話が長くなるかもしれないから、ということで。
僕と星宮は、いったん下の階にある自分たちの部屋に戻った。
――星宮のやつ、どうして僕が2年前の話をせがんだとき、ほんの一瞬ためらったんだろう……?
もしかして、僕とはじめて出会ったときに、あいつが人に言えないような後ろめたいことや、恥ずかしいことを仕出かしてしまったから――、なんて理由でもあったりするのかな……?
星宮がお風呂に入っている間も、やっと僕の順番がきた今も。
僕の頭の中ではずっと、この疑問がぐるぐる回っていた。
でも、結局は星宮本人の口から聞かないと、本当のことは何もわからない。
一刻も早く星宮の話が聞きたくて、僕は急いで体を洗って、服を着て部屋に戻った。
星宮は自分のベッドに寄りかかるように座って、グラスの中の麦茶を飲んでいた。
彼の前にあるローテーブルの上には、麦茶が入った2リットル入りのペットボトルと一緒に、空のグラスが1つ置かれてる。
あのグラスはきっと僕のだ。
僕がお風呂に入っている間に、星宮が用意してくれたんだな……。
心の奥にふわっと広がる、あたたかな喜びをしみじみと感じていると、
「あっ、怜! 意外と早かったね」
僕の気配に気づいたのか、星宮がパッとこっちを向いた。
「ここに座って」と、自分が座っているすぐ横の空いてるスペースをポンポンと叩く。
素直にうなずいて星宮の隣に腰を下ろすと、すぐ近くにいる綺麗な星宮の横顔と、密着するような距離感。
それから、彼の半乾きのプラチナブロンドの髪から、僕と同じシャンプーの匂いがふわっと漂ってきてドキドキした。
「はいこれ、怜の分」と、星宮が空のグラスに麦茶を注いで僕に手渡ししてくれたあと、
「で、屋上で約束した俺と怜がはじめて出会った日のことなんだけど」
と、突然話を切り出した。
心の準備ができていかなったものだから、全身がピクッと跳ね上がった。
危うく、僕の手の中にあったグラスの中の麦茶も、こぼれそうになってしまう。
「う、うん。で、その日はどうだったの……?」
あわててグラスを握る手に力がこめた僕は、早く話の続きを聞きたくて、そわそわしながら星宮を急かす。
すると、なぜか星宮が突然、気難しげに顔をしかめて押し黙った。
「え、何? どうかした……?」
「いや。なんというか。ここからの話は必要ではあるんだろうけど、ちょっと怜にはショッキングな内容かもしれないと思ったら……、つい……」
「いやいやいや。もうここまで言っといて、続きは言わないって困るよ。ってか、はぐらかされたら余計に気になるじゃん」
「うーん、やっぱそうだよね……。わかった。ちゃんと話す」
星宮は苦笑いしつつコクコクとうなずくと、麦茶を一気にあおって、濡れた唇を開いて再び話始めた。
「俺、その頃には付き合っていた彼女がいてさ……」
「彼女⁉」
「あ、あれっ? 意外と興味津々な感じ……?」
つい前のめりになって大声を上げた僕に、星宮の目が点になった。
しばらく沈黙が続いたのち、顔をくしゃっとさせて苦笑する。
「怜がショック受けるものだと思い込んでたものだから、打ち明けるかどうか悩んだのに」
……そっか。
ということは、僕が2年前の話をせがんだとき。
星宮がためらうような反応を見せたのは、この話をするかどうか悩んでいたから、というわけか……。
正直な話、僕が星宮にとって最初の恋人だったらいいのに、とは思った。
もっとワガママを言ってしまえば、僕は星宮の最初で最後の恋人になりたい。
でも、彼は常日頃から女子にモテるイケメンだ。
中学3年生の時点で彼女の一人や二人いても、何もおかしな話ではない。
それに、星宮にはちょっと悪いけど……その彼女がどんな子だったのか、考えるだけで好奇心がわいて仕方ない。
「ちなみに、その彼女ってどんな子?」
「俺たちと同い年で同じ学校の子だよ。クラスは違ったけど、委員会は同じでさ。3年生になったとき、突然あっちから告白されて、付き合うことになったんだよね」
