「えっ……! どうして……とっ、とにかくわかりました! 私たちも捜してみます」

 ――捜す、だって?

 高円寺さんは指を震わせながら電話を切った。

「おい有紗、いったいどうしたんだよ」

 葉山が問いかけると同時に高円寺さんが狼狽した顔で返す。

「千里ちゃんが消えたの!」

 心臓がどくんと跳ねあがる。

「おばさんが買い物から帰ってきたらいなかったんだって! 白杖とポシェットだけなくなっていたから、自分から出かけたはずらしいの」

 ――まさか。目が見えないのに、いったいどこへ行こうとしたんだ?

「もしかしたら、京本くんに会いに来ようとしているのかも」

「いや、そんなはずはないよ!」

 反射的に布団から飛び起きて断言する。

「いくら昔住んでいた家の近くだからって、僕の家の住所は知らないだろうし、記憶だってあやふやなはずだ。それに駅からそこそこ離れていただろ、目の見えない千里がたどり着けるはずないよ」

 しかも千里は僕を拒絶し、葉山に「和也くんにはもう会えないよ」と言っていた。だから千里が僕の家を目指す理由なんてあるはずがない。

「だけど千里、どうして黙って……」

「ひとりで出かけるなんて、よっぽど重要な事情なんだろうな、千里たんにとっては」

 葉山の言うことは腑に落ちるけれど、もしそうだとするとどんな事情なのか。

「携帯は通じなかったのか」

「故障して使えないって言っていたから、持っていないはずだ」

 そうだった。もう、いてもたってもいられない。

「じゃあ、僕も探しに行くよ」

 出かける準備をしようとすると、高円寺さんから待ったがかかる。

「だめだよ。捜索は私たちに任せて、京本くんは家で待っていて。千里ちゃんがここに来る可能性はゼロじゃないんだから」

 確かに、この家を留守にするわけにはいかない。せめて母さんが帰ってくるまで待たなければ。

「私、今すぐ戻って地元のほうを探してみる」

「俺もそうする。河川敷の公園とか、いままで一緒に行ったところを当たってみるよ」

「すまない、頼む!」

 ふたりは跳ねるように家を飛び出、駅に向かって駆けていった。

 焦る気持ちをなだめつつ、家のまわりをうろうろする。

 ふと、しばらく前に流れたニュースを思いだした。視覚障害者が駅のホームから転落して電車に轢かれたというニュースだ。もしかしたら千里の身にも、とよからぬ想像が働き背筋がぞっと冷たくなる。

 ――千里、どうしてそんな無茶をしたんだ。しかも病状だって不安定なのに。

 進展がないまま日が暮れ、あたりはすっかり暗くなった。玄関で身構えていて、母さんが帰宅したと同時に切りだす。

「母さんごめん、ちょっと出かけてくる。千里がいなくなったんだ!」

「えっ、千里ちゃんが?」

 簡潔に事情を説明し、母さんには家で待機してもらう。

「もしも家にきたら、呼び止めてすぐに連絡して」

「わかったわ、和也、頑張って。必ず千里ちゃんを見つけだしてあげて」

 母さんは僕を激励し背中を押してくれた。すぐさま自転車にまたがり、駅へ向かって一気に加速する。

 ――千里、どうか無事でいてくれ。

 駅に着いたところで改札口の駅員さんに尋ねる。

「すみません、盲目の女の子、見かけませんでしたか」

「はぁ、ちょっと待ってくださいね」

 駅員さんは手が空いたところで同僚に確認を取る。すこし前に白杖を持った女の子を見たという証言者がひとりだけいた。状況を聞くと、通り過ぎる人に邪険に扱われ、道を探そうとして下りの階段へ向かったので、駅を出るところまで手を貸したのだという。この駅には慣れていなさそうな子、とのことだった。

 だけど、その後の行方はわからないとのことだった。しかも、その女の子が千里だという証拠はどこにもない。

 駅員さんにお礼を言ってから、駅の周辺を探索する。何度も駅と自分の家を往復した。ただ、自転車の軋むチェーンの音と、自分の荒い息遣いだけが耳に残っていた。鋭い風の冷たさも空腹感も、しだいに麻痺してわからなくなる。

 けれど、千里の手掛かりは見つからなかった。

 ――千里、どこに行っちまったんだよ。

 それはまるできれいな硝子細工が指の隙間から滑り落ち、硬い床で砕け散ってしまう、その刹那を見ているような時間だった。

 千里が僕のいるこの街を目指していたとしても、僕の家にはたどり着いていない。だから事故か連れ去りか、なにか悪いことが起きたのではないかという漠然とした不安が湧き、焦りだけが募る。

 夜は更けてゆく。僕は閑散とした夜の街を、ただ茫然とさまよっている。

 するとついに、高円寺さんからスマホに連絡が入った。電話に出るとすぐさま声が届く。

『京本くん、千里ちゃんが見つかったって! おばさんから連絡が入ったの』

 そのひとことにああよかったと、心底安堵した。高円寺さんも安心したのだろう、声がうわずっている。

「高円寺さん、千里はいったいどこに……」

『京本くんの家とは反対方向の、それも終着駅で見つかったんだって』

 見つかった、という違和感のある言い方にふたたび不安を覚える。

「……どういうこと?」

『あのね、終点で駅員さんが座席で寝ている千里ちゃんを見つけたんだって。揺さぶり起こそうとしたら――倒れ込んで動かなくなったらしいの』

 ――動かなくなった?

 高円寺さんの声は安心してなんかいなかった。冷え切った心がさらに凍りつくような恐怖心に襲われる。

「千里は無事なのかっ!」

「無事なわけないよ……。でも息はあって、また病院に運ばれて救急治療を受けているみたい」

「どうしてそんな無理を……」

「訊かれても私にわかるわけ、ないってば」