「ち……誓います……っ! どんなに辛いときも、くじけそうなときも、そして暗闇の中にいても、和也くんを見失わないように、前を向いて生き続けますっ!」
その言葉は、千里が僕という存在をどれだけ頼りにしていたのかを物語っていた。いまさらだけど、千里のそばにいてあげられてよかったと思う。
そこで僕は自分のポケットの中に手を入れ、ジャンパーからちいさな箱を取りだした。千里はかすかな音を察して不思議そうな顔をする。
取りだした長方形の小箱を開けてから千里の指をいざなうと、千里は箱の中にあるものに触れて驚きの表情を浮かべた。
箱の中には指輪がふたつ、仲良く並んでいるのだ。
「これってもしかして、和也くんとあたしの……?」
「ああ、ペアリングだよ。メビウスの輪の形をしているんだ。永遠を意味するからね」
「でも……」
「でも、って僕とこういうことするのは嫌?」
「ううん、そんなことないよ! っていうかすごく、すごく嬉しい」
千里はあわてて首をぷるぷると横に振った。よかった、断られたら指輪が報われない。
僕は千里と心中するつもりだったから、全財産をはたいてこのペアリングを準備したのだ。でも、今はすこしだけ意味が違っている。千里との未来が途絶えたとしても、きみのことをずっと忘れない、という意味を込めて贈るのだ。
高円寺さんに箱を持ってもらい、ちいさいほうのリングを取りだす。千里の左手をそっと持ち、薬指にリングをはめ込むと、指輪はするすると指を潜り、指の根元にぴったりと収まった。
千里は薬指にはめられたそれを空に掲げて感極まった顔になる。
「千里、今度はきみの番だよ」
「あっ、ごめん。つい嬉しくて……」
僕はもう一度千里の手をいざない、リングを取ってもらう。それから左手を差しだすと、千里は僕の手を握ったところで、ふとためらいを見せる。
「……和也くん、左手はとっておきなよ。将来の誰かのためにね」
この期に及んでのそんな気遣いに胸の奥が苦しくなる。確かじゃない未来のことなんか、今はどうだっていいのに。
「いいんだよ、千里で」
「そうもいかないってば。じゃあ、せめて右手にしてよ」
一度言いだしたら引かなさそうだったので、僕はしかたなく右手を差しだす。千里は僕の薬指にリングをはめ込んだ。冷たい金属の感触が肌に伝わる。
「でも……これって永遠の誓いになるのかな」
「うん、なるよ。絶対」
千里は僕が浮かべた疑問符を払いのけるように、確信に満ちた返事をする。とたん、千里は僕の右手の指の間に自分の左手の指を滑り込ませ、恋人繋ぎで手を握った。互いの指輪が触れあって、かちりと音が跳ねた。
「ほら。ふたつのリングが繋がれば無限になるんだよ」
リングはふたりの手の中で、確かに無限の形を描いていた。目の見えない千里がそんな発想をすることに、正直驚かされた。
千里は僕をいたわるように顔をよせて囁く。
「人生は有限だけど、和也くんの未来の可能性は無限だからね」
「千里……」
胸の奥から込み上げる千里へのいとしさで言葉が出なくなった。人生のなかで千里と交錯した時間は、いつまでも眩しいままでいるはずだ。だったら、この一瞬はもっと忘れられない時間にしたい。
僕は最後の願いを千里に伝える。
「千里、きみが合唱祭で歌った『Time To Say Goodbye』を、僕も覚えたんだ。だから一緒に歌わないか」
「えっ、うそっ……!」
高円寺さんに合図を送ると、高円寺さんはフルートをケースから取りだし演奏の準備をする。
「高円寺さんが伴奏をやってくれるから」
「ええっ、有紗ちゃんも練習していたの?」
「まあね。でも私、あんまり上手くないから大目に見てね」
僕らはいつか皆で一緒に歌えたらと思い、それぞれ練習をしていたのだ。もちろん、葉山もそのことを知っている。
そのとき突然、千里の姿勢がぐらりと崩れ落ちそうになる。僕はすかさず背中に手を回して千里を支えた。千里のひたいには冷や汗が滲んでいる。
「……ごめん、ちょっとだけふらっとしちゃった」
「歌、やっぱり無理しなくていいよ」
病状がよくなくて長く立っていたのが体に堪えたのだろう。けれど、千里は腕の中で哀願するように言う。
「ううん、どうしても一緒に歌いたい。歌わなかったら絶対、後悔するもん」
「そうか、わかったよ」
無理をしてでも、千里がそうしたいというなら止めるつもりなんてない。息を整えてから自分の足で慎重に立った。葉山は迷わず千里に合図を送る。
「じゃあ千里たん、準備はいいか」
「うん。大丈夫」
不思議なことに、歌う心構えをした千里はかつての凛とした雰囲気を取り戻していた。
病魔の面影など、まるっきり消え去ったかのように。
ああ、これが僕の知る、千里のほんとうの姿なのだと実感する。
葉山が指揮者になりきって、両手の指先で空に規則的なリズムの線を描く。
澄んだ冬空の中、高円寺さんのフルートが鳴り響き、僕らの通る道を示してくれる。千里は喉を震わせて、伴奏のいざなう道に声音の旋律を乗せてゆく。
――quando sono sola(ひとりのとき)
――sogno all'orizzonte(水平線の夢を見て)
ああ、千里のビブラートはやっぱり美しい。心の奥まで沁み込むようなこの声は、いつでも僕の胸を震わせる。
千里の歌声が屋上に広がってゆく。馴染みのあるこの空間が、今日は千里のための舞台になる。振り向くと千里の両親が目頭を押さえて歌に聴き入っていた。僕も歌に心を奪われていた。
