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「お母さん、おじゃまします。こちらが同級生の葉山くんです」
「ちわーす、葉山っす。お初にお目にかかります」
「は……はじめまして。和也くんとは仲がいいの?」
「親友っす、一学期は席、隣でした!」
そう言ってピースサインをひたいにかざし、ウインクしてみせる。お母さんは最初、困惑していたけれど、親友と聞いて表情が和やかになった。彼のあざとさを垣間見た気がする。
「京本くんは、掃除の当番なので遅れてきます」
「おじゃましまーっす!」
千里ちゃんに同級生の男の子がついてくると伝えたところ、警戒する様子はなく、むしろ喜んでいるようだった。
「千里たん、はじめまして! 京本の愉快な仲間のひとり、葉山陽一っす。陽一って呼んでくれ」
葉山くんは千里ちゃんの顔を見るなり飛びつき、手を取ってぶんぶんと振る。
「よっ……よろしくっ、陽一くん」
千里ちゃんもしっかり手を握り、真剣な顔で腕を振り返す。
「話は聞いていたから、めっちゃ会いたかったよぉ~」
「ようこそ、あたしも友達が増えて嬉しい。有紗ちゃんには感謝!」
盛り上がってもらっても、彼の役割は私の盾なのだ。会うのは今日だけかもしれない。
「じゃあさっそくだけど、京本のやつが来る前にアレをやっちゃおうか」
「フルートは持ってきたけど、千里ちゃんはいい?」
「もちろん!」
アレとは先週の続きのことで、千里ちゃんにフルートを聴いてもらい助言をもらうというもの。彼女は楽器を演奏しないけれど、音に混ざる私の本心を言い当てた。だから、聴けば的確なアドバイスをもらえるのではと期待している。
そこで、千里ちゃんはこんな提案をしてきた。
「最初は曲に合わせてあたしも一緒に歌うよ。そのほうが気分が乗りそうじゃない」
「ええっ、下手な私が一緒で大丈夫かなぁ。……じゃあどんな曲、歌えるの?」
「なんでもオーケーだよ。好きな曲、言ってくれる?」
ほんとうは先週と同じ曲を聴いてもらいたかったけれど、予定を変更してさまざまな歌の曲を思い浮かべる。ふと浮かんだのは、お兄ちゃんが英語の勉強のためにリビングで聴いていた曲だった。
「Across The Universe」、ビートルズの曲で、ベスト盤のアルバムの、最後から二曲目。
ビートルズの活動期間のうち、前半は明るいイメージの曲が多くて、それらはベスト盤の一枚目に収録されている。けれど、私は二枚目に収録されている後半の曲が好き。その中で一番のお気に入りが「Across The Universe」。
しっとりとした雰囲気の曲で、祈るような歌声がすごく心に残る曲だった。だから一時期、フルートで練習していた。
「千里ちゃんは『Across The Universe』って、知っている?」
「うん、ジョン・レノンでしょ。もらったCDで聴いていたよ。だからたぶん歌える」
「すごいね。千里ちゃんは歌の百科事典みたい。じゃあいくね」
「あー、あー、いいよー」
フルートを構えて息を吹き込む。いままではひとりでおっかなびっくり演奏していたけれど、誰かと一緒っていうのは心強く感じる。
フルートの響きがゆったりと部屋に広がってゆく。千里ちゃんも、私のメロディをつかまえて歌を奏でた。
――Words are flowing out like endless rain into a paper cup
――They slither wildly as they slip away across the universe
わあ、やわらかくて繊細で、とってもきれいな声。初めて聴いた、千里ちゃんの歌声。
直訳すると、言葉はとめどない雨のように紙コップにあふれて、濁流に変わり宇宙の彼方へと流れてゆく、という意味の歌詞。