「うんうん」
「で、付き合って2ヶ月を目前にしたその日に別れちゃった」
「えっ? そうなの……?」
「だって、あっちが浮気してるところを見ちゃったんだもん」
「うっ……、浮気⁉」
いきなり大声を張り上げた僕に、星宮は「そ。俺の知らないうちに二股かけられてたんだよねー」と明るく笑い飛ばした。
「あの日は平日の夕方で、俺が買い物に行った帰りだったな」
「うん……」
「ちょうど近くの広場を通りかかったら偶然、彼女がいるのを見かけたんだよ。……それも、隣のクラスの男子と待ち合わせして、恋人つなぎしているところをね」
なるほど、そいつが浮気相手か……。と、僕は星宮の話の流れで理解した。
「で、どうなったの……?」
「俺がいるのがすぐにバレて、そこからはもう完全に修羅場。そこで俺は泣き叫ぶ彼女に『本当はあたしのこと、好きでもなんでもないくせに‼』って、カップルの痴話喧嘩でよく聞くセリフみたいなことを言われてさ……。そこでめちゃくちゃ自分を責めた」
「どういうこと?」
浮気という形で彼女に裏切られたのは星宮なのに、そこで自分を責める必要……ある?
アレか? 『浮気される方にも原因がある』っていうやつか? と僕が考え込んでいると、
「彼女に自分の気持ちを見透かされていたからだよ」
と、星宮が僕の心の声を読んだように教えてくれた。
「実は俺、彼女に告白されたとき、一度断ったんだよね。でも、泣かれちゃって……かわいそうだと思って、『いいよ』って答えて付き合ってた」
「そうだったんだ……」
「だから、浮気を目撃したときも、『裏切られた』とは思ったけど、どこかスンッとしてる自分がいたんだよね」
「うん……」
「今も本当に、あのときにちゃんと断っておけば、俺も彼女も不幸な結果を味わわずに済んだのかもね」
『その気もないのに同情して、相手に合わせてしまったら、待っているのはお互いが不幸になる結果だからね』
ふと、白井さんの告白を断ったあとの星宮が、屋上で言っていた言葉が頭の中によみがえった。
このあと立て続けに、『きっぱり断るのも優しさの1つだよ』と言っていたのも思い出す。
あれは星宮なりの、自分に告白してくれた相手に対する思いやりだったんだ。
「で、結局彼女は浮気相手と一緒に広場を出て行っちゃって。俺も俺で、なんだかんだで裏切られたショックを受けて、歩く気力もなくなって。しばらく近くにあったベンチに座ってたら、今度は大雨が降ってきてさー」
「泣きっ面に蜂じゃん」
「そうなんだよ。まあ、6月で雨が降りやすい時期でもあったからね……。で、びしょ濡れになりながら、もう全部どうでもよくなったそのとき、急に俺の頭の上だけ雨が止んだんだ」
「えっ……?」
「……ありえないでしょ? あのときの俺もそう思った。そしたら、『……大丈夫?』って声が落ちてきて――顔を上げたら、俺に傘を差し出して、中に入れてくれた他校の男の子がいたんだ」
星宮がふっと笑って、俺の顔をまっすぐに見つめた。
「それが、俺と怜の出会い」
その瞬間。僕の記憶によみがえったびしょ濡れの男の子の面影が、今の星宮とぴったり重なり合った。
水族館に行った日の帰りや、その次の日に夢で見たときは、あの面影の正体が誰だかわからなかったけど、今ならわかる。
「……思い出した」
ぽつりと呟く僕の耳に、星宮がハッと息を呑む声が聞こえた。
あのとき――2年前の6月の、大雨が降った夜。
ほっとけない衝動に駆られて、これ以上濡れないようにと僕が傘に入れたびしょ濡れの男の子は――星宮、君だったんだね。
「よかった……。怜、やっと俺のことを思い出してくれたんだね」
星宮が僕の顔を覗き込んで、嬉しそうに破顔する。
あたりに和やかな空気が流れて、僕もつられて顔がゆるんだ。
「それにしても、あのとき1度会ってから2年近くもたって、地元から離れたこの学校でまた再会するなんて……すごいめぐり合わせだよね」
「ふふっ。まあ、そのきっかけを作ったのは、俺が怜のことをしっかり覚えていたからかな」
