《ちょっと、勝手に決めないでよ! わたし、結婚する気なんてないよ》

《いい歳して何言ってるの、来年にはもう30よ? 20代のうちにいい相手を捕まえておかないと》

《だから、ひとりでも生きていけてるし、結婚するとしても相手は自分で見つけるってば》

《中学校の時仲良かった〇〇ちゃん、最近2人目の子供ができたって。近所の〇〇ちゃんも結婚したよ。アンタより3歳も年下なのに! いい加減孫でも見せて親孝行してちょうだい。お爺ちゃんお婆ちゃんだってもう長くないんだから。それに、家にも全然帰ってこないし。たまには顔見せたらどうなの?》


 母からの長文メッセージに面食らう。これは私が何を言ってもダメな時だ。ああ、最悪だ、憂鬱すぎる。


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「─────っていうことがあって! 本当自分勝手すぎるんですよね相変わらず! 結婚結婚ってうるせーんですよ! ありえないと思いませんか!!!」
「ああ今日も推しが尊い生きててくれてありがとう」
「って聞いてるんですか?!?!」


 ドン、とビール缶を机に叩きつけると、やれやれとテレビに張り付いていた天海(アマミ)先輩がこちらを振り返った。その目は「ああまた面倒くさいことが始まった」と言わんばかり。
 会社から電車で30分、都心から少し離れた〇〇駅徒歩5分の好立地マンション。憧れていた都内1K一人暮らし。数年前実家を出た私には大満足の住み家である。 そんな安住の地〇〇マンション303号室が私の部屋。そして今私がビール片手に項垂れているのはその隣、304号室。
 私が慕ってやまない天海先輩の部屋である。


「聞いてるも何も、アンタの恋愛事情なんてどーでもいいんだっつうの。私は今日解禁の新曲MVを最低100回は観るって決めてるんだから、それ食べたらさっさと帰んな?!」
「ウッウッ、そーやって天海先輩まで私を見捨てるんですか!! 自害してやるー!!!」
「ぎゃーやめなさいってば!! 慣れないビールなんて飲むなー!!!」


 やいのやいの。暴れ出した私に天海先輩はやれやれと缶ビールを取り上げて、かわりに渋々と冷蔵庫から麦茶を取り出してコポコポとコップに注いでくれた。
 10月中旬。地球温暖化が進む日本ではまだまだ冬到来というには早いのに、天海先輩の部屋にはすでに炬燵(こたつ)が用意されている。わたしはそこにぬくぬくと身を沈めて、コンビニで買った野菜スティックとグラタンを食べているところだ。
 差し出された麦茶はどの季節でも先輩の冷蔵庫にある常備品。これがうまいのだ。
 ちらりと天海先輩を見やる。ノーメイクに緑のジャージと分厚いメガネにヘアバンド。長い黒髪は無造作に後ろでお団子に縛っている。これが大好きな天海先輩の通常装備だ。
 あー安心する。天海先輩を見ると、こういう人になりたいと本気で思う。


「天海先輩ー。わたしずーっと先輩の部屋でこうしてご飯食べてたいです」
「別にいつでも来ればいいって何回も言ってんでしょ」
「うう、だってー、世の中みーんな恋愛だの結婚だの、うるせーっつうんですよ! こちとらこの安定した時間が至福の時なんだっつうのー!!」
「ああうるせー! 推し鑑賞を邪魔すんな!」


 天海先輩。本名、知らない。年齢、知らない。職業、知らない。知っていることといえば、5人組アイドルグループを育て上げる育成ゲームの『三橋くん』が最推しで、1にも2にも三橋くんのことしか考えていないこと。それから、わたしの隣の部屋、304号室に住んでいること。それだけだ。(まあ、私と先輩がどうしてこんな関係になったのか、話せば長くなるのでそれはまた別の機会にて)(ちなみに年齢は知らないけれど、漫画やアニメの話に若干ジェネギャを感じるので、私より年上なことは確信している)


「天海先輩ー、先輩は私がお見合いして好きでもない相手と結婚してもいいって言うんですか」
「知らねーわ! 勝手にしやがれ!」
「先輩の薄情もの!!」
「だから暴れんなー!!! 慣れないビールなんて飲むから酔うんだよアホが!」
「わーん、じゃあアイス食べましょうよう、わたし今日高いやつふたつ買って冷凍庫入れときましたから!」
「ったく……勝手に人ん家の冷凍庫にぶち込んでるんじゃねーっつうの」
「先輩の好きなチョコチップですよお、食べたいでしょ」
「はーやだやだこれだから稼いでる女は」
「そんなことないですもん」


 先輩も私もだいすきなハーゲンダッツ。こんな日には買ったっていいじゃないか。独身29歳なんだから、なんでもない日のちょっとした特別くらい許されよう。お金には特段困っていないのだ。


「そんで、相手はどんなやつなのよ」


 アイスに負けてか、渋々と天海先輩が推しMVから目を離した。


「知らないですよう、ていうかそもそも、今どきお見合いってなんなんですかあ、田舎にも程があるー!」
「ミミコは押しに弱いからねえ、強制的なものじゃないと一生恋愛しないんじゃないかって危惧したんでしょ。お母さんもアンタのことよくわかってんね」
「感心してる場合じゃないですよお! わたしほんっとに結婚願望も恋愛願望もないんですから!」


 そう、こう見えて(どう見えているかは知らないが)三上美々子は恋愛願望が一切ないのである。


「まあ結婚して孫の顔見せるのも親孝行だからねー」
「うう、他人事だと思って! だいたい私子ども苦手なんですよう、自分の世話さえ上手くできないのに子供なんて育てられるかー!!!」
「ぎゃーやめろ暴れるな!」


 こたつの机を倒す勢いで暴れた私を天海先輩が慌てて止める。うう、先輩、ごめんなさい。迷惑かけたいわけじゃなかったんです。
 私はそのまま机に頬っぺたをくっつけて項垂れる。お母さん、私のこと全然わかってないんだもん、美味しくないビールを飲みたくもなるよ。


「せんぱあい……女って、結局結婚しなきゃいけないんですかあ」
「誰もそんなこと言ってないでしょーが」
「子供だって、産むのが当たり前なんですかあ?」
「選択できる時代なんだから自分で決めればいいのよそんなこと、いちいち悩むんじゃねえっつうの」
「うっ先輩ダイスキッ」
「ぎゃっ引っ付くな帰れ!!」


 天海先輩。何も知らないけれど、私は仕事が好きだし、仕事終わりにこうして先輩と過ごす時間がいちばん好きだったりするんです。みんなの当たり前にはなれないけれど、こういうのって、やっぱり理解されないんでしょうか。