「はーあ、お疲れ様でしたーっ!」


 乾杯したあとビールをひとくち。ぷはあ、と息を吐くとウーロン茶を飲んでいる天海先輩が「オッサンかよ」とバカにしてくる。いいじゃないか、今日くらい。


「てゆーか! 聞いてないですよ?! 天海先輩がそんなに有名な人だって!」
「言ってないからねー」
「言ってくださいよ!!」
「聞かれてないし」
「ウッそうでしたっけ……」


 あの後、猛スピードでヘアメイクを仕上げた天海先輩の腕は確かなモノで、きっちり時間も間に合うどころか、中村舞ちゃん本人だけでなく、カメラマンやプロデューサーからも大絶賛の嵐だった。そのまま滞りなく撮影は終了し、一回会社へ帰って諸々片付けたあと、こうして天海先輩と昨日の約束通り夕ご飯を食べにきたところ。


「うう、なんかくやしーです、先輩が先輩じゃないみたいで……」
「ああ? ナニソレ」
「天海先輩がこんなに綺麗でカッコいいなんて聞いてないっつってんですよお!」
「はあ? ワタシはいつも綺麗でカッコいいだろうが」
「……本気で言ってます?」
「本気じゃなかったらなんなんだよ」


 いつもジャージに厚底メガネ、ひどいとお風呂には3日入らないでゲームしてるくせに。どこが綺麗でカッコいいんだよ!
 なんて言ってもダメだ。話しても無駄。天海先輩ってこういう人だった。


「ていうか天海先輩、なんで助けてくれたんですか……」
「はあ?」


 へいおまち、と。頼んだザーサイと焼き餃子2人前がテーブルにどん、っと置かれる。天海先輩と入ったのは小汚い街中華。女子2人、もう少しかわいげのあるところで晩酌してもよかったんだけれど、においに惹かれてしまったのだから仕方ない。
 胡麻油のいいにおいが鼻をくすぐった。そういえば今日はお昼ご飯を食べ損ねてお腹ぺこぺこなんだった。


「べつに、助けたつもりはないけどね」


 天海先輩の言葉を横目に、割り箸を割ってひとつ餃子をつかむ。まずは何もつけずにひとくちパクリ。するとじゅわっと肉汁が口いっぱいに広がって、それから野菜たっぷりの食感が後に続いてやってくる。厚めの皮はもちもちで、疲れた体にぐいっとビールをもう一杯。
 最高だ、この為に、私は生きていたりする。


「……だから、ミミコが泣きそうな声してるし、たまたま近くにいたから」
「……」
「それに、この企画めちゃくちゃ頑張ってただろーが。それが台無しになるのを黙ってみてるわけないだろ。ワタシも流石に貢献したくなるっていうか……ってミミコアンタ聞いてる?」
「あ、天海先輩……もしかして餃子は酢胡椒派ですか……」
「は?」
「わたしは絶対醤油に辣油派!! これだけは譲れません!!!」


 話しながら天海先輩が躊躇いもなく酢胡椒をつくっているのを凝視していたせいか、天海先輩が私を見てワナワナと震えている。


「……ミミコ、アンタ人がせっかくいい話してんのに……」
「だ、だって天海先輩が邪道なことするから!」
「邪道はお前だ馬鹿野郎! あとアンタのことなんて二度と助けるかーッ!!!」
「ぎゃっー天海先輩が怒ったーー!!!」


 気づけばいつの間にか鬼の形相の天海先輩。慌ててひとつ餃子をその口に放り込むと、目を丸くしてゆっくり噛み砕く。
 どうやら美味しかったみたい。この表情はそういう顔。天海先輩って意外とわかりやすいんだよね。
 それから、今日は珍しくおろしていた髪をひとつに束ねて、ジャケットを脱いで腕まくり。お、これはスイッチが入ったみたい。


「天海先輩、今日の天海先輩はすごーくかっこよかったですけど、わたしはいつもの緑ジャージもやっぱり好きかもです」
「あん?」
「餃子食べたら、先輩ん家でゲームしましょー。またハーゲンダッツ買ってあげますから!」
「いーけど、もう12月だぞ」
「こたつで食べるアイスが最高なんじゃないですかー!」


 やいのやいの。いつもは天海先輩の部屋でする晩酌も、たまにはこうやって外に出るのも悪くない。だってほら、職業がわかったとはいえ、天海先輩のことはまだまだわからないことだらけだし。


「てかさっきからスマホ鳴ってるけど」
「え? あーこれですか……」


 テーブルに出しっぱなしにしていたスマホを手に取ると、何やら着信履歴。メッセージアプリを開けば、新着メッセージが10件も入っている。そういえば今日は忙しくて全くスマホを見ていなかった。


「あー、これあれですよ、例のリリちゃんオタク。返信返さないと何件も送ってきて……」
「ストーカーだろそんなの、ブロックしときな」
「いやあ、親まで知られてますから、そう簡単には……」