星宮が自画自賛するみたいに、偉そうに鼻を鳴らす。
「どういうこと?」
「実は俺、怜の傘の持ち手に貼ってあったラベルに、『月森怜』ってフルネームが書いてあったのを覚えてたんだよね」
「えっ? そうなの⁉」
まさかの、思いがけないところから、僕の名前を知った星宮に驚愕する。
「そりゃそうでしょ。だって俺、怜にはじめて会ってすぐ、一目惚れしちゃったんだもん。また会いたくなるに決まってるじゃん。だから、顔と名前はしっかり覚えていたんだけどさ……すぐに受験で忙しくなって、探そうにも探せなくなったんだけどさ」
「こればっかりは仕方ないな」
「まあね。だから、『もう会えないんだろうな』って諦めかけたとき、同じクラスの友達が、怜の話をしているのを聞いてさ……」
「それって、僕の同級生?」
ふと気になって星宮にたずねると、「同じ中学の出身だって言ってたよ」と教えてくれた。
「そこで俺は、怜が青海学園にいるって知ったんだよ。でもって、しばらくしたあとに、今度は俺が2年生に進級する4月に、親父が仕事で海外に異動することが決まってさ。――まあ、こんな感じでいろんな偶然とタイミングが重なったのをチャンスに、俺は青海学園に転校を決めたわけなんだよ」
「ということは、星宮は僕に会いに来てくれたってこと……?」
はにかむみたいに星宮がコクンとうなずいたあと、僕の心に嬉しさがこみ上げてきて、胸の奥がいっぱいになる。
はじめて会った2年前から、この学校で再会する今年まで。
この長い間、会えなかったにも関わらず、星宮は僕のことをずっと覚えてくれていて、ずっと好きでいてくれて。
また会いにことを考えていてくれて――こうして、同じ学校の生徒になって、僕に会いに来てくれたんだな。
そう考えたら、僕ってめちゃくちゃ星宮に想われていたんだなって。
けっこうな幸せ者だな。って、しみじみと実感する。
「あ……でも、ある程度はわかってはいたけどさ。久しぶりに会った怜が、俺のことをすっかり忘れてたのは、ちょっとこたえたかも」
苦笑いを浮かべて付け加える星宮に、僕は痛いところを突かれたように「うっ」とうめいた。
それは星宮があのときよりも成長して、髪色も変わってたからわからなかったから――というある意味正当な言い分はあるけれど、実際水族館からの帰りまで、僕が2年前に彼と出会っていた過去を忘れていたことは事実だ。
「ごめん……」
僕が誠心誠意をこめて謝ると、星宮が無言でこちらに近づいてきた。
何だろう? と思ったとたん――ちゅ、というリップ音と共に、唇に軽いキスをされた。
「いいよ。怜が一生忘れられなくなる思い出は、これから俺と一緒にたくさん作っていけばいいんだから」
そう言って、呆気に取られてしまった僕に向かって、空に輝く星のように眩しい絵顔を見せてきたのだった。
◇ ◆ ◇
そのあと、僕は星宮のベッドで、二人で一緒に横になった。
恋人同士になれたし、地元も同じだとはいえ、僕たち二人がこの部屋に一緒にいる時間は限りなく少ないからだ。
夏休みが終わって2学期になればまた、1日中星宮と一緒の高校生活が始まると、頭の中ではちゃんとわかってはいる。
……でも、今日と明日の夜だけは、愛しい恋人のすぐそばでゆっくりと眠っていたい。
僕は愛おしいのと名残惜しいが混ざり合った気持ちで、星宮の寝顔を見つめた。
目を閉じて、すやすやと安らかな寝息を立てている星宮は、2年前にはじめて出会ったときのようにあどけない顔をしていた。
ただ眺めているだけなのに、なんだか守るべきものを前にしたような、体の奥から愛おしい気持ちがほとばしってあふれていく。
「……好きだよ、七緒」
僕は眠っている恋人にささやくと、そっと彼の唇にキスをして、ゆっくりと目を閉じた。
僕と星宮は、いったん下の階にある自分たちの部屋に戻った。
――星宮のやつ、どうして僕が2年前の話をせがんだとき、ほんの一瞬ためらったんだろう……?
