「じつはな、あいつの水曜日の噂、断片的には聞いたことがあるんだ」

「えっ、知っていることがあるの?」

 思わず葉山くんを直視する。

「あくまで噂だけどな、それと有紗があいつに惚れているわけじゃないっていう前提(・・・・・・・・・・・・・・・・・)だから教えるんだぞ」

 その意味ありげな前置きに私の鼓動は早まった。京本くんは浮いた話とは無縁に見えるのに、葉山くんの言い草は女子の匂いを感じさせたからだ。

 そして葉山くんの放ったひとことに、私は頭を金槌で殴られたような衝撃を受けた。

「深窓の令嬢と蜜月しているらしい」

 つい、反射的におおきくのけぞり、椅子が傾いた。倒れそうになりあわてて机にしがみつく。かろうじてひっくり返らずに済んだ。

 体勢を立て直して葉山くんに詰問する。
 
「ちょっ、ちょっと待ってくれない葉山くん! それって、あの(・・)京本くんには付き合っている人がいるってこと?」

 もしそうなら、世の中どうかしている。ちょっと変わり者の彼が異性とお付き合いという、未知の領域に踏み込んでいるなんて。

 しかも、深窓の令嬢とか、蜜月とか、表現が妙になまめかしい。

 私は思わず想像をたくましくした。高価なアンティークが飾られた洋風の部屋を思い浮かべる。香水の匂いと優雅なクラシックが部屋を特別な空間に仕立て上げる。そこで見つめ合う京本くんと深窓の令嬢。ふたりは手を取り合って距離を詰め……そのまま……。

 だめだってば私、そんなイケナイことを想像しちゃ!

「おい、どうしたんだ有紗、フリーズしているぞ。もしかしてショックだったのか」

 声をかけられて我を取り戻した。私は想像の世界に迷い込むと表情が固まってしまうらしいので、今もそうなっていたに違いない。またもやあわてて否定する。

「ショックなんか受けてないよっ! あと、いかがわしいことなんか想像していないからねっ!」

「なるほど、脳内はただいま妄想暴走中ってことだな」

「うっ……」

 冷静さと警戒心を忘れて失言してしまった。でも、いとも簡単に相手の本心をあらわにしてしまうところが葉山くんのすごいところであり、ずるいところでもある。私にそんな能力があれば、京本くんとの会話に苦労することなんてないのに。
 
「でもその深窓の令嬢って、いったいどんな人なの?」

 かく言う私だって、どうせ恋愛過敏症だ。クラスメートの恋バナに、いやおうなしに好奇心が刺激される。
 
 葉山くんは視線を鋭くしてにやりと笑った。並びの良い白い歯が自信の証のように見える。
 
「じゃあ、直接自分の目で確かめればいいじゃん。水曜日、こっそり後をつけてさ」

「ええっ、それじゃあストーカーみたいじゃない。私、そんな悪どいことはできないよ」

 心の底から引いた態度を取ると、葉山くんは露骨に不服そうな顔をし、こう言い切った。
 
「おいおい、だいたい有紗はいつも良い子でいようとしすぎて、結局なんにも踏みだせていねえんじゃねえか? 俺にあれこれ聞いたところで自分から動こうとはしねえし、フルートの音色だってつまんねえ教科書通りだしよ」

「ちょっ……!」

 葉山くんの上から目線の言い分はひどく非難的で横柄だった。けれど、そんな葉山くんに対して、私はなにも言い返せない。
 
 だって、彼の言うひとことは、驚くほどに的を射ていたのだから。
 
 私だって、このままの自分じゃだめだと思っている。けれど、変われるきっかけなんて、日常の中にそうそう転がっているものじゃない。

 だから、京本くんの水曜日を知ろうと決心したのは、私のささいな反抗だったのかもしれない。

 私のことをまるで気に留めていない京本くんと、狭い檻の中から飛びだせないでいる、この私自身に対しての。