「さすが京本、そうこなくっちゃやってらんねーぜ!」



 葉山が僕を連れて向かったのは城西高校の屋上だった。千里は僕ら三人が屋上でおしゃべりをし、昼食をとり、親睦を深めていたことが羨ましかったらしい。だからその輪の中に入りたいと願っていたのだと、葉山は言っていた。

「有紗がアンサンブル部の練習で使うって口実で場所をおさえてくれたんだ。部外者入場の許可も取っておいた」

 葉山はそう言いながら校舎の階段を昇ってゆく。上りつめたところにある、鋼鉄製の扉の鍵を開け、屋上へと足を踏みだす。

 ぬけるように澄んだ快晴で風もなく、だから真冬にしては暖かい一日だった。

 いつもは生徒たちの話し声で雑然としているのに、誰もいない屋上はやけに静かで、まるで別世界に迷い込んだように感じられる。

 フェンス越しに街並みを眺めていると、ふいに扉がきしむ音が聞こえた。振り向くと高円寺さんとおばさんの姿が目に映った。高円寺さんはいつものようにフルートを手にしていて、僕に気づいて駆けよってくる。

「京本くん、来てくれたんだ……」

 高円寺さんは僕を見上げて瞳を潤ませる。

「ああ、葉山に説得された。千里を連れてきたんだね」

「うん。――京本くんはいい?」

「ああ、気持ちの準備はできているよ」

「じゃあ、千里ちゃんを呼ぶね。お父さんも一緒なの」

 お父さんと聞いて背筋がしゃんと伸びた。平然を装い首を縦に振ったけれど、いままで内緒で家におじゃましていたのだから怒りを買っていないかと心配になる。

 おばさんが扉を支え、その奥から千里が姿を見せた。ああ、一目見ただけで頭から足の先までがじんと痺れる。ほんとうは千里に会いたかったのだとはっきり自覚する。

 お父さんが千里の手を取っていた。ふたりでゆっくりとこちらに近づいてくる。

 向かいあった千里のお父さんは神妙な面持ちをしていた。すこぶる真面目そうな雰囲気の人だ。

「きみが……『和也くん』なんだね」

「は、はいっ!」

 悪いことなどしていないのについ、緊張してしまう。けれど、お父さんの言葉は落ち着いていて、僕を気遣ってくれているようでもあった。

「和也くん、千里のために――命がけになってくれてありがとう」

 右手をそっと差しだした。

 ああそうか、僕が千里と一緒に死ぬと口にしたことはお父さんにも筒抜けだったんだ。でも、僕の過ちのような覚悟を汲み取ってくれたことは素直に嬉しかった。

「いえ、僕だってたくさん、幸せをもらえましたから」

 その手を両手で握り返して頭を深く垂れると、おじさんは千里にそっと囁いた。

「じゃあ千里、行っておいで」

 その声はとても優しげだったから、娘の希望を叶えようとしてくれているのだとわかった。

 千里がたまりかねたように僕に向かって手を伸ばす。その手を取ると、千里は指先に力を込め僕の腕を手繰り寄せる。ごく自然に、僕の胸の中にすっぽりと収まった。探るように指先で顔に触れて感触を確かめる。

「和也くん……ほんとうに和也くんだね」

 千里はやつれていてお世辞にも良い顔色とは言えなかったけれど、それでもせいいっぱいの笑顔を浮かべてくれた。

「ああ。千里はやっぱり笑顔が似合うよ」

 葉山が高らかに声をあげる。

「じゃあ、これからしばらくはふたりだけの時間でーっす。気が済んだら呼べよな」

 僕の肩を軽く叩き、皆を扉の外へと追いやる。最後に屋上から退いたところで扉から顔だけ出して、ぐいっと親指を立ててみせた。

 いちいちお節介でありがたいやつだと、感謝の念が沸き起こる。

 ふたりきりになった屋上で千里は僕に語りかける。

「和也くん、あのときは蹴っ飛ばしてごめんね」

「僕だってごめん……千里だけじゃなくて、みんなを悲しませるようなことを言ってしまって。――でももう二度と、そんなことは口にしないから」

「うん、和也くんがいなくなったら、悲しむ人はたくさんいるよ」

「そうだね。家族だけじゃなくて、あいつらも悲しませちゃうね」

 千里の醸しだすほのかな甘い香りも、鼓膜を揺らす澄んだ声も、伝わる指先の温度も、そのすべてが懐かしかった。一度千里と触れてしまうと、そうしていたときの記憶と感覚が蘇り、すべてのわだかまりは溶けてなくなっていった。

「みんながこんなに仲良くなるんだったら、有紗ちゃんのこと、あんなに嫌わなくたってよかったのに。和也くんは今後、食わず嫌いに注意すること」

「ははっ、耳が痛いよ。でも、千里のおかげでできた絆だよ」

「じゃあ、これからもちゃんと仲良くしてねっ!」

 千里はつとめて明るく言った。

 けれどそこには自分がいなくなっても、という意味が込められているようで胸がぎゅっと締めつけられる。
 
 そこで僕は今日、伝えようと思っていたことを切りだすことにした。息を整え、思いのたけを千里に告白する。

「千里、僕はきみに謝らなくちゃいけないことがあるんだ」

「んふぅ?」

 千里は間の抜けた返事をしたけれど、僕は真顔を崩さず続ける。

「千里の目が見えなくなったのって、幼い頃、僕が病気の瞳を見て、『神様がくれた宝物』と言ってしまったからなんだよね。それで千里は真に受けて瞳を――」

「うん、そうだよ」

 千里は言い終わらないうちにあっさりと肯定した。そのけれん味のない返事に僕はひどく驚かされた。

「ずっと考えていたんだよ。なんで和也くんは、あたしと一緒にいてくれるんだろうって。それで思い当たったのが、昔のことだったんだ」

「覚えていて、しかも気づいていたんだ……」

 千里はすべてを見透かしていたのか。まさに千里眼の持ち主だ。