その言葉は、千里が僕という存在をどれだけ頼りにしていたのかを物語っていた。いまさらだけど、千里のそばにいてあげられてよかったと思う。
そこで僕は自分のポケットの中に手を入れ、ジャンパーからちいさな箱を取りだした。千里はかすかな音を察して不思議そうな顔をする。
取りだした長方形の小箱を開けてから千里の指をいざなうと、千里は箱の中にあるものに触れて驚きの表情を浮かべた。
箱の中には指輪がふたつ、仲良く並んでいるのだ。
「これってもしかして、和也くんとあたしの……?」
「ああ、ペアリングだよ。メビウスの輪の形をしているんだ。永遠を意味するからね」
「でも……」
「でも、って僕とこういうことするのは嫌?」
「ううん、そんなことないよ! っていうかすごく、すごく嬉しい」
千里はあわてて首をぷるぷると横に振った。よかった、断られたら指輪が報われない。
僕は千里と心中するつもりだったから、全財産をはたいてこのペアリングを準備したのだ。でも、今はすこしだけ意味が違っている。千里との未来が途絶えたとしても、きみのことをずっと忘れない、という意味を込めて贈るのだ。
高円寺さんに箱を持ってもらい、ちいさいほうのリングを取りだす。千里の左手をそっと持ち、薬指にリングをはめ込むと、指輪はするすると指を潜り、指の根元にぴったりと収まった。
千里は薬指にはめられたそれを空に掲げて感極まった顔になる。
「千里、今度はきみの番だよ」
「あっ、ごめん。つい嬉しくて……」
僕はもう一度千里の手をいざない、リングを取ってもらう。それから左手を差しだすと、千里は僕の手を握ったところで、ふとためらいを見せる。
「……和也くん、左手はとっておきなよ。将来の誰かのためにね」
この期に及んでのそんな気遣いに胸の奥が苦しくなる。確かじゃない未来のことなんか、今はどうだっていいのに。
「いいんだよ、千里で」
「そうもいかないってば。じゃあ、せめて右手にしてよ」
一度言いだしたら引かなさそうだったので、僕はしかたなく右手を差しだす。千里は僕の薬指にリングをはめ込んだ。冷たい金属の感触が肌に伝わる。
「でも……これって永遠の誓いになるのかな」
「うん、なるよ。絶対」
千里は僕が浮かべた疑問符を払いのけるように、確信に満ちた返事をする。とたん、千里は僕の右手の指の間に自分の左手の指を滑り込ませ、恋人繋ぎで手を握った。互いの指輪が触れあって、かちりと音が跳ねた。
「ほら。ふたつのリングが繋がれば無限になるんだよ」
リングはふたりの手の中で、確かに無限の形を描いていた。目の見えない千里がそんな発想をすることに、正直驚かされた。
千里は僕をいたわるように顔をよせて囁く。
「人生は有限だけど、和也くんの未来の可能性は無限だからね」
「千里……」
胸の奥から込み上げる千里へのいとしさで言葉が出なくなった。人生のなかで千里と交錯した時間は、いつまでも眩しいままでいるはずだ。だったら、この一瞬はもっと忘れられない時間にしたい。
僕は最後の願いを千里に伝える。
「千里、きみが合唱祭で歌った『Time To Say Goodbye』を、僕も覚えたんだ。だから一緒に歌わないか」
「えっ、うそっ……!」
高円寺さんに合図を送ると、高円寺さんはフルートをケースから取りだし演奏の準備をする。
「高円寺さんが伴奏をやってくれるから」
「ええっ、有紗ちゃんも練習していたの?」
「まあね。でも私、あんまり上手くないから大目に見てね」
僕らはいつか皆で一緒に歌えたらと思い、それぞれ練習をしていたのだ。もちろん、葉山もそのことを知っている。
そのとき突然、千里の姿勢がぐらりと崩れ落ちそうになる。僕はすかさず背中に手を回して千里を支えた。千里のひたいには冷や汗が滲んでいる。
「……ごめん、ちょっとだけふらっとしちゃった」
「歌、やっぱり無理しなくていいよ」
病状がよくなくて長く立っていたのが体に堪えたのだろう。けれど、千里は腕の中で哀願するように言う。
「ううん、どうしても一緒に歌いたい。歌わなかったら絶対、後悔するもん」
「そうか、わかったよ」
無理をしてでも、千里がそうしたいというなら止めるつもりなんてない。息を整えてから自分の足で慎重に立った。葉山は迷わず千里に合図を送る。
「じゃあ千里たん、準備はいいか」
「うん。大丈夫」
不思議なことに、歌う心構えをした千里はかつての凛とした雰囲気を取り戻していた。
病魔の面影など、まるっきり消え去ったかのように。
ああ、これが僕の知る、千里のほんとうの姿なのだと実感する。
葉山が指揮者になりきって、両手の指先で空に規則的なリズムの線を描く。
澄んだ冬空の中、高円寺さんのフルートが鳴り響き、僕らの通る道を示してくれる。千里は喉を震わせて、伴奏のいざなう道に声音の旋律を乗せてゆく。
――quando sono sola(ひとりのとき)
――sogno all'orizzonte(水平線の夢を見て)
ああ、千里のビブラートはやっぱり美しい。心の奥まで沁み込むようなこの声は、いつでも僕の胸を震わせる。
千里の歌声が屋上に広がってゆく。馴染みのあるこの空間が、今日は千里のための舞台になる。振り向くと千里の両親が目頭を押さえて歌に聴き入っていた。僕も歌に心を奪われていた。