由希くんから告白されて、気持ちが高まりすぎる。一旦落ち着こう――。俺はゆっくりと息を吐いた。

「由希くん、間違えてはいないけど……今は仮の恋人だから。まだ恋人ではないのに、結婚って少しだけ早いと思うんだ……」

 由希くんの発言を否定するのはしんどい。傷つけないように、慎重に。ゆっくり丁寧に伝えた。

 本当は今すぐに結婚してしまいたい。だけど、きちんと恋人になって、恋人らしいことをして。由希くんが俺とずっと一緒にいて幸せになれるのを確信してからがいい。

「結婚、早い……そうだよね、ごめんね」

 由希くんの声のトーンが低くなる。そしてそのまま俯いた。

「謝ることではなくて、そう思っていてくれて伝えてくれたのが嬉しすぎるし」

 こんな時、口下手な自分が嫌になる。頭の中ではどんどん言葉は溢れてくるのに。

 俺は由希くんがくれたペアリングの箱に視線を向けた。由希くんが、俺のことを考えながら選んでくれた、プレゼント。

「由希くん、箱を開けていい?」

 由希くんは頷く。ゆっくり黒い箱を開けた。白い背景の中にシルバーの指輪がふたつ、寄り添いながら入っていた。見た瞬間に胸が熱くなる。

 サイズが少し違うふたつの指輪。小さい方は由希くんの薬指かな? 迷わず由希くんの方を手に取った。

「由希くん、手を出して?」

 由希くんは控えめに左の手の甲を差し出してきた。指輪を静かに丁寧に由希くんの薬指にはめる。わずかに触れた由希くんの温かい指のぬくもりが、じっとりと俺の手に伝わる。

「律くん、僕の手、汗ばんでてごめん。ずっと緊張してて……」
「大丈夫だよ。俺も今、手が震えているし」 

由希くんは色々な角度から今はめた指輪をうっとりさせながら見つめた。角度によっては光の反射でキラキラと輝く指輪。

「律くんにはめてもらった指輪だ! 嬉しいな――」
「こっちこそ、そんな反応してもらえて嬉しい」

 由希くんの声が明るくなり、俺は安堵した。

 目が合うと由希くんは「ふふっ、幸せ!」と、首をかしげながら輝く笑顔まで見せてくれた。由希くんの笑顔を見ると、温かい気持ちが全身に溢れてきて、胸の辺りがキュンと大きな音を立てた。

「由希くん、俺の指輪も、いい?」

 俺は視線をテーブルに置いてある、もうひとつの指輪に向ける。由希くんは指輪を持つと手が震えだした。俺は由希くんに手の甲を上にした左手を差し出した。

「律くん、僕、緊張しすぎで倒れそう」
「大丈夫? 落ち着いてからでいいよ。俺、ずっと待っているから。いつまででも待てるから――」

 そう、由希くんに対してなら、どんなことでもずっと待てる自信がある。
 由希くんが気持ちを俺に伝えるのも、いつまでも待つ気持ちでいた。

 ずっと、俺の隣を開けていられる自信はあった。
 だって、俺が好きなのは、ずっと由希くんだけだから――。

「では、いきますよ」

 由希くんは左手で俺の手を支える。そして指輪を俺の薬指に通した。

――由希くんが、俺の指に指輪を。

 目を閉じて意識を全て薬指に集中させる。喜びをじっくりと噛み締める。そして目を開くと、由希くんを見つめた。

「由希くん、ありがとう」

 人生はまだまだこの先もあるけれど、ゴールに着いたような感覚がした。同時に、幼い時からの由希くんへの気持ちが溢れてきた。

 由希くんからもらった指輪をずっと眺めた。
 見つめていると、今までの由希くんとの思い出が頭の中を駆け巡る。



 小学生の頃の記憶。

「律くん、今日もお家に誰もいないの?」
「うん、いない」
「僕のお家で一緒にご飯食べる?」
「一応、ご飯の準備はしてくれているけど……」
「じゃあ、うちにご飯持ってきて一緒に食べよ?」

