クリスマスを二日後に控えたその日、私たちはテーブルを挟んで対峙していた。そのテーブルの上には儀式的に並べられたパウンドケーキがふたきれ切り分けられている。
初心者でも作りやすく、目が見えなくても食べやすいということでお題がパウンドケーキとなった。もちろん、全員分用意してある。
「京本くん、胸を借りるつもりでいくわよ」
「高円寺さん、正々堂々戦おう」
京本くんは瞳を輝かせ自信をみなぎらせている。やっぱりお菓子作りの経験者は違う。
私がこしらえたのはプレーンとチョコのマーブル。ほのかに漂うラム酒の香りには洋風の色気がある、と自負している。あまたの失敗を乗り越えてついに完成にたどり着いた渾身の一作。
対して京本くんのパウンドケーキは、酒粕を織り込んだ和風テイストらしく、上品な和の香りを醸しだしていた。まさかそんなアレンジをするほどの余裕があるなんて、脅威以外の何物でもない。
「じゃあ千里たん、公平なように、ふたりのどっちが作ったか教えずに食べてもらうからな」
「うん、わかったよ」
「じゃあ京本、おまえが口に運んでやれよ」
「なんで僕がっ!」
「あっ、京本のやつが断りやがった。じゃあしょうがない、俺が食べさせてあげるからな」
「待て、それは味に影響するからパウンドケーキが可哀想だ。どっちも僕が食べさせる!」
「たっはー、やっぱり食べさせてあげたいんじゃん。素直になれよ京本!」
「ぐっ……! 本心じゃないのに!」
「えっ、和也くん、嫌なの? じゃあ、あたしひとりで泣きながら食べるよ……ぐすん」
千里ちゃんも乗って露骨に悲劇のヒロインを演じてみせた。
「京本くん、千里ちゃんを泣かせるなんてひどい人だったのねっ!」
私も内心、面白がって包囲網に加わる。京本くんはついに観念した。
「あーあー、わかったよ、ほんとうは食べさせてあげたかったです、ぜひともやらせていただきます」
「やったぁ!」
葉山くんのあざとい作戦により、こうして千里ちゃんは京本くんから「あーん」で食べさせてもらうことになった。
千里ちゃんには見えていないけれど、先攻は私のマーブルだ。
京本くんはパウンドケーキをフォークで一口サイズに切り分け、千里ちゃんの口に運ぶ。皆の視線が集中し、彼は照れくさそうに顔を赤らめている。
「はい、あーん」
千里ちゃんは声に合わせて口をおおきく開け、ケーキが口の中に運ばれると素直にぱくりとかぶりつく。
すこし咀嚼をしてから、んっ、と言って肩が跳ねた。
「これっ、美味しい! しっとりとした生地の中に濃密なバターの香りが広がっているよ。芳醇な苦みが、まるで川のせせらぎのように口の中を流れて、鮮烈な味の流線を描いているっ!」
千里ちゃんは瞬時にして味を文学的に表現した。
「わぁ、凄い食レポだね!」
やった、美味しいと思ってくれたんだ!
私は自分が作ったケーキだと気づかれない程度に表現力を褒めたけれど、心の中では派手に浮かれている。
でも、京本くんに動揺の色はない。むしろなぜか葉山くんがうろたえている。
「うう、千里たんが京本の読書に毒されている……」
「そういう意味の衝撃なのっ!」
もうこれは放っておくしか手立てがない。代わりに私が進行役を務める。
「コホン、では気を取り直して次のパウンドケーキを召し上がってください」
千里ちゃんはためらうことなく、次のひとくちにもかぶりつく。数秒の間があってから、ぱあっと表情が煌めいた。
「なにこの和の醸しだす芳醇な刺激! 醪の生きた香りがふわりと広がるよ。悪戯っぽいのに粛然としていて、ぜんぜん違う食文化が口の中でハーモニーを奏でている!」
京本くんはにやりと口角を上げた。くうっ、斬新な創作テイストとは手ごわすぎる。
「あああ、少女だった千里たんが大人の階段を昇ってしまった……」
葉山くんは今一度ショックを受けて悶えている。あと、千里ちゃんに対して微妙に語弊のある表現はやめてほしい。
葉山くんが再起不能なようなので、私は京本くんとふたりで、もうひとつのイベントを進めることにした。
「さて、千里ちゃんが結果を発表する前に、私たち城西高等学校三人組からクリスマスプレゼントを贈ります」
「わぁ、ほんと? サンタさんたち、ありがとう!」
千里ちゃんの表情はさらに輝きを増す。じつは前もって京本くんに、千里ちゃんのほしいものをそれとなく聞いてもらっていた。贈りものが入った紙の小袋を代表で私が手渡す。
「じゃーん、ボイスレコーダーだよ!」
「うわっ、ほんとに? 嬉しい~」
京本くんの話によると、自分の歌を録音し、聞き直して練習するためにほしかったのだという。だから、なるたけ操作が簡単で、指先の感覚だけで使えそうなものをみんなで厳選して購入した。
「ありがとう、大切に使わせてもらうね」
「じゃあ練習にさっそく、試してみようか」
「うんっ!」
包装を開けると、出てきたのはスティックタイプのボタン式ボイスレコーダー。電池をセットしてから千里ちゃんの指先を誘導し、ボタンの位置と機能を覚えてもらう。理解できたところで録音を試してみる。
「じゃあ、初めての録音、いきまーす!」
千里ちゃんは録音ボタンを押下し喋り始める。
「えー、はじめまして、千里ちゃんでーす! 今日はみんなが来てくれたので、さっそくインタビューしてみましょう。まずは和也くんからっ!」
唐突に三人の方向にレコーダーを差しだした。
