「きりーつ、礼」

 長かったホームルームがやっと終わって、日直の僕が号令をかけたとたん。

 静かだった教室の中が、放課後の解放感にあふれて一気に騒がしくなった。

「ヤバい! 彼氏からめっちゃ連絡きてる!」

「おーい、談話室でゲームしようぜ!」

「あたし、駅前にできたカフェに行きたい!」

 みんな、これから友達や恋人と出かけたり、遊んだりするのだろう。

 クラスメイトたちのにぎやかな声をBGMに、僕は教卓の上に山積みになっているクラス全員分のノートを両手で抱える。

 僕のクラスの日直は、こういった提出物を職員室に運ぶのも仕事内容に入ってるんだ。

 だけど、なんで僕が日直するときに限って、余計な仕事が増えてしまうんだろう……?

 と、ノートの横に置いてあった段ボールにチラッと視線を寄こして、はあっとため息と共にがっくりと肩を落とす。

 さかのぼれば、ついさっきのホームルームの終わりごろ。

 僕は担任の待鳥(まちどり)先生に、「月森ー、これもよろしく」と、段ボールを職員室の隣の教材準備室に運ぶように仕事を増やされてしまったのだ。

 できることなら、ノートと段ボール両方一緒に持って行きたいところだけれど、段ボール自体が両手で抱える必要があるほどの大きさがあるので不可能だ。

 ということは必然的に、僕は教室と職員室と教材準備室があるフロアを、2度も行ったり来たりする羽目になるというわけか――……。

 ああ、考えただけでもだるい。面倒くさい。やりたくない……。

 でも、先生に頼まれたからには、この仕事を放り出すにはいかないんだよな……。

 と、落ち込んでやる気がなくなった自分自身に、そう言い聞かせていたちょうどそのとき。

 視界の端から細くて白い腕が2本、にゅっと伸びてきて、教卓の上の段ボールを軽々と持ち上げた。


「手伝うよ」

 聞き覚えのある声にハッと我に返ると、両手で段ボールを抱えた星宮と目が合った。

 困り果てた僕に気づいて、手伝いを買って出てくれたことに関してはとてもありがたいし、素直に感謝する気持ちもある。

 でも、相手はあの星宮だ。

 苦手なやつに借りを作るような真似はしたくない……。

「いや、いいよ。大丈夫」

 僕は首を横に振って、星宮の手伝いを断った。

「これは日直の仕事だし、僕一人でできるから」

 そう付け加えるように言ったのに、星宮はムッと顔をしかめて唇をとがらせる。

「もーっ。怜ってば、遠慮しなくていいんだよ⁉ 二人で分担して運べばすぐに終わるじゃん」

「それはまあ、そうだけど……」

「ってか、俺に運ばせてよ」

 突然、星宮が僕の顔を覗き込んで、くしゃっとした明るい笑顔を見せた。

 瞬間、僕の心にかかっていた、黒雲のようにモヤモヤしたものが吹き飛んでいく。

「えっ? 何で……?」

「だって、怜にレポート見せてもらった後のお礼、まだ何もしてないからさ」

 そういえば、昨日の夜。

 提出期限の迫った課題のレポートに取り組む星宮が、『全然終わらない……!』と嘆いているのが見ていられなくて――……。

 仕方なく僕が作成したものを渡して、書き写させてあげたんだっけ。

 ということは、星宮はそのときの借りを今、僕に返そうとしているってわけなのか……?