 由希くんだけが、いつも俺の心を気にかけてくれていた。
 由希くんは一緒にいるだけで孤独な気持ちを散らしてくれていた。

 由希くんと気まずかった日々は孤独で辛かったな――。

 そして、同時にアパートのドアを開け、久しぶりに挨拶ができた中学生の時の記憶。

 由希くんと挨拶をしただけなのに、世界が色づいた。感情が湧き溢れて、由希くんを完全に特別な人だと認識した。

 また仲良くしたいと日々願っていた。

 由希くんと仲直りしたキッカケだった畑の共同作業。あの時勇気をだして声をかけなければ、今、こんなに幸せな状況ではなかったのかもしれない。

 仲直りしてからは日に日に由希くんへの気持ちが抑えきれなくなってきた。離れていた時期の分の思いが一気に押し寄せてきたのも、あるのだろう。

 ついに告白をして、それから――。



「律くん、泣いてるの? 大丈夫?」

 由希くんの声で現実に戻る。頬の辺りで涙の生温かい感触がした。
 
「色々、思い出しちゃって」
「これ、涙を拭いて?」

 引き出しの中からフワフワな水色のハンカチを出して貸してくれた。由希くんからいつもしている甘い香りがしてきて、ハンカチさえも愛しくなる。由希くんは心配そうに眉を下げ、じっとこっちを見つめている。
 由希くんに涙なんて見せてしまった。かっこ悪いな……と、考えながら、呼吸を整えてみる。しばらくすると、話せるくらいに落ち着いてきた。

「由希くん、本当にありがとう。指輪、大切にするね」

 由希くんは「うん」と頷き、微笑んだ。
 俺も笑顔を返す。由希くんだけに見せられる笑顔を。

「それにしても、律くんの指輪のサイズ、ぴったりで良かった」
「そういえば、よく俺の指輪のサイズ分かったな?」
「実はね、安倍くんに協力してもらったの」
「そうだったんだ……安倍……」

 どうやって協力してもらったのだろうか?
 考えていると、ふと、ある出来事が頭によぎった。

「……もしかして少し前に学校で、昼休みに手相見てやるとか、安倍に急に言われた時か?」
「そう、それ!」
「手相見終わったあとに、薬指摘んで何かをチェックしだしたから、何だ?って思ってたら、そういうことか――」
「そうなの。その時、僕は近くでソワソワしてたよ」

 あの時の光景を思い出す。「いい運命だね」とか言いながら安倍が俺の薬指を触りだして、安倍の指も横に並べて何かを比べているようだった。不自然だなとは思っていたけれど……。あんまり占いを信じていなかったけれど、安倍が由希くんの手相も俺の後に見て「綿谷くんの恋愛運はこれから爆上がり。思い合っている人とうまくいく」と言っていて。そこだけ過剰に反応して、信じたいと思ってしまった。

「そっか、安倍は色々知ってたんだな?」
「うん、男の子同士だからとか全く気にしないで、僕たちが上手くいくようにって、応援してくれていたよ」

 応援してくれる人もいるんだ――。

「応援か……」
「そういうの、嬉しいよね!」

 由希くんはふふっと笑う。

 俺は由希くんの指輪に視線を向け、それから自分の指輪を見つめた。お揃いが嬉しくなって、由希くんの手に自分の手を近づけようとした。すると由希くんの手が吸い寄せられるように俺の手の横に来た。ふたりの手は並んだ。

「ねぇ、律くん。お揃いの指輪をしている手を写真に撮ってもいい?」
「うん、いいよ。後からこっちに画像送って?」
「分かった。オシャレになるか分からないけれど、加工して送るね」

 送られたら、すぐにスマホの待ち受けにしたい。だって、お揃いだからっていうのもあるけど、由希くんの手が写っているから。

 写真の角度を微妙に変えながら何枚も撮る由希くん。

「由希くん、ケーキ食べていい?」
「あっ、そういえばまだ食べてないよね。いいよ!」

 由希くんはスマホをテーブルの端に置き、指輪をつけたままワンホールのケーキを六つに切り分けてくれた。ひとつだけ大きめに切っていて、さりげなく俺のお皿の上に乗せてくれる。

