで、人の気持ちは変わるんだな……。と、僕が一人でしみじみとしていると、
「もしかして月森、好きな人でもできた?」
「は⁉」
突拍子もない五十嵐の質問に、自分の顔が耳までカッと熱くなるのがわかった。
「いやーほら、よく言うじゃん? 『恋をすると人は変わる』って。あんなにツンツンしてた月森が、こんなにも丸くなったっていうことは、やっぱ好きな人ができたからじゃないかなーって思ってさ~」
五十嵐がヘラヘラ笑いながら、僕をからかってくる。
ここは適当に返事をして流せばいいだけだとわかっているのに。
「えっ? 怜って好きな人いるの?」
星宮が興味を持ったらしく、僕に食い気味にたずねてきた。
にやついてる五十嵐と違って、真顔で。
2つの大きな透き通った瞳で、僕の心の奥底を覗き込むように、じーっとこちらを見つめてくる。
あまりにも真剣な眼差しを向けられて、脳みそが急上昇していく顔の熱によって妬き切れてしまいそうだ。
「いるわけないだろ……」
これ以上星宮を直視するのに限界がきた僕は、サッと視線をそらしてボソッと呟くように返事をした。
◇ ◆ ◇
――気づけば日々が慌ただしく過ぎ去って、学園祭当日まであと数日。
出し物の準備もいよいよ大詰め。
教室の装飾も、接客時に着る衣装も、メニューやその他小物類の制作など、すべての作業が終わりに差しかかっていた。
今日は教室の飾り付けがひと段落したところで解散。
寮の部屋に戻った僕は、どっと押し寄せてくる疲れに「はあっ」と大きく息をつく。
「あー、疲れた……」
ワイシャツの襟に指を引っかけて、パタパタと風を送りながら、エアコンのスイッチを入れる。
すると、サウナのように蒸し蒸しする部屋に、冷房の涼しい空気が流れ込んできて、暑さが少しマシになった。
そういえば、星宮はどこ行ったんだろう?
僕と一緒に教室を出て行ったような気がするけど、まだこの部屋には戻ってないんだよな。
五十嵐たちとおしゃべりでもしに談話室に行ったのか、それともトイレにでも行ってたりして……。
「れーい、おつかれー!」
背後からいきなり頬に冷たいものをぐっと押しつけられた。
思いがけない事態に「ひゃっ……⁉」と悲鳴を上げて肩をすくめる僕の顔を、「びっくりした?」と星宮がニマニマしながら覗き込んでくる。
「当たり前だろ……。ってか、さっきまでどこ行ってたの?」
「自販機! 冷たいジュースが飲みたくってさー。はいこれ、怜の分!」
と、さっき僕の頬に当てていたらしき、サイダーのペットボトルを渡してくれた。
まったく。気が利くのか人騒がせなのか……。
「あ、ありがとう……」
僕はドキドキしながらお礼を言って、星宮からペットボトルを受け取る。
星宮は「どういたしまして」と返事をして、自分の分らしきコーラのペットボトルのキャップを開けて、おいしそうに中身をゴクゴク飲み始めた。
細い首に張り出した喉仏が、大きくゆっくりと上下に動いている。
なんだか凝視してはいけないような気がするのに、星宮の喉仏の動きに目が離せずにじーっと見入っていると、「どーかした?」とペットボトルから口を離した本人に気づかれてしまった。
「いや……、なんでもない」
僕は慌ててごまかすなり、先ほどもらったサイダーをあおった。
でも、あまりにも慌て過ぎていたせいで、一口飲んだだけでむせてしまう。
「ちょ、怜⁉ 大丈夫⁉」
「大丈夫……。とりあえず、立ちっぱなしもなんだし、いったん座ろっか」
「そだね。だいぶ疲れてるしね……」
「えっ? さっき、あんなにテンション高かったのに?」
「んー、これでもだいぶクタクタだよー……。ってか、ねむーい! 今すぐにでもベッドで寝たいって感じ!」
大声を出したせいで電池が切れたのか。星宮はすぐ近くにあった自分のベッドの上にダイブした。
この様子じゃ、だいぶ疲れていそうだな。って、そりゃそうか。
うちのクラスのレトロ喫茶の出し物を提案したのは星宮。
言い出しっぺだからこそか、いつも周りの人一倍頑張って学園祭の準備を進めている姿をこれまで何度となく見てきた。
今日も自分の仕事をしながら、なかなか作業が進まないクラスメイトたちの手伝いを自ら買って出ていたくらいだし。
星宮のそういう細かいところに気づいたり、周りに気を配れる性格はいいところだと思うし、今日も今日とて大変だったなと労いたいところだけど――……、
「せめて風呂には入れよ! あと、ちゃんと歯磨きもして!」
僕はベッドの上に寝転がる星宮を起こそうと、彼の腕をぐいっと引っ張った。
でも、星宮はまったくと言っていいほどびくともしない。それどころか、
「……うわっ⁉」
勢い余って足がすべって、体がふわっと宙に浮いた。
全身が重力に引っ張られるように倒れる。気づけばボフッという音がしたあと、僕はふわふわしたものに顔を埋めていた。
「ううっ……今の、なに……?」
顔を上げてずれたメガネをかけ直すと、目と鼻の先ほどの距離に星宮の顔があって、心臓が早鐘を打つ。
「う、わ……」
今更気づいたけど、ヤバい。なんだこの体勢は。
コケて倒れ込んだとはいえ、こんなの……まるで僕が星宮を組み敷いているみたいじゃないか……!