もしかして、僕とはじめて出会ったときに、あいつが人に言えないような後ろめたいことや、恥ずかしいことを仕出かしてしまったから――、なんて理由でもあったりするのかな……?
星宮がお風呂に入っている間も、やっと僕の順番がきた今も。
僕の頭の中ではずっと、この疑問がぐるぐる回っていた。
でも、結局は星宮本人の口から聞かないと、本当のことは何もわからない。
一刻も早く星宮の話が聞きたくて、僕は急いで体を洗って、服を着て部屋に戻った。
星宮は自分のベッドに寄りかかるように座って、グラスの中の麦茶を飲んでいた。
彼の前にあるローテーブルの上には、麦茶が入った2リットル入りのペットボトルと一緒に、空のグラスが1つ置かれてる。
あのグラスはきっと僕のだ。
僕がお風呂に入っている間に、星宮が用意してくれたんだな……。
心の奥にふわっと広がる、あたたかな喜びをしみじみと感じていると、
「あっ、怜! 意外と早かったね」
僕の気配に気づいたのか、星宮がパッとこっちを向いた。
「ここに座って」と、自分が座っているすぐ横の空いてるスペースをポンポンと叩く。
素直にうなずいて星宮の隣に腰を下ろすと、すぐ近くにいる綺麗な星宮の横顔と、密着するような距離感。
それから、彼の半乾きのプラチナブロンドの髪から、僕と同じシャンプーの匂いがふわっと漂ってきてドキドキした。
「はいこれ、怜の分」と、星宮が空のグラスに麦茶を注いで僕に手渡ししてくれたあと、
「で、屋上で約束した俺と怜がはじめて出会った日のことなんだけど」
と、突然話を切り出した。
心の準備ができていかなったものだから、全身がピクッと跳ね上がった。
危うく、僕の手の中にあったグラスの中の麦茶も、こぼれそうになってしまう。
「う、うん。で、その日はどうだったの……?」
あわててグラスを握る手に力がこめた僕は、早く話の続きを聞きたくて、そわそわしながら星宮を急かす。
すると、なぜか星宮が突然、気難しげに顔をしかめて押し黙った。
「え、何? どうかした……?」
「いや。なんというか。ここからの話は必要ではあるんだろうけど、ちょっと怜にはショッキングな内容かもしれないと思ったら……、つい……」
「いやいやいや。もうここまで言っといて、続きは言わないって困るよ。ってか、はぐらかされたら余計に気になるじゃん」
「うーん、やっぱそうだよね……。わかった。ちゃんと話す」
星宮は苦笑いしつつコクコクとうなずくと、麦茶を一気にあおって、濡れた唇を開いて再び話始めた。
「俺、その頃には付き合っていた彼女がいてさ……」
「彼女⁉」
「あ、あれっ? 意外と興味津々な感じ……?」
つい前のめりになって大声を上げた僕に、星宮の目が点になった。
しばらく沈黙が続いたのち、顔をくしゃっとさせて苦笑する。
「怜がショック受けるものだと思い込んでたものだから、打ち明けるかどうか悩んだのに」
……そっか。
ということは、僕が2年前の話をせがんだとき。
星宮がためらうような反応を見せたのは、この話をするかどうか悩んでいたから、というわけか……。
正直な話、僕が星宮にとって最初の恋人だったらいいのに、とは思った。
もっとワガママを言ってしまえば、僕は星宮の最初で最後の恋人になりたい。
でも、彼は常日頃から女子にモテるイケメンだ。
中学3年生の時点で彼女の一人や二人いても、何もおかしな話ではない。
それに、星宮にはちょっと悪いけど……その彼女がどんな子だったのか、考えるだけで好奇心がわいて仕方ない。
「ちなみに、その彼女ってどんな子?」
「俺たちと同い年で同じ学校の子だよ。クラスは違ったけど、委員会は同じでさ。3年生になったとき、突然あっちから告白されて、付き合うことになったんだよね」
「うんうん」
「で、付き合って2ヶ月を目前にしたその日に別れちゃった」
「えっ? そうなの……?」
「だって、あっちが浮気してるところを見ちゃったんだもん」
「うっ……、浮気⁉」
いきなり大声を張り上げた僕に、星宮は「そ。俺の知らないうちに二股かけられてたんだよねー」と明るく笑い飛ばした。
「あの日は平日の夕方で、俺が買い物に行った帰りだったな」
「うん……」
「ちょうど近くの広場を通りかかったら偶然、彼女がいるのを見かけたんだよ。……それも、隣のクラスの男子と待ち合わせして、恋人つなぎしているところをね」
なるほど、そいつが浮気相手か……。と、僕は星宮の話の流れで理解した。
「で、どうなったの……?」
「俺がいるのがすぐにバレて、そこからはもう完全に修羅場。そこで俺は泣き叫ぶ彼女に『本当はあたしのこと、好きでもなんでもないくせに‼』って、カップルの痴話喧嘩でよく聞くセリフみたいなことを言われてさ……。そこでめちゃくちゃ自分を責めた」
「どういうこと?」
浮気という形で彼女に裏切られたのは星宮なのに、そこで自分を責める必要……ある?