 ぐいっと天海先輩が身を乗り出して私のスマホを覗き込んだ。画面には、リリちゃんオタクこと、桑原幹人さんのプロフィール画面。桑原ミキト、とフルネームの上に、スーツ真正面姿のアイコン。顔だけはやはり整っている。
 天海先輩はそれをじろりと見つめて固まった。あれ、そういえば、ミキトさんの写真を見せたの初めてだっけ。なんなら名前も言っていなかったかも。


「……そんなに見つめてどーしました? もしかしてタイプですかあ? いや、でも三橋くんってカワイイ系ですよね? ミキトさんとは正反対な気がするんですけどお。ま、天海先輩がタイプっていうなら紹介してあげてもいいですよお」


 固まる天海先輩に冗談半分でつらつら言葉をかける。うるせーよ、なんて言葉が返ってくるんだろうなあ、なんて思っていたのも束の間。


「ミミコ、こいつ私の知り合いだわ」
「えっ?」
「─────大学時代の後輩。兼、わたしのストーカー」


 え? なんて言った?
 ズガーン、漫画で表すならそんな落雷が落ちた効果音と共に、天海先輩の深いため息が同時に降ってきた。「世間狭すぎだろ」なんて。
 いやいや、それはこっちの台詞なんですが。あのリリちゃんオタク、大学時代に天海先輩をつけ回していたというわけか?!(ていうか天海先輩って大卒だったんだ)(あのエリート弁護士と同じ大学ということは、かなりの高学歴なのでは……?)


「てかそいつと一瞬付き合ってたんだよね、最悪なこと思い出したわ」
「え、え、え……」
「あーうぜえ、顔も思い出したくなかったのに」


 わたしは本日2度目、口をあんぐりと開けて固まってしまった。
 ああ神様仏様。たまには外で天海先輩と過ごすのも悪くないなんて思いましたが、前言撤回。こんなに驚くことを1日で知ることになるなんて聞いてません─────。


「ま、いいや、過去の話だし」
「え?」
「どーでもいいけど、とりま早くブロックしたら? そいつ。うぜえし」
「ええっと、そういうもんですかね……?」
「は? ミミコがそいつのこと気に入ってなら話は別だけど」
「いやいや、そーいうわけじゃないですけど! 天海先輩は気にならないのかなって……それに、元彼なら、より戻すとか……」
「はあ? ありえない。つうかわたしには三橋くんっていう永遠の恋人がいんだろうが」
「うっ、でもそんなのわからないじゃないですかあ! 天海先輩だっていつか彼氏作って私とは遊んでくれなくなっちゃうかも……」


 天海先輩。いつもだらし無くて推し活ばかりしてるから、こんなこと考えたこともなかったけれど。
 私がそんな姿を知らなかっただけで、天海先輩はシゴデキウーマンだったし、ちゃんと整えればその辺の人よりだいぶ綺麗だし、当たり前のようにハイスペ元彼だっているわけで─────。
 急に怖くなってしまった。この日常、突然なくなってしまったらどうしようって。


「ミミコ、あんたってホントバカ」
「うっ、バカとか言わないでくださいよう!」
「わたしは1にも2にも三橋くんのことしか考えてない三橋オタクなんだっつうの。彼氏とか急いで作るもんでもないし、ていうか億がイチわたしに彼氏ができたとしても、ミミコとの関係が変わるわけないだろうがよ」
「え、それはつまり……」
「別に何があろうがなかろうが、アンタが暇なら毎日うちでご飯食べていけばいいってこと」
「えっ……!」
「酒飲んで暴れたら追い出すけど」
「天海先輩っ!!! 一生大好きですっ!!!」


 天海先輩。わたしはもしかして最高のお隣さんに出逢ってしまったんじゃないでしょうか?
 先輩の毎日ジャージでだらしないところも、実は隠れ美人のシゴデキウーマンなところも、実はわたしのことが大好きなところも含めて、もしかして今日も世界平和はここにあり、といったところでしょうか─────?


「あっミキトさんからまたメッセージが!」
「なんだって?」
「……『返信がないので心配で、三上さんのお母さんに連絡して住所教えてもらいました。今から向かいます。大丈夫ですか? 事故とかにあってないですよね?』って……」


 あれ? 今日も世界平和─────のはずが?


「ちょ! ヤバいコイツより先に帰らないと顔見られる!」
「ちょっと天海先輩! 自分のことだけじゃなく私のこと心配してくださいよ!」
「こいつ頭おかしいだけで危害は加えないから大丈夫だって」
「ぎゃっ餃子一気に4つも食うなー!!!」


 リスのように慌てて両頬に餃子を詰める天海先輩を見て思わず笑ってしまう。もう、美人が台無しだ。
 まあ、こういうトラブルも時には悪くない。いつだって天海先輩はわたしの帰りを待ってくれているわけなんだし。(待ってくれているのかは知らないけど)
 それから、たまには天海先輩に寄り添うのも悪くないかもな、なんて思いながら。私は餃子をふたつまとめて酢胡椒につけて口へ放り込む。
 うん、たまには酢胡椒も悪くない。



【第2話 餃子には酢胡椒だろうがよ 完】
(to be continue……?)