「忘れるはずがないよ。でもね、和也くんはぜんぜん悪くない。だって、治療を嫌がって目をそのままにしようとしたのはあたし自身の選択だもん。それよりも、責任感で一緒にいたなんて、それこそありがた迷惑だよぉ」
千里は頬を膨らまして不機嫌の顔を作った。そう思われるのは無理もない、だけど僕にだって主張がある。
「正直、最初は責任感で、千里の手助けをすると罪悪感が軽くなる気がしていた。でも、千里と過ごす時間はすごく楽しかったんだ。ふたりで本の世界を旅して、きれいな歌を聴いて、触れあって……その時間は僕にとって、かけがえのない夢の領域だったんだよ」
千里は僕に顔を向け、膨らました頬の息を吹きだした。
「むふぅ、そう言われると恥ずかしいけど、でも……嬉しい。ほんとうは、もっと早くそう言ってほしかったけどね」
「ごめん」
「まあ、許すとしよう。でも、そのかわり、和也くんにとってのあたしって、どんな存在だったのか教えてくれる?」
ああそうか、千里はきっと、それが知りたかったに違いない。だけど僕はいまだにその答えを持ち合わせていなかった。
僕にとっての千里は、ただの『幼馴染』ではなく、『気軽な友達』で済むはずもなく、かといって『恋人』という関係でもない。
ただ、人生の中でひととき、深く心を通わせて、同じ世界を共有していた人だ。そんな絆を、僕はどうやって表現したらいいのだろう。言葉を選びながら自分の胸の内を千里に届ける。
「――僕の語彙力じゃ、きっとこの気持ちを表せる言葉はないと思う。だけどありきたりの言葉で伝えるなら、僕にとっての千里は、絶対に一生忘れられない、とても大切で、とても愛しくて、憧れでもあるんだ」
千里は驚いたようで肩を跳ねさせ真剣な面持ちになった。僕は熱を込めて続ける。
「けれど自分の想いをどう表現しても、ぜんぜん足りるはずなんてない。それくらい、千里は僕にとってかけがえのない存在なんだ」
千里の頬がじわじわと紅潮していく。しまいにはおおっぴらに照れた顔になって、恥ずかしそうにうつむいた。
「わからなくていいよ。それだけでじゅうぶんだよぉ……」
頬を染めたまま空を仰ぎ、すーっと大気を胸の中に取り込んだ。
「ねえ、ここの空気、自然の匂いが混ざっているし、すごく澄んでいるね。それに春の匂いがするよ」
「嘘だろ、今日はあったかいけどまだ二月だよ」
「ほんとだよ。だって、ほのかに梅のつぼみの香りがするんだもん」
そう言われて僕も深呼吸したけれど、なにも感じられなかった。けれど千里の嗅覚は侮れないから、ほんとうに春は近いのかもしれない。
「そのうちちゃんと、春は来るものだから」
千里はそよ風のように囁いた。はかない笑顔を見せながらそう言った真意は、僕に未練を残すまいとした気遣いのように思えてならなかった。
そんな千里に僕がしてあげられることは、きっと限られている。
でも、今だからできることだってある。
「あのさ、千里と一度やってみたいことがあるんだ」
「やってみたいことって……?」
「すぐにわかるよ。みんなに見届けてもらいたいと思うんだ。だからちょっと待っていてね」
すっとんきょうな顔になった千里を残し、扉の向こうで待つ皆を呼びにいく。
「ふたりきりの時間はもう済んだのか?」
「ああ。でも、手伝ってもらいたいことがある」
「おっ、なにかいいこと思いついたのか?」
「まあね。じつは急いで準備してきたんだ」
葉山と高円寺さんと三人で輪を作り、作戦を説明すると、僕の思惑を聞いたふたりはさっそく沸き立った。
★
僕ら四人はフェンス際に集合した。千里の両親は僕らの様子を遠目に見守っている。
葉山と高円寺さんは、ちょっとした儀式を手伝ってもらうために呼んだのだ。でも、千里の人生の中では、おおきな意味を持つはずの儀式だ。
僕は自分の千里に対する想いが永遠なのだと、形あるものとして証明したかったのだ。
僕が葉山に目で合図をすると、葉山は僕と千里の前に立ち、仰々しい挨拶をする。
「では~、これから永遠の誓いを交わしてもらいマース」
葉山の喋り方は外国人の神父を真似たような奇妙な巻き舌だ。けれどそのひとことに、千里は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
結婚式ではないけれど、一度くらいはそんな真似事をさせてあげたいと僕は思っていた。女の子なら憧れるだろうという安易な発想からだ。
「和也くん、これって……」
「僕たちの、永遠を誓う儀式だよ」
そう言って葉山に向き合いかしこまると、千里も黙ってしゃんと姿勢を正した。
「えー、コホン。きょ……きょ……京本和也は、晴れの日も雨の日も……なんだっけ?」
葉山はさっそく言葉に詰まった。すぐさま隣から高円寺さんが小声でつっこみを入れる。
「だっ、だめじゃん葉山くん。そこは『健やかなるときも病めるときも』がいいんじゃない?」
「あっ、じゃあそうしよっか。それでいいか、京本と千里たん」
「なんで、現在進行形で相談するんだよ」
「じゃあもう、おまえがじかに言ってやれよ」
そう言って葉山はにやりと口角を上げてみせた。さては、これも葉山の思いつきの作戦なのか。
僕は千里に伝える言葉を心の中で紡いでから息を吸い込んだ。
「京本和也は、楠千里を、永遠の友人として、敬い、信頼し、愛します。千里は僕の中で一生消えることはない存在です」
隣に並ぶ千里は閉じたまぶたの顔で僕を見上げて泣きそうな顔をする。葉山はふふっと和やかに笑って続ける。