アレか? 『浮気される方にも原因がある』っていうやつか? と僕が考え込んでいると、
「彼女に自分の気持ちを見透かされていたからだよ」
と、星宮が僕の心の声を読んだように教えてくれた。
「実は俺、彼女に告白されたとき、一度断ったんだよね。でも、泣かれちゃって……かわいそうだと思って、『いいよ』って答えて付き合ってた」
「そうだったんだ……」
「だから、浮気を目撃したときも、『裏切られた』とは思ったけど、どこかスンッとしてる自分がいたんだよね」
「うん……」
「今も本当に、あのときにちゃんと断っておけば、俺も彼女も不幸な結果を味わわずに済んだのかもね」
『その気もないのに同情して、相手に合わせてしまったら、待っているのはお互いが不幸になる結果だからね』
ふと、白井さんの告白を断ったあとの星宮が、屋上で言っていた言葉が頭の中によみがえった。
このあと立て続けに、『きっぱり断るのも優しさの1つだよ』と言っていたのも思い出す。
あれは星宮なりの、自分に告白してくれた相手に対する思いやりだったんだ。
「で、結局彼女は浮気相手と一緒に広場を出て行っちゃって。俺も俺で、なんだかんだで裏切られたショックを受けて、歩く気力もなくなって。しばらく近くにあったベンチに座ってたら、今度は大雨が降ってきてさー」
「泣きっ面に蜂じゃん」
「そうなんだよ。まあ、6月で雨が降りやすい時期でもあったからね……。で、びしょ濡れになりながら、もう全部どうでもよくなったそのとき、急に俺の頭の上だけ雨が止んだんだ」
「えっ……?」
「……ありえないでしょ? あのときの俺もそう思った。そしたら、『……大丈夫?』って声が落ちてきて――顔を上げたら、俺に傘を差し出して、中に入れてくれた他校の男の子がいたんだ」
星宮がふっと笑って、俺の顔をまっすぐに見つめた。
「それが、俺と怜の出会い」
その瞬間。僕の記憶によみがえったびしょ濡れの男の子の面影が、今の星宮とぴったり重なり合った。
水族館に行った日の帰りや、その次の日に夢で見たときは、あの面影の正体が誰だかわからなかったけど、今ならわかる。
「……思い出した」
ぽつりと呟く僕の耳に、星宮がハッと息を呑む声が聞こえた。
あのとき――2年前の6月の、大雨が降った夜。
ほっとけない衝動に駆られて、これ以上濡れないようにと僕が傘に入れたびしょ濡れの男の子は――星宮、君だったんだね。
「よかった……。怜、やっと俺のことを思い出してくれたんだね」
星宮が僕の顔を覗き込んで、嬉しそうに破顔する。
あたりに和やかな空気が流れて、僕もつられて顔がゆるんだ。
「それにしても、あのとき1度会ってから2年近くもたって、地元から離れたこの学校でまた再会するなんて……すごいめぐり合わせだよね」
「ふふっ。まあ、そのきっかけを作ったのは、俺が怜のことをしっかり覚えていたからかな」
星宮が自画自賛するみたいに、偉そうに鼻を鳴らす。
「どういうこと?」
「実は俺、怜の傘の持ち手に貼ってあったラベルに、『月森怜』ってフルネームが書いてあったのを覚えてたんだよね」
「えっ? そうなの⁉」
まさかの、思いがけないところから、僕の名前を知った星宮に驚愕する。