その曲を千里ちゃんはこともなげに歌っている。私の不揃いなフルートの音色は、千里ちゃんの曇りない声と絡みあって、ひとすじのなだらかな流線に姿を変える。私の音を発することへの不安が薄らいで、気持ちが淀みなく流れてゆく。千里ちゃんの声が、メロディの行方を示してくれるみたい。
ちらと隣に目をやると、葉山くんが立ち上がっておおげさに両手を振り、指揮者の真似をしていた。リズムに合っているかは微妙だけど、三人の気持ちは確かにひとつになっている。
私の音がほのかに光を帯びる。心の中でくすぶっているもやのようなものが、しだいに薄らいでゆく。
なんだろう、頬に音の風を感じる。たぶん、気持ちが駆けだしてそんなふうに感じるんだ。
歌の中に、千里ちゃんの声が聞こえる気がした。
『音楽は自由なんだよ』
ああ、ほんとうにそう思う。千里ちゃんはほかの誰でもない、千里ちゃんの自身の声で歌を紡いでいる。暗闇の世界でも平等な、音という絵の具で自分の輪郭を象っている。
曲が終焉を迎えた。ひとつ、おおきなため息をついて千里ちゃんと顔を見合わせる。千里ちゃんは私が見えていないはずなのに、しっかりと向き合って微笑んでくれた。
すぐさまフルートを置いて、盛大な拍手を送る。やっぱり千里ちゃんは音に対する感性がすばらしい。
「千里ちゃん、歌うまいねー!」
「マジすげー! 京本のやつ、この声を独り占めしていたのかよ。ちくしょう!」
音楽に疎そうな葉山くんでさえ、手放しで大絶賛している。お世辞ではなくて本心からみたい。
「有紗ちゃんだって、音が解き放たれていたよ。この前とはぜんぜんちがうよ」
「だって……」
こんなに優しく手を引いてもらえたのは初めてで、嬉しくて涙が出そうになる。上手く演奏できた自分を褒めてあげたいって、初めて思えた。
ずっと一緒に演奏を続けていたい。でも、京本くんが来るまで、あまり時間がない。
「次は、この前の曲を聴いてもらえる?」
「お母さん、おじゃまします。こちらが同級生の葉山くんです」
「ちわーす、葉山っす。お初にお目にかかります」
「は……はじめまして。和也くんとは仲がいいの?」
「親友っす、一学期は席、隣でした!」
そう言ってピースサインをひたいにかざし、ウインクしてみせる。お母さんは最初、困惑していたけれど、親友と聞いて表情が和やかになった。彼のあざとさを垣間見た気がする。
「京本くんは、掃除の当番なので遅れてきます」
「おじゃましまーっす!」
千里ちゃんに同級生の男の子がついてくると伝えたところ、警戒する様子はなく、むしろ喜んでいるようだった。
「千里たん、はじめまして! 京本の愉快な仲間のひとり、葉山陽一っす。陽一って呼んでくれ」
葉山くんは千里ちゃんの顔を見るなり飛びつき、手を取ってぶんぶんと振る。
「よっ……よろしくっ、陽一くん」
千里ちゃんもしっかり手を握り、真剣な顔で腕を振り返す。
「話は聞いていたから、めっちゃ会いたかったよぉ~」
「ようこそ、あたしも友達が増えて嬉しい。有紗ちゃんには感謝!」
盛り上がってもらっても、彼の役割は私の盾なのだ。会うのは今日だけかもしれない。
「じゃあさっそくだけど、京本のやつが来る前にアレをやっちゃおうか」
「フルートは持ってきたけど、千里ちゃんはいい?」
「もちろん!」
アレとは先週の続きのことで、千里ちゃんにフルートを聴いてもらい助言をもらうというもの。彼女は楽器を演奏しないけれど、音に混ざる私の本心を言い当てた。だから、聴けば的確なアドバイスをもらえるのではと期待している。
そこで、千里ちゃんはこんな提案をしてきた。
「最初は曲に合わせてあたしも一緒に歌うよ。そのほうが気分が乗りそうじゃない」
「ええっ、下手な私が一緒で大丈夫かなぁ。……じゃあどんな曲、歌えるの?」
