「ねえ、聞きたいんだけど、私と会ってどうするつもりだったの?」

「じつは、お願いしたいことがあるの。和也くんには内緒で」

「内緒のお願い?」

 千里さんはいったい、どういうつもりなのか。一瞬の逡巡を見せてから続ける。

「和也くんの、友達になってほしいの」

「へっ?」

「あたしがいないときにも、和也くんがひとりにならないように。気軽な友達として」

「どうして……?」

「どうしてって、和也くん、友達なんかいらないって言うんだもん。でも、あたしにばっかり構っているの、よくないよ」

 想定外の理由に言葉が出なくなった。彼女は最初から私を警戒してなんかいなかった。恥ずかしさと申しわけなさが同時に湧き起こり、顔が熱くなる。頬を両手で押さえ、彼女の目が見えないのはさいわいだと、身勝手ながらそう思う。

「ごめんなさい。私、おおきな勘違いをしていたみたい。千里さんが和也くんを縛っているのかと思っていたの」

「ううん、そう思われるのもしょうがないかも。ごめんね、こんな不自由な子が迷惑かけちゃって。でも、あたしも和也くんのわからないことがたくさんあるから、どうしても知りたかったし」

 千里さんは、そんなふうに言えるくらい、ちゃんと気遣いのある子だった。間違った先入観を持って接していたことを、ちゃんと反省しなくちゃ。

 そこで私は舵を違う方向に切ることに決めた。京本くんの水曜日の秘密は、千里さんの知らないところにあるらしいから。

「ところで、千里さんと京本くんはどうして知り合いなの?」

「あっ、和也くんとあたしは幼馴染なんだ。けれど、あたしの家が引っ越して会えなくなって」

「幼馴染で……引っ越した?」

「うん、小学校二年生のときに目が見えなくなったから、小中高一貫の特別支援学校があるこの町に引っ越してきたの。それでね、去年、特別支援学校に会いに来てくれて、その後は連絡を取ることはなかったんだけど……高校入学前に突然、電話してきたの」

「じゃ、京本くんが千里さんの家の近くの高校を受験したのは、千里さんの意思は関係ないの?」

 千里さんはこくりと首を縦に振る。

「そうなの。いつの間にか城西高等学校に受かっていて、『いつでも会えるように、きみのいる町の高校にした』って言われて、とにかく驚いちゃって……」

 にわかには信じられないけれど、そこに嘘の気配はない。京本くんにいったい、なにがあったのだろう。

「じゃあ、どうして水曜日だけ千里さんの家に来るの?」

「えっ、あっ、それはあたしの都合で、水曜日だけってことにしているの」

「京本くんの意思ではないのね」

「うん、それは絶対」

 釈然としないけれど、得られた情報はたぶん、どれも正しい。あらためて和也くんの水曜日の謎について考えてみる。

「今の話からすると、京本くんが水曜日にここに来るのは、千里ちゃんに本を読むためっていうことはわかった。でも、どうして読書なのかしら」

「目が見えなくても読書ならいろんな世界が見られるから、っていう理由みたい。でもなんで一日中、誰とも話をしないんだろう?」

「水曜日にかぎって屋上で本を読んでいて、すごく苦しそうな顔をするから、水曜日が関係していることは間違いないと思う」

「でも、会う曜日を水曜日に決めたのはあたしだから、水曜日っていうよりは、やっぱりあたしに関係しているのかな?」

「「う~む」」

 ふたりして考え込む。結論が出せないでいると、千里さんが思いついたようにこう言う。

「もしかしたら和也くんは、なにか辛いこととか、苦しいことがあって、それで現実逃避としてあたしに会いに来ているのかな。学校で嫌なこととかないのかな」

「えー、いじめとかの様子はないし、成績だって悪くないみたいよ。それに友達がいないのは、作りたくないんじゃなくて、自分から人と関わらないようにしているような気がするの」

 率直な印象を伝えると、千里さんは腑に落ちない顔になった。けれど私だって同じだ、京本くんの水曜日の謎にたどり着けない。

 京本くんを待たせているから、のんびりしてはいられないけれど、これ以上はいくら考えても進展がなさそうだ。そう思っていると千里さんがこんな提案をする。

「もしよかったら、お互い連絡取らない?」

「えっ、ええ……いいわよ」

 虚を突かれて驚いたけれど、協力して京本くんの謎を解くのには賛成だ。こういうのを戦略的互恵関係って言うのかな。

 それから電話番号を交換した。千里さんは私の番号をつぶやいて暗記し、話を続ける。

「ところで高円寺さん、座るとき、隣に置いたのはなに?」

 わずかな音で状況を察しているのだろう。隠すことではないので率直に答える。

「フルートよ。アンサンブル部なので」

「うわぁ、音楽やっているんだ、羨ましいなぁ。あたしは歌をうたうのが好きなの」

 ぱっと表情に光が灯る。あどけない笑顔で、つい緊張の糸が緩んでしまった。というよりは、緊張していたこと自体、私のひとり相撲だったけれど。

「へぇ、どんな歌が好きなの」

「へへっ、なんでも歌えるよ。でも、和也くんが本を読んでくれたときにお礼として歌うから、ここでは控えるね」

 ああ、ふたりはそんな関係なのか。なんだかとっても羨ましい。私が立ち入る隙がないのもうなずける。勝ち負けで言うなら白旗は確定だけど、悔しいなんて気持ちはちっともない。

「高円寺さんのフルートの音色、聞いてみたいなぁ。ねえ、いい?」

「えっ……でも上手くないよ」

「ううん、高円寺さんは真剣に向き合う人だから、まっすぐな音、出せると思う」

 この場のやり取りで、千里さんは私のことをそんなふうに評してくれた。誤解していた後ろめたさを飛び越えて、なんだか嬉しくてこそばゆい。そそくさとフルートを取りだして構えた私は、すっかり彼女のペースにはまっている。

『コンチェルティーノ』

 コンクールの選考会のために練習している曲を選んだ。