「れーい、なにぼーっとしてんの?」

 気づけば、いつの間にか教室のドア付近にいる星宮が、不思議そうな顔でこちらを見つめている。

「ほら、早く行こうよ」

「あっ……、うん。わかった」

 僕は我に返ってうなずくと、急いで星宮の後を追った。


   ◇ ◆ ◇


 二人で廊下を歩いていて気づいたんだけど、僕が思っている以上に、星宮はこの学校ではかなり人気がある有名人らしい。

 特に女子からの人気が高いみたいようだ。

 星宮が、おしゃべりに夢中な女子たちの近くを通りかかっただけで、「ヤバい! 今、七緒くんと目が合った!」と色めき立った声が聞こえてくるほどだ。

 気づけば廊下にいる女子のほどんどが、星宮に向かって熱烈な視線を注いでいた。

 だが、当の本人はというの、自分が注目されている自覚がないのか。それとも、わかっててあえてスルーしてるのか。

 女子たちに何の反応も示さない。それどころか、「この段ボール、教材準備室に持って行けばいいんだよね?」と、振り返るなり僕に確認を求めてくる。

「ああ。適当に、棚の空いてるところに入れとけばいいから」

「わかった。ありがとう、怜」

 ニコッと屈託のない笑顔を向けてくる星宮に、僕はほんの一瞬目を奪われてしまう。

 まただ……。

 昨日の夜、男子寮の屋上にいたときと同じように、またしてもあいつに目が釘付けになってしまった。

 苦手なやつのはずなのに、どうしてこうも僕の視線はあいつに引き付けられてしまうんだろう?

 たしかに星宮は人目を惹く容姿をしているし、つい目が釘付けになってしまうのはある意味当然だとは思うけど……。

「どしたの? 怜」

 ハッと我に返ると、星宮が僕の顔を不思議そうに覗き込んでいた。

 お互いの顔の距離があまりにも近いことに気づいて、僕の心臓がドキッと高鳴る。

「なんでもないから……。ほら、行こう」

 僕はドキドキしているのを誤魔化すように、早歩きで先を急ぐ。

 目的のフロアにたどり着くと、僕はここでいったん星宮と別れることにした。

「星宮、手伝ってくれてありがとう。じゃあ、僕はこれで」

「あ、うん……」

 呆気に取られた星宮を置いて、僕は職員室に入るなりドアをピシャッと閉めた。

 とたんに、妙な緊張感から解放されたような、大きなため息が口からもれる。

「はぁ……」

「おっ、月森じゃん。ご苦労様さん」

 すぐ近くのデスクで缶コーヒーを飲んでいた待鳥先生が、僕に声をかけてきた。

 かと思えば、いきなり「どうした?」と僕の顔を覗き込んでくる。

「何がですか……?」

「いや、何がって……お前、すげー顔真っ赤だぞ?」

 今まで気づいていなかったけど、先生に指摘されたせいか、顔が耳までかあっと熱くなった。

 いつから? ってか、何がきっかけでこうなったんだろう……?

 と僕が考えていたその瞬間、頭の中に星宮の顔がパッと現れた。

 いやいやいや、何で星宮⁉

 これじゃあまるで、僕があいつを意識しているみたいじゃないか……!