「なんでもオーケーだよ。好きな曲、言ってくれる?」
ほんとうは先週と同じ曲を聴いてもらいたかったけれど、予定を変更してさまざまな歌の曲を思い浮かべる。ふと浮かんだのは、お兄ちゃんが英語の勉強のためにリビングで聴いていた曲だった。
「Across The Universe」、ビートルズの曲で、ベスト盤のアルバムの、最後から二曲目。
ビートルズの活動期間のうち、前半は明るいイメージの曲が多くて、それらはベスト盤の一枚目に収録されている。けれど、私は二枚目に収録されている後半の曲が好き。その中で一番のお気に入りが「Across The Universe」。
しっとりとした雰囲気の曲で、祈るような歌声がすごく心に残る曲だった。だから一時期、フルートで練習していた。
「千里ちゃんは『Across The Universe』って、知っている?」
「うん、ジョン・レノンでしょ。もらったCDで聴いていたよ。だからたぶん歌える」
「すごいね。千里ちゃんは歌の百科事典みたい。じゃあいくね」
「あー、あー、いいよー」
フルートを構えて息を吹き込む。いままではひとりでおっかなびっくり演奏していたけれど、誰かと一緒っていうのは心強く感じる。
フルートの響きがゆったりと部屋に広がってゆく。千里ちゃんも、私のメロディをつかまえて歌を奏でた。
――Words are flowing out like endless rain into a paper cup
――They slither wildly as they slip away across the universe
わあ、やわらかくて繊細で、とってもきれいな声。初めて聴いた、千里ちゃんの歌声。
直訳すると、言葉はとめどない雨のように紙コップにあふれて、濁流に変わり宇宙の彼方へと流れてゆく、という意味の歌詞。
その曲を千里ちゃんはこともなげに歌っている。私の不揃いなフルートの音色は、千里ちゃんの曇りない声と絡みあって、ひとすじのなだらかな流線に姿を変える。私の音を発することへの不安が薄らいで、気持ちが淀みなく流れてゆく。千里ちゃんの声が、メロディの行方を示してくれるみたい。
ちらと隣に目をやると、葉山くんが立ち上がっておおげさに両手を振り、指揮者の真似をしていた。リズムに合っているかは微妙だけど、三人の気持ちは確かにひとつになっている。
私の音がほのかに光を帯びる。心の中でくすぶっているもやのようなものが、しだいに薄らいでゆく。
なんだろう、頬に音の風を感じる。たぶん、気持ちが駆けだしてそんなふうに感じるんだ。
歌の中に、千里ちゃんの声が聞こえる気がした。
『音楽は自由なんだよ』
ああ、ほんとうにそう思う。千里ちゃんはほかの誰でもない、千里ちゃんの自身の声で歌を紡いでいる。暗闇の世界でも平等な、音という絵の具で自分の輪郭を象っている。
曲が終焉を迎えた。ひとつ、おおきなため息をついて千里ちゃんと顔を見合わせる。千里ちゃんは私が見えていないはずなのに、しっかりと向き合って微笑んでくれた。
すぐさまフルートを置いて、盛大な拍手を送る。やっぱり千里ちゃんは音に対する感性がすばらしい。
「千里ちゃん、歌うまいねー!」
「マジすげー! 京本のやつ、この声を独り占めしていたのかよ。ちくしょう!」
音楽に疎そうな葉山くんでさえ、手放しで大絶賛している。お世辞ではなくて本心からみたい。
「有紗ちゃんだって、音が解き放たれていたよ。この前とはぜんぜんちがうよ」
「だって……」
こんなに優しく手を引いてもらえたのは初めてで、嬉しくて涙が出そうになる。上手く演奏できた自分を褒めてあげたいって、初めて思えた。
ずっと一緒に演奏を続けていたい。でも、京本くんが来るまで、あまり時間がない。
「次は、この前の曲を聴いてもらえる?」