「千里ちゃんはこれから読書の時間ですよ。つまらないはずありません!」
「あっ、そうなんだ。じゃあ訂正して、楽しみでーっす!」
「それでは京本くんと、ごゆっくりぃ~♪」
「高円寺さん、その意味ありげな語尾はなんとかしてくれ」
ふたりが病室を出て行ったのを見届けたところで、僕は隅に置いた紙袋を取り、中の本をテーブルに並べる。
「わぁ、紙の匂いがする~」
「さて、今日はよりどりみどりだぞ」
けれど、千里のもとを訪れたほんとうの目的は、読書のためではない。僕は千里に対して、どうしても伝えなければいけないことがあったのだ。本を持参したのはふたりきりになるための言い訳だ。
僕のほんとうの目的は、僕の覚悟を証明することだった。浮かんだ邪念を真っ向から否定できなければ、僕は残忍なエゴイストになってしまう。意を決して切りだす。
「千里……どうか聞いてほしい」
「ん……」
僕があらたまって言うと、千里は雰囲気を察したのか、背筋を伸ばして閉じたまぶたの奥から僕を正視する。
「合唱祭のときに僕の学校で歌った歌、『Time To Say Goodbye』だけどさ、題名は別れの歌っぽいけれど、ほんとうはふたりで旅に出る歌なんだってね」
――con te io li rivivr?(あなたとともにまた生きて)
――con te partir?(あなたとともに旅立とう)
「うん、そうだよ。いい歌だよねー」
「千里、きみはいつまでも僕と一緒にいたいと思っている?」
「……どういうこと」
浮かべていたいくばくかの笑顔も、神妙な空気のなかに息をひそめる。
僕には千里と深く繋がっている自負があった。誰がなんと言おうとも、千里と僕の運命は切り離せるものではなかった。
だから、たとえ裏切りと思われようが、僕は自分から千里の本心を確かめてみたかった。
そして僕はおばさんとの約束を破った。
「――千里は、自分の運命をわかっているんだよね」
千里はためらいを見せたけれど、ゆったりとおおきく息を吐きだしてからまっすぐな声で返事をする。
「わかっているよ。みんなに嫌な思いをさせちゃってごめんね」
「そんな言い方するなよ」
「でも、あたしだけ都合よく楽しませてもらって、なんのお礼もできないんだよ。それでひとりでどこかへ行っちゃうんだから、無礼の極みじゃん」
ああ、千里はやっぱり、自分の運命に気づいていたんだ。しかも、不安をごまかすように、わざとふてくされたように振舞っている。
「ばかだなぁ、千里。そんなこと言ったって、僕はずっと千里のそばにいるつもりだよ」
「嘘つかないでよ、無理だってわかっているくせに……」
千里は僕を遠ざけるかのように顔を伏せる。でも、僕の決心は揺らぐことはない。
僕は大切な人のために人生を捧げることに、なんのためらいもなかった。千里がいない世界で、生きていくことはできないのだと悟っていた。千里の声も歌も体温も、すべて僕の生きる糧となっていたのだから。
そこで僕は胸の内のすべてを綯い交ぜにして、千里に向けて吐きだした。
そう、これは僕が証明する、千里への想いのすべてだ。
「――きみが死ぬなら、僕も一緒に死ぬよ」
聞いた千里は、うつむいたまま黙り込み肩を震わせている。
――千里、どうか僕の覚悟を受け入れてほしい。
僕はただ、千里を大切に想う気持ちが真実であることを、命を懸けて証明したかった。十字架の重荷から解放されて楽になりたいというエゴよりも、その証明のほうがはるかに意味があるのだと示したかった。
千里の反応を見守る。
千里は突然身を起こし、サイドテーブルに手を伸ばした。テーブルの上をばたばたと手で探り、置いてある携帯電話をつかみとる。
腕をおおきく振りかざし、あらん限りの力でそれを僕に投げつけた。
「――ッ!」
携帯電話が頬をかすめる。背後の壁で破砕音が響いた。
跳ね返った携帯電話が足元に転がってくる。無残にも蝶番が折れ、切れた連結コードが飛びだしていた。
千里は僕に向かって荒々しく声をあげる。
「ふざけるなッ! いままで楽しそうなふりをしていたけど、ほんとうは煩わしかったんだ! 毎週毎週あたしの家に来て、ずっと本ばっかり読んで……出ていけ、ここから出て行けッ!」
千里は絶叫し、僕を拒絶した。叫ぶだけ叫ぶと布団に潜り込み、殻に閉じこもった亀のように固まった。
「千里、嘘だろ? 楽しそうなふりだなんて……」
千里におそるおそる近づき、そっと布団をめくろうとする。
突然、千里の足が伸び、闇雲に僕を蹴りつける。みぞおちに重い衝撃が走った。
「ぐふっ!」
苦痛に息が止まり悶絶して倒れ込む。けれど、千里は布団の中に隠れたまま容赦なく怒号する。
「帰れ、おまえなんかもう二度と来るな! 顔も見たくない! 帰れ――!」
たがが外れた千里は鼻息を荒くして猛り狂った。
「なっ……なんでだよ、千里……」
そのとき、看護師とおばさんがあわてて部屋に飛び込んできた。千里の叫び声を聞かれたらしい。
「いったいどうしたっていうの……?」
おばさんの表情は明らかにうろたえている。
「すみません、その……動揺してしまって……」
「まさか、あのことを言っちゃったの?」
おばさんはわなわなと震えながら尋ねた。
確かに病気のことは伝えたけれど、千里が叫んだ理由はそれじゃない。けれど、この一連の流れをみずから説明できるわけがない。全身の毛穴から嫌な汗が吹きだす。