 ケーキの上に乗せてあるイチゴを見ると自然と笑みが込み上げてきた。

――さっき目を閉じて食べたアレは、あきらかにミニトマトだった。

 感触、砂糖と混じりあった酸味、香り……。

「今何食べたのか、分かった? 美味しかった?」と聞かれた時、ミニトマト以外には考えられなかった。ミニトマトと答えてしまうところだったけど考え直し、言葉をぐっと飲み込んだ。

由希くんが料理にミニトマトを忍ばせていた流れや、以前イチゴの鉢植えを持ちながら迷子になった時に言いかけた「イチゴ味ってミニトマト」という謎の言葉。そして、目を開けると、フォークに刺さったイチゴが目の前のお皿にあった。

 由希くんが求めている答えは――。

「美味しかったけど。食べたのは、イチ、ゴ?」と、棒読みしないように慎重に答えると、「ブッブーです。正解は、ミニトマトでした!」とはしゃぎながら返事をして、説明までしてくれた。

 正直、砂糖をまぶしたミニトマトは人によってはイチゴの味かもしれないが、俺にとっては全くそうは思わなかった。だけど苦手な感じがせずに食べられたし、由希くんがイチゴ味だと言うなら、俺にとってはイチゴ味が正解だ。それに、一緒に育てたミニトマトだからきっと食べられた――。

「由希くん、まだミニトマトあるの?」
「ミニトマト? あるよ」
「美味しかったから、食べたい」
「本当に? 持ってくる」
「ありがとう。砂糖もお願いしていい?」
「もちろん!」

 由希くんは目を輝かせながら、足早に部屋から出ていった。俺は胸が温かくなった。

――そんなに急がなくてもいいのに。


 小皿にトマト四つと砂糖の瓶を持ってきた由希くん。
「律くんはお砂糖まぶしたら、ミニトマト平気?」
「うん、平気。ミニトマト、由希くんのお陰で食べられるようになった」
「これなら、一緒にトマトが食べられるね」

 由希くんはニッコリしながらミニトマト全体に、これでもかという程に砂糖をたくさんまぶした。そしてミニトマトのヘタを持ち、俺の口元にミニトマトを近づける。自然に俺の口は開く。頬張るとさっきのトマトよりも冷えていた。じっと見つめてくる由希くん。

「食べてる時に見られすぎると、恥ずかしいかも」
「あっ、ごめんなさい。律くんがミニトマト丸々食べられるのが嬉しくて」

 由希くんは慌てて視線を外し、続けて言った。

「そうそう、ミニトマトと砂糖を合わせたらイチゴの味になるの、イチゴをくれたおばあさんに聞いたの」
「そうだったんだ……由希くんはその組み合わせで食べてみた?」
「うん、試してみたよ」
「イチゴ味だと思った?」
「イチゴの味がした気がしたけれど、でも見た目がミニトマトだから、ミニトマトの味な気がしてた」

 俺は小皿から砂糖たっぷりなミニトマトのヘタを掴む。

「由希くん、恋人らしいことしていい?」
「さっきの逆バージョンだね。うん、いいよ!」

 由希くんはふふっと笑いながら長いまつ毛をばさっと揺らしながら目を閉じる。そしてふわっと柔らかく口を開けた。由希くんは今、口の中にミニトマトを入れられると思っている。俺もそうしようと思っていた。だけど――

「由希くん、口を閉じてもいいよ」
「えっ、じゃあミニトマト口に入らないよ?」
「うん、大丈夫だよ」

 そう言いながら俺はミニトマトを小皿に戻した。

「由希くん、今から恋人らしいこと、するね」

 そっと由希くんに顔を近づける。そして軽く、一瞬だけ唇を重ね合わせた。由希くんはビクッと大きく揺れた。俺は何をやってしまったのだろうと恥ずかしくなって、すぐに由希くんから顔を離した。由希くんは目を全力で開き、顔を真っ赤に染めながら呆然としている。