「きょ、きょ、京本……かず、和也です、今日はお日柄もよく……あっ、ただいま雨が降ってきました!」
初心者でも作りやすく、目が見えなくても食べやすいということでお題がパウンドケーキとなった。もちろん、全員分用意してある。
「京本くん、胸を借りるつもりでいくわよ」
「高円寺さん、正々堂々戦おう」
京本くんは瞳を輝かせ自信をみなぎらせている。やっぱりお菓子作りの経験者は違う。
私がこしらえたのはプレーンとチョコのマーブル。ほのかに漂うラム酒の香りには洋風の色気がある、と自負している。あまたの失敗を乗り越えてついに完成にたどり着いた渾身の一作。
対して京本くんのパウンドケーキは、酒粕を織り込んだ和風テイストらしく、上品な和の香りを醸しだしていた。まさかそんなアレンジをするほどの余裕があるなんて、脅威以外の何物でもない。
「じゃあ千里たん、公平なように、ふたりのどっちが作ったか教えずに食べてもらうからな」
「うん、わかったよ」
「じゃあ京本、おまえが口に運んでやれよ」
「なんで僕がっ!」
「あっ、京本のやつが断りやがった。じゃあしょうがない、俺が食べさせてあげるからな」
「待て、それは味に影響するからパウンドケーキが可哀想だ。どっちも僕が食べさせる!」
「たっはー、やっぱり食べさせてあげたいんじゃん。素直になれよ京本!」
「ぐっ……! 本心じゃないのに!」
「えっ、和也くん、嫌なの? じゃあ、あたしひとりで泣きながら食べるよ……ぐすん」
千里ちゃんも乗って露骨に悲劇のヒロインを演じてみせた。
「京本くん、千里ちゃんを泣かせるなんてひどい人だったのねっ!」
私も内心、面白がって包囲網に加わる。京本くんはついに観念した。
「あーあー、わかったよ、ほんとうは食べさせてあげたかったです、ぜひともやらせていただきます」
「やったぁ!」
葉山くんのあざとい作戦により、こうして千里ちゃんは京本くんから「あーん」で食べさせてもらうことになった。
千里ちゃんには見えていないけれど、先攻は私のマーブルだ。
京本くんはパウンドケーキをフォークで一口サイズに切り分け、千里ちゃんの口に運ぶ。皆の視線が集中し、彼は照れくさそうに顔を赤らめている。
「はい、あーん」
千里ちゃんは声に合わせて口をおおきく開け、ケーキが口の中に運ばれると素直にぱくりとかぶりつく。
すこし咀嚼をしてから、んっ、と言って肩が跳ねた。
「これっ、美味しい! しっとりとした生地の中に濃密なバターの香りが広がっているよ。芳醇な苦みが、まるで川のせせらぎのように口の中を流れて、鮮烈な味の流線を描いているっ!」
千里ちゃんは瞬時にして味を文学的に表現した。
「わぁ、凄い食レポだね!」
やった、美味しいと思ってくれたんだ!
私は自分が作ったケーキだと気づかれない程度に表現力を褒めたけれど、心の中では派手に浮かれている。
でも、京本くんに動揺の色はない。むしろなぜか葉山くんがうろたえている。
「うう、千里たんが京本の読書に毒されている……」
「そういう意味の衝撃なのっ!」
もうこれは放っておくしか手立てがない。代わりに私が進行役を務める。
「コホン、では気を取り直して次のパウンドケーキを召し上がってください」
千里ちゃんはためらうことなく、次のひとくちにもかぶりつく。数秒の間があってから、ぱあっと表情が煌めいた。
「なにこの和の醸しだす芳醇な刺激! 醪の生きた香りがふわりと広がるよ。悪戯っぽいのに粛然としていて、ぜんぜん違う食文化が口の中でハーモニーを奏でている!」
京本くんはにやりと口角を上げた。くうっ、斬新な創作テイストとは手ごわすぎる。
「あああ、少女だった千里たんが大人の階段を昇ってしまった……」
葉山くんは今一度ショックを受けて悶えている。あと、千里ちゃんに対して微妙に語弊のある表現はやめてほしい。
葉山くんが再起不能なようなので、私は京本くんとふたりで、もうひとつのイベントを進めることにした。
「さて、千里ちゃんが結果を発表する前に、私たち城西高等学校三人組からクリスマスプレゼントを贈ります」
「わぁ、ほんと? サンタさんたち、ありがとう!」
千里ちゃんの表情はさらに輝きを増す。じつは前もって京本くんに、千里ちゃんのほしいものをそれとなく聞いてもらっていた。贈りものが入った紙の小袋を代表で私が手渡す。
「じゃーん、ボイスレコーダーだよ!」
「うわっ、ほんとに? 嬉しい~」
京本くんの話によると、自分の歌を録音し、聞き直して練習するためにほしかったのだという。だから、なるたけ操作が簡単で、指先の感覚だけで使えそうなものをみんなで厳選して購入した。
「ありがとう、大切に使わせてもらうね」
「じゃあ練習にさっそく、試してみようか」
「うんっ!」
包装を開けると、出てきたのはスティックタイプのボタン式ボイスレコーダー。電池をセットしてから千里ちゃんの指先を誘導し、ボタンの位置と機能を覚えてもらう。理解できたところで録音を試してみる。
「じゃあ、初めての録音、いきまーす!」
千里ちゃんは録音ボタンを押下し喋り始める。
「えー、はじめまして、千里ちゃんでーす! 今日はみんなが来てくれたので、さっそくインタビューしてみましょう。まずは和也くんからっ!」
唐突に三人の方向にレコーダーを差しだした。
「きょ、きょ、京本……かず、和也です、今日はお日柄もよく……あっ、ただいま雨が降ってきました!」