「怜……?」
目を閉じていたはずの星宮がうっすらとまぶたを開けたのに気づいて、僕はギクッとして全身を強張らせた。
「いや、あの、これは……」
この状況をどう弁解しようか。
冷や汗をかきながらしどろもどろになっている僕に向かって、星宮が「ふふっ」とかすかな笑い声を上げて目を細めた。
「怜、俺とキスしたかったんでしょ?」
瞬間、ものすごい速さで飛んできた弾丸によって、心臓を撃ち抜かれたような衝撃が僕に走った。
体温が一気に急上昇して、全身が熱さで火照ってクラクラする。
星宮に伝えたいことがあるのに、言い訳も弁明も出てこない。
それどころか僕は、熱に浮かされたように、ただ口をぱくぱくさせることしかできない。
「はっ……、はあっ……!」
なんとか熱が引いて、声を振り絞れるようになった頃には、星宮はスースーと気持ちよさそうに寝息を立てていて。僕は拍子抜けしてしまった。
さっきの星宮は、ただ寝ぼけていただけだったのかな……?
うん、きっとそうだよね。と自分に言い聞かせていながらも、僕はふと気づいてしまった。
――『俺とキスしたかったんでしょ?』と星宮に聞かれて、まったく嫌じゃなかったこと。
――むしろ、『星宮とキスをしたい』なんて思ってしまったこと。
『もしかして月森、好きな人でもできた?』
学園祭の準備で買い出しに行ったあの日、五十嵐にされた質問が頭の中によみがえる。
――僕、星宮のことが好きだ。
人付き合いが苦手なはずの自分にも、こんな気持ちが芽生えるだなんて思ってもみなかったけど。
あいつの行動や言動に心臓がドキドキうるさくなったり、顔が火照るほど熱くなったり。
姿が見えないだけで寂しくなったり、五十嵐と行動しているところを見ただけで、胸の奥が痛んで嫉妬したり。
そして何よりも、星宮と二人で一緒にいる時間が、いつまでも続いて欲しいと願っている自分がいたり――……。
星宮と接するようになってから、決して自分では制御できない体の状態や感情に振り回されてきたその理由が今ならわかる。
――僕が、星宮に恋をしているからだ。
自分のこの気持ちの名前にはっきり気づいたその瞬間。
体の奥から熱いなにかがほとばしって――、同時にものすごい不安がこみ上げてきた。
星宮が好き。いつも一緒にいたい、キスしたい、あいつの中の一番になりたい。
この身勝手で一方的で身のほど知らずな気持ちを自覚した今。
僕は今後も今までどおり、あいつに接することが出来るんだろうか?
でも――もし、いつかどこかでこの恋を星宮に気づかれてしまったら?
それで、僕たちの関係が転がり落ちるように、悪い方向に変わってしまったら?
そしたら僕は、一体どうすればいいんだろう……?
◇ ◆ ◇
「れーい。早く起きてー。遅刻しちゃうよー」
翌朝目を覚ますと、すでに身支度を整えていた星宮が、僕のことを見下ろしていた。
昨日の夜、思わず彼を組み敷いたみたいな体勢のことを思い出してドキッとしてしまう。
「えっ……、あ……お、おはよう……」
「おはよ。今日も一緒に準備頑張ろうね」
視線を泳がせる僕に対して、星宮はいつものように満面の笑みを浮かべる。
……ヤバい。心臓の動悸が激しくなってきた。
まるで、時限爆弾のスイッチが入って、カウントダウンが始まってしまったかのようだ。
どうしよう? どうすればいい?
ただでさえもたない心臓が、今にも爆発してしまいそう――……。
「あ、うん……」
僕ははじめて星宮と会ったときのように、よそよそしくサッと視線をそらしてしまった。
「怜……? どうかした……?」
「なんでもない、行こう……」
僕はベッドから起き上がると、素早く身支度を整える。
それから、「待ってよ!」と声を上げる星宮を振り返ることなく、そそくさと部屋を出た。