「ごっ……ごめんなさいっ!」
「あっ、そうなんだ。じゃあ訂正して、楽しみでーっす!」
「それでは京本くんと、ごゆっくりぃ~♪」
「高円寺さん、その意味ありげな語尾はなんとかしてくれ」
ふたりが病室を出て行ったのを見届けたところで、僕は隅に置いた紙袋を取り、中の本をテーブルに並べる。
「わぁ、紙の匂いがする~」
「さて、今日はよりどりみどりだぞ」
けれど、千里のもとを訪れたほんとうの目的は、読書のためではない。僕は千里に対して、どうしても伝えなければいけないことがあったのだ。本を持参したのはふたりきりになるための言い訳だ。
僕のほんとうの目的は、僕の覚悟を証明することだった。浮かんだ邪念を真っ向から否定できなければ、僕は残忍なエゴイストになってしまう。意を決して切りだす。
「千里……どうか聞いてほしい」
「ん……」
僕があらたまって言うと、千里は雰囲気を察したのか、背筋を伸ばして閉じたまぶたの奥から僕を正視する。
「合唱祭のときに僕の学校で歌った歌、『Time To Say Goodbye』だけどさ、題名は別れの歌っぽいけれど、ほんとうはふたりで旅に出る歌なんだってね」
――con te io li rivivr?(あなたとともにまた生きて)
――con te partir?(あなたとともに旅立とう)
「うん、そうだよ。いい歌だよねー」
「千里、きみはいつまでも僕と一緒にいたいと思っている?」
「……どういうこと」
浮かべていたいくばくかの笑顔も、神妙な空気のなかに息をひそめる。
僕には千里と深く繋がっている自負があった。誰がなんと言おうとも、千里と僕の運命は切り離せるものではなかった。
だから、たとえ裏切りと思われようが、僕は自分から千里の本心を確かめてみたかった。
そして僕はおばさんとの約束を破った。
「――千里は、自分の運命をわかっているんだよね」
千里はためらいを見せたけれど、ゆったりとおおきく息を吐きだしてからまっすぐな声で返事をする。
「わかっているよ。みんなに嫌な思いをさせちゃってごめんね」
「そんな言い方するなよ」
「でも、あたしだけ都合よく楽しませてもらって、なんのお礼もできないんだよ。それでひとりでどこかへ行っちゃうんだから、無礼の極みじゃん」
ああ、千里はやっぱり、自分の運命に気づいていたんだ。しかも、不安をごまかすように、わざとふてくされたように振舞っている。
「ばかだなぁ、千里。そんなこと言ったって、僕はずっと千里のそばにいるつもりだよ」
「嘘つかないでよ、無理だってわかっているくせに……」
千里は僕を遠ざけるかのように顔を伏せる。でも、僕の決心は揺らぐことはない。
僕は大切な人のために人生を捧げることに、なんのためらいもなかった。千里がいない世界で、生きていくことはできないのだと悟っていた。千里の声も歌も体温も、すべて僕の生きる糧となっていたのだから。
そこで僕は胸の内のすべてを綯い交ぜにして、千里に向けて吐きだした。
そう、これは僕が証明する、千里への想いのすべてだ。
「――きみが死ぬなら、僕も一緒に死ぬよ」
聞いた千里は、うつむいたまま黙り込み肩を震わせている。
――千里、どうか僕の覚悟を受け入れてほしい。
僕はただ、千里を大切に想う気持ちが真実であることを、命を懸けて証明したかった。十字架の重荷から解放されて楽になりたいというエゴよりも、その証明のほうがはるかに意味があるのだと示したかった。
千里の反応を見守る。
千里は突然身を起こし、サイドテーブルに手を伸ばした。テーブルの上をばたばたと手で探り、置いてある携帯電話をつかみとる。
腕をおおきく振りかざし、あらん限りの力でそれを僕に投げつけた。
「――ッ!」
携帯電話が頬をかすめる。背後の壁で破砕音が響いた。
跳ね返った携帯電話が足元に転がってくる。無残にも蝶番が折れ、切れた連結コードが飛びだしていた。
千里は僕に向かって荒々しく声をあげる。
「ふざけるなッ! いままで楽しそうなふりをしていたけど、ほんとうは煩わしかったんだ! 毎週毎週あたしの家に来て、ずっと本ばっかり読んで……出ていけ、ここから出て行けッ!」
千里は絶叫し、僕を拒絶した。叫ぶだけ叫ぶと布団に潜り込み、殻に閉じこもった亀のように固まった。
「千里、嘘だろ? 楽しそうなふりだなんて……」
千里におそるおそる近づき、そっと布団をめくろうとする。
突然、千里の足が伸び、闇雲に僕を蹴りつける。みぞおちに重い衝撃が走った。
「ぐふっ!」
苦痛に息が止まり悶絶して倒れ込む。けれど、千里は布団の中に隠れたまま容赦なく怒号する。
「帰れ、おまえなんかもう二度と来るな! 顔も見たくない! 帰れ――!」
たがが外れた千里は鼻息を荒くして猛り狂った。
「なっ……なんでだよ、千里……」
そのとき、看護師とおばさんがあわてて部屋に飛び込んできた。千里の叫び声を聞かれたらしい。
「いったいどうしたっていうの……?」
おばさんの表情は明らかにうろたえている。
「すみません、その……動揺してしまって……」
「まさか、あのことを言っちゃったの?」
おばさんはわなわなと震えながら尋ねた。
確かに病気のことは伝えたけれど、千里が叫んだ理由はそれじゃない。けれど、この一連の流れをみずから説明できるわけがない。全身の毛穴から嫌な汗が吹きだす。
「ごっ……ごめんなさいっ!」