「そりゃそうでしょ。だって俺、怜にはじめて会ってすぐ、一目惚れしちゃったんだもん。また会いたくなるに決まってるじゃん。だから、顔と名前はしっかり覚えていたんだけどさ……すぐに受験で忙しくなって、探そうにも探せなくなったんだけどさ」
「こればっかりは仕方ないな」
「まあね。だから、『もう会えないんだろうな』って諦めかけたとき、同じクラスの友達が、怜の話をしているのを聞いてさ……」
「それって、僕の同級生?」
ふと気になって星宮にたずねると、「同じ中学の出身だって言ってたよ」と教えてくれた。
「そこで俺は、怜が青海学園にいるって知ったんだよ。でもって、しばらくしたあとに、今度は俺が2年生に進級する4月に、親父が仕事で海外に異動することが決まってさ。――まあ、こんな感じでいろんな偶然とタイミングが重なったのをチャンスに、俺は青海学園に転校を決めたわけなんだよ」
「ということは、星宮は僕に会いに来てくれたってこと……?」
はにかむみたいに星宮がコクンとうなずいたあと、僕の心に嬉しさがこみ上げてきて、胸の奥がいっぱいになる。
はじめて会った2年前から、この学校で再会する今年まで。
この長い間、会えなかったにも関わらず、星宮は僕のことをずっと覚えてくれていて、ずっと好きでいてくれて。
また会いにことを考えていてくれて――こうして、同じ学校の生徒になって、僕に会いに来てくれたんだな。
そう考えたら、僕ってめちゃくちゃ星宮に想われていたんだなって。
けっこうな幸せ者だな。って、しみじみと実感する。
「あ……でも、ある程度はわかってはいたけどさ。久しぶりに会った怜が、俺のことをすっかり忘れてたのは、ちょっとこたえたかも」
苦笑いを浮かべて付け加える星宮に、僕は痛いところを突かれたように「うっ」とうめいた。
それは星宮があのときよりも成長して、髪色も変わってたからわからなかったから――というある意味正当な言い分はあるけれど、実際水族館からの帰りまで、僕が2年前に彼と出会っていた過去を忘れていたことは事実だ。
「ごめん……」
僕が誠心誠意をこめて謝ると、星宮が無言でこちらに近づいてきた。
何だろう? と思ったとたん――ちゅ、というリップ音と共に、唇に軽いキスをされた。
「いいよ。怜が一生忘れられなくなる思い出は、これから俺と一緒にたくさん作っていけばいいんだから」
そう言って、呆気に取られてしまった僕に向かって、空に輝く星のように眩しい絵顔を見せてきたのだった。
◇ ◆ ◇
そのあと、僕は星宮のベッドで、二人で一緒に横になった。
恋人同士になれたし、地元も同じだとはいえ、僕たち二人がこの部屋に一緒にいる時間は限りなく少ないからだ。
夏休みが終わって2学期になればまた、1日中星宮と一緒の高校生活が始まると、頭の中ではちゃんとわかってはいる。
……でも、今日と明日の夜だけは、愛しい恋人のすぐそばでゆっくりと眠っていたい。
僕は愛おしいのと名残惜しいが混ざり合った気持ちで、星宮の寝顔を見つめた。
目を閉じて、すやすやと安らかな寝息を立てている星宮は、2年前にはじめて出会ったときのようにあどけない顔をしていた。
ただ眺めているだけなのに、なんだか守るべきものを前にしたような、体の奥から愛おしい気持ちがほとばしってあふれていく。
「……好きだよ、七緒」
僕は眠っている恋人にささやくと、そっと彼の唇にキスをして、ゆっくりと目を閉じた。