 そう思ったとたんに、顔の熱が余計に急上昇してもう大変。

 頭の中の星宮を叩き出すのと、顔の熱を冷ますように、あわててブンブンとかぶりを振った。

 そんな今の僕はたぶん、はたから見たらかなり挙動不審なんだろう。

「だ、大丈夫か? 月森……」

「まあ、一応……。あんまり気にしないでください」

 心配されているのはわかるけど、もうこれ以上待鳥先生にあれこれ聞かれたくなくて、僕は平静を装って返事をした。

 提出物用の棚にノートの束を仕舞い込んだあと、職員室のドアをガラッと開ける。

 それから廊下に出ようとした、まさにそのちょうどそのとき――……。

「あっ! あのっ……!」

 突然、振り絞ったような甲高い声が、僕の耳をつんざいた。

 なんだよ急に……。と、キーンとする耳を手でふさぎながら前を見る。

 すると、そこには手ぶらの星宮と、さっきの声の主らしき女子が、廊下のど真ん中で向き合っていた。

 この女子、どこかで見覚えがあるな……。って、隣のクラスの白井(しらい)さんだ。

 毛先が柔らかそうな淡いベージュ色のボブヘアに、長いまつ毛に縁どられたくりっとした目。

 内側からほんのりと色づく、花びらのように赤い唇。

 丁寧にこしらえられた人形のように均等が整った、守ってあげたくなるような小柄な体。

 まさに『美少女』って言葉がぴったりと合う白井さんは、学年1かわいいことで有名だ。

 クラスの男子たちが彼女のことを、『彼女にしたい女子ナンバーワン』と話題にしていたのを、教室で聞いたことがある。

「えっと……星宮くん。今、いいかな……?」

 頬をほんのりとピンクに染めながらたどたどしく言葉を紡ぐなり、潤んだ瞳で星宮を見上げる白井さん。

 ――ああこれ、告白だな。

 まだ確実にそうとは決まったわけじゃないけれど。

 今まで見てきた映画や漫画での告白直前の場面で、こんな感じのシーンがあったのを思い出してピンときた。

 あれって現実でもあるんだな……。

 で、肝心の星宮はというと――なんだかいつもより緊張しているのか、どこか態度がぎこちない。

「んーっと……たしか、白井さん? だよね。俺になんか用?」

「ちょっと、一緒に来て欲しい所があって……」

 へらへらと作り笑いを浮かべていた星宮の表情が、ほんの一瞬硬くなった。

「そ、そっか……わかった。じゃあ行こっか」

 星宮はにっこり笑ってうなずくと、チラッと僕に視線を寄こして、

「じゃ、怜。またあとでね」

 僕に軽く手を振って、白井さんと廊下を歩き出した。

 あの2人、お似合いだな……。横に並んでるだけでも、本物のカップルみたいだ。

 小さくなっていく星宮と白井さんの背中を黙って見送っていると、なんだか急に二人が遠い存在のように思えてきて。

 どうしてか、胸の奥がチクッと痛んだ気がした。


   ◇ ◆ ◇


 星宮のやつ、もう白井さんに告白されてんのかな?

 いや、違うかもしれないけど……もし、白井さんが『好きです』と告げたのなら、星宮は一体どんな返事をするんだろう……?