「い、今のって、律くんの口と、僕の口……」
「ご、ごめん。許可とらずにいきなり……」

 由希くんの反応を見て、俺はやってしまった行為に反省した。

「本当にごめん。嫌わないで? 由希くんが可愛すぎて、愛しすぎて、つい……」

 もう嫌われてしまったら、生きていけない。俺は必死に許しを乞う。

「嫌うわけがないよ。だって、律くんだもん」

 ゆっくりと丁寧に由希くんは言った。

 由希くんを泣かせてしまったり、何かをしでかしたりしてしまうと必ず一番に考えてしまうのが「嫌わないで」だ。それを今、完全に否定してくれた。

「ありがとう、由希くん。あの、その、今の……嫌ではなかった?」
「い、今のって、キ?」
「そう、キ」

 キスって言葉、由希くんの前ではなぜか恥ずかしくて言えない。

「嫌じゃないよ。だって、僕もしたいと思ったし。もう一回してみる? 不意打ちではなくて、ちゃんとしているのを……」
「いいの?」
「うん、いいよ」

 由希くんからこうやって誘ってくれるのは珍しい。
 許可を得たものの、見つめられると動けなくなった。どうすればい良いのか、頭がまわらない。

「あ、あの、律くんの方が、攻めだと思うので、来ていただいても良いですか?」

〝攻め〟とは、由希くんの大好きな漫画のBL世界のカップルには攻める方と受ける方がいて、名前の通り、攻める方だ。

「俺が、攻めか……」
「うん、僕は絶対攻めなんてできないよ」
「分かった。やってみる」

 どんな会話を今俺たちはしているのだと思いながら、由希くんの顔を見つめた。ふわっとしている茶色の地毛、白い肌、くっきり二重の大きな目、さくらんぼ色した綺麗な形の唇。

 俺はごくりと唾を飲む。由希くんの左頬に手を添えると、そっと顔を近づけた。ドクンと心臓が大きく鳴った。由希くんは目を閉じたから、俺も一緒に目を閉じてみる。そして、柔らかなキスをした。

……

 顔を離したけれど、由希くんの目は閉じたまま。

「由希くん、もう目を開けても大丈夫だよ」
「あっ、本当に?」

 由希くんは目を開く。荒い呼吸をしていた。

「由希くん、大丈夫?」
「うん、呼吸を止めていたし、すごく緊張したから苦しくなっちゃった」
「由希くん――」

 目の前にいる由希くんの存在。愛おしさを通り越して切ない気持ちもやってきた。由希くんはやっぱり世界でひとりだけの、誰よりも大切な存在だ。

「由希くん、ゆっくり深呼吸して」と、俺は由希くんの背中をさすった。

「ありがとう、律くん」

 しばらくすると、由希くんの呼吸は落ち着いてきた。いつの間にか俺たちは手を繋いでいた。

「ねぇ、律くん。ケーキに砂糖をまぶしたミニトマトを乗せてみてもいい?」

 その組み合わせは合わなさそうな気がする。でも、実際はどうなんだろうと疑問を抱きながらも俺は「いいよ」と頷いた。

 由希くんは鼻歌を歌いながらケーキの上にミニトマトを置いた。俺は楽しそうな由希くんを見つめる。

 こんなに幸せで良いのだろうか。
 こんな未来が来るなんて、全く想像していなかった。

 由希くんがこっちを見る。

「どうぞ、食べてみて?」
「ありがとう」

 一口ケーキを頬張った。

「美味しい、かも?」
「本当に? 僕も食べてみよ」

 由希くんは一口食べると首を傾げた。

「ん? 美味しいのかなこれ?」

 顔を見合わせながら、俺たちは微笑みあった。

 今までで一番幸せな誕生日だった。生まれてきて良かったと、初めて心から思えた。

 由希くんの部屋の窓から見える夜空には、沢山の星が瞬いていた。


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