「それでは楠千里は、京本和也との友情が永遠であると誓いますか」
千里は心から振り絞るように答える。
千里は頬を膨らまして不機嫌の顔を作った。そう思われるのは無理もない、だけど僕にだって主張がある。
「正直、最初は責任感で、千里の手助けをすると罪悪感が軽くなる気がしていた。でも、千里と過ごす時間はすごく楽しかったんだ。ふたりで本の世界を旅して、きれいな歌を聴いて、触れあって……その時間は僕にとって、かけがえのない夢の領域だったんだよ」
千里は僕に顔を向け、膨らました頬の息を吹きだした。
「むふぅ、そう言われると恥ずかしいけど、でも……嬉しい。ほんとうは、もっと早くそう言ってほしかったけどね」
「ごめん」
「まあ、許すとしよう。でも、そのかわり、和也くんにとってのあたしって、どんな存在だったのか教えてくれる?」
ああそうか、千里はきっと、それが知りたかったに違いない。だけど僕はいまだにその答えを持ち合わせていなかった。
僕にとっての千里は、ただの『幼馴染』ではなく、『気軽な友達』で済むはずもなく、かといって『恋人』という関係でもない。
ただ、人生の中でひととき、深く心を通わせて、同じ世界を共有していた人だ。そんな絆を、僕はどうやって表現したらいいのだろう。言葉を選びながら自分の胸の内を千里に届ける。
「――僕の語彙力じゃ、きっとこの気持ちを表せる言葉はないと思う。だけどありきたりの言葉で伝えるなら、僕にとっての千里は、絶対に一生忘れられない、とても大切で、とても愛しくて、憧れでもあるんだ」
千里は驚いたようで肩を跳ねさせ真剣な面持ちになった。僕は熱を込めて続ける。
「けれど自分の想いをどう表現しても、ぜんぜん足りるはずなんてない。それくらい、千里は僕にとってかけがえのない存在なんだ」
千里の頬がじわじわと紅潮していく。しまいにはおおっぴらに照れた顔になって、恥ずかしそうにうつむいた。
「わからなくていいよ。それだけでじゅうぶんだよぉ……」
頬を染めたまま空を仰ぎ、すーっと大気を胸の中に取り込んだ。
「ねえ、ここの空気、自然の匂いが混ざっているし、すごく澄んでいるね。それに春の匂いがするよ」
「嘘だろ、今日はあったかいけどまだ二月だよ」
「ほんとだよ。だって、ほのかに梅のつぼみの香りがするんだもん」
そう言われて僕も深呼吸したけれど、なにも感じられなかった。けれど千里の嗅覚は侮れないから、ほんとうに春は近いのかもしれない。
「そのうちちゃんと、春は来るものだから」
千里はそよ風のように囁いた。はかない笑顔を見せながらそう言った真意は、僕に未練を残すまいとした気遣いのように思えてならなかった。
そんな千里に僕がしてあげられることは、きっと限られている。
でも、今だからできることだってある。
「あのさ、千里と一度やってみたいことがあるんだ」
「やってみたいことって……?」
「すぐにわかるよ。みんなに見届けてもらいたいと思うんだ。だからちょっと待っていてね」
すっとんきょうな顔になった千里を残し、扉の向こうで待つ皆を呼びにいく。
「ふたりきりの時間はもう済んだのか?」
「ああ。でも、手伝ってもらいたいことがある」
「おっ、なにかいいこと思いついたのか?」
「まあね。じつは急いで準備してきたんだ」
葉山と高円寺さんと三人で輪を作り、作戦を説明すると、僕の思惑を聞いたふたりはさっそく沸き立った。
★
僕ら四人はフェンス際に集合した。千里の両親は僕らの様子を遠目に見守っている。
葉山と高円寺さんは、ちょっとした儀式を手伝ってもらうために呼んだのだ。でも、千里の人生の中では、おおきな意味を持つはずの儀式だ。
僕は自分の千里に対する想いが永遠なのだと、形あるものとして証明したかったのだ。
僕が葉山に目で合図をすると、葉山は僕と千里の前に立ち、仰々しい挨拶をする。
「では~、これから永遠の誓いを交わしてもらいマース」
葉山の喋り方は外国人の神父を真似たような奇妙な巻き舌だ。けれどそのひとことに、千里は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
結婚式ではないけれど、一度くらいはそんな真似事をさせてあげたいと僕は思っていた。女の子なら憧れるだろうという安易な発想からだ。
「和也くん、これって……」
「僕たちの、永遠を誓う儀式だよ」
そう言って葉山に向き合いかしこまると、千里も黙ってしゃんと姿勢を正した。
「えー、コホン。きょ……きょ……京本和也は、晴れの日も雨の日も……なんだっけ?」
葉山はさっそく言葉に詰まった。すぐさま隣から高円寺さんが小声でつっこみを入れる。
「だっ、だめじゃん葉山くん。そこは『健やかなるときも病めるときも』がいいんじゃない?」
「あっ、じゃあそうしよっか。それでいいか、京本と千里たん」
「なんで、現在進行形で相談するんだよ」
「じゃあもう、おまえがじかに言ってやれよ」
そう言って葉山はにやりと口角を上げてみせた。さては、これも葉山の思いつきの作戦なのか。
僕は千里に伝える言葉を心の中で紡いでから息を吸い込んだ。
「京本和也は、楠千里を、永遠の友人として、敬い、信頼し、愛します。千里は僕の中で一生消えることはない存在です」
隣に並ぶ千里は閉じたまぶたの顔で僕を見上げて泣きそうな顔をする。葉山はふふっと和やかに笑って続ける。
「それでは楠千里は、京本和也との友情が永遠であると誓いますか」
千里は心から振り絞るように答える。