 まあ、十中八九付き合うんだろうな。

 あんな美少女に告白されたら、星宮も満更でもなさそうだろうし。

 あのあと、一人で荷物を取りに教室に戻ってからも、男子寮の部屋で読書をしていても。

 僕の頭の中は、星宮の白井さんとのことでいっぱいだった。

 あの二人が今後どうなろうが、僕にはなにも関係ないのはわかってる。

 わかっているはずなのに、ものすごく気になって仕方ない……。

 そうこうしているうちに、僕の頭の中は読んでいる本の内容ではなく、星宮と白井さんのことで埋め尽くされてきた。

 とりあえず、いったん頭を冷やそう。そのために、しばらく外の風に当たりに行こう。


   ◇ ◆ ◇


 ――と、いうことで。

 僕はいつものように、男子寮の屋上に向かった。

 下にいる人たちにバレないように。死角になる方向にある柵の手すりに腕を乗せて、目の前に広がる空を眺める。

 気づけば、もうすっかり夕暮れ時。

 薔薇(ばら)色がかった西の空には、オレンジ色の夕日が沈みかけていた。

 反対側の東の空は、淡い紫色から藍色のグラデーションになっていて、そこに大きな三日月と小さな星が光を放って輝いている。

 そういえばあの星、なんだか星宮の髪色に似てる気がするな。

 そんなことを考えて、ふと、いつも目にするあいつの柔らかそうなプラチナブロンドの髪を思い出していると、

「怜?」

 急に背後から名前を呼ばれた。

 ハッとして振り返ると、ここにいなかったはずの星宮が、こっちに向かって駆け寄ってくる。

「またこんな所に来てたんだ?」

 星宮は僕の隣に並び立つなり、横から顔をのぞき込んできた。

「まあ……、気分転換で……」

「本当に?」

「えっ?」

「俺と白井さんの行方が気になって、ここから探してたんじゃないの?」

 クスッと不敵な笑みをこぼす星宮に、心臓がドキッと跳ね上がる。

 僕は、星宮と白井さんの居場所を探すためにここに来たわけじゃない。

 でも、別の意味での二人の行方が気になっていたのは事実だ。

「そんなんじゃないけど……白井さんに呼ばれた後、告白されたのか?」

 下世話だとわかっているけど、気になるものは気になるので、星宮に向かってストレートに質問をぶつける。

「うん。『付き合ってください』って言われたね」

 星宮は変に話をはぐらかすことなくうなずいた。

 やっぱりそうか……。僕の予想は当たってたんだな。

「でも、断ったよ」

「……えっ⁉」

 次の瞬間放たれた星宮の発言に、僕は自分の耳を疑った。

 あの『学年一の美少女』と評判の白井さんに告白されたのに断っただなんて――……。

 てっきり、『二人は付き合うだろう』と思い込んでいた僕は、予想外の結末にしばらく絶句してしまった。

「うわー、もったいな……」

「そんなことを言われても。俺、別に白井さんのこと好きじゃないんだもん」

「試しに付き合ってみようとも考えなかったわけ?」

「ないない。まーったく考えてない」

 星宮は首を横に振った。

「その気もないのに同情して、相手に合わせてしまったら、待っているのはお互いが不幸になる結果だからね」

 いつもの明るい調子でそう言った星宮の口角は上がっていたけど、目はちっとも笑っていなかった。

 放たれた言葉の響きもやたらとリアルで、胸の奥にずしんとくるような説得力がある。

「きっぱり断るのも優しさの1つだよ。というわけで、一緒にご飯食べに行こっ」

「あ、ああ……」

 僕は呆気にとられたままコクコクとうなずいて、星宮と一緒に屋上を出た。

 階段を降りて、ようやく1階へたどり着いたその直後。

「おぉーっ! 七緒、ちょうどよかった!」

 突然、背後からチャラチャラした明るい金髪の男子が、こちらに駈け寄ってきた。

 クラスメイトの五十嵐(いがらし)だ。

 教室の中心にいる派手で目立つタイプで、星宮とは気が合うのかよくつるんでいる。

「んー、どうしたの?」と星宮がたずねると、五十嵐は「急で悪いんだけど」と切り出して。

「今週の金曜日、俺が幹事やる合コンに参加してくれない?」

 告白の次は合コンの誘いか。星宮って、次から次へと恋愛に関することに巻き込まれるな。

 まあ、それだけこいつがモテるってことなんだろうけど、肝心の本人は喜ぶどころか迷惑そう。

「やだ」

 ムッとした顔で五十嵐の誘いを断って、ぷいっとそっぽを向いてしまう。

「俺、マジでそういうの興味ないからさー。ほか当たってくんない?」

 唇をとがらせてあしらう星宮に対して、五十嵐はまったく引き下がらない。

「今はフリーなんだろ? ってか、七緒が来ないと寂しいし、男子の人数も足りなくなっちゃうからさ。その場にいるだけでもいいから参加して!」

「え~っ……」

「俺が会費おごるから! 今回だけは、ほんっとにお願い‼」

「んー、そこまで言うならしょうがないな……」

 パンッと音が鳴るぐらい手を合わせて深く頭を下げる五十嵐に、星宮がしぶしぶ折れた。

 というか、ここまで必死にお願いされて、会費も出してくれるって言われたら、断るに断れないだろう。

 なんて、僕がそんなことを思っていたその直後。

 急に、星宮が僕の肩に勢いよくずんっと腕を乗せてきた。

 いきなりなんだよ⁉ と目で訴えたけど、星宮はこっちを見てくれない。

 それどころか、五十嵐に向かって口を開いて、

「じゃあさ。怜も一緒に連れてっていいなら、その合コンに参加してあげるよ」


 は…………?

 え、待って。どういうこと?

 この合コン、僕も参加することになんの……?

 あまりにも唐突。しかも、急に変なことに巻き込まれて、頭の中がパニックを起こしている。

 それは五十嵐も同じらしく、「えっ? 月森も……⁉」と僕の顔を見つめて、大きく見開いた目を白黒させていた。

 あたりには気まずい空気が流れていて、できることなら今すぐにでも逃げ出したくてしょうがない。

「いいじゃん別に。人数多い方が盛り上がるでしょ」

「それはまあ、そうだけど……。でも……」

「俺は怜と一緒がいいから。2人セットじゃ駄目なら参加しないからね!」

 目をキッと三角につり上げて詰め寄る星宮に、今度は五十嵐の方が折れた。

「わ、わかった……! じゃー……、月森も当日よろしくな!」

 へどもどしながら愛想笑いを浮かべる五十嵐に、僕は「あ、ああ……」とぎこちなく返事をした。

「怜、今週の金曜だからね。絶対に一緒に行こうね」

 星宮が圧の強い笑顔で、僕に念を押ししてくる。

 最悪だ。こんな強引なかたちで、生まれてはじめて合コンに参加することになるだなんて……。

 できれば夢であってくれ。そんでもって、早いとこ覚めて欲しい……。