「……はっ!!」
 
 次の瞬間、俺は白い天井に出迎えられていた。
 
「お? やっと起きたか」

 視界に渋川が映り込んだ。

「し……ぶ、かわ……? ッ……!」
 
 起き上がろうとするものの、身体に力が入らない。渋川は寝ているようにという手振りをし、保健室の先生を呼びに行った。
 どうやら岩本のタックルを食らい、俺は気を失っていたようだ。幸い、植え込みがクッション代わりとなったおかげで外傷はないものの、岩本は先生からお叱りを受けたようだ。今日は既に早退しているとのこと。

「生きているのが奇跡だよ」

 保健室の先生から身体の頑丈さを褒められ(?)、俺は照れ臭さと恐怖と感謝を同時に抱いた。頑丈な身体に生んでくれてありがとう、母ちゃん。おかげさまで、二時間目が終わる頃には体調はすっかり回復していた。
 教室へ戻る道すがら、渋川が不意に尋ねてくる。

「なぁ百瀬、岩本と喧嘩したのか?」
「喧嘩? ……とんでもない!」

 首がもげそうになるほど横に振る。
 喧嘩などという生温い話ではない。あれは一方的な『破壊』だ。危うく俺はマイデスクと同じ運命を辿るところだった。

「岩本とも少し話したけど、大分落ち込んでたぜ? 『力を制御できなかった』『百瀬に合わせる顔がない』って」
「合わせる顔がないって……別に気にしてねぇし。……ごめん、嘘。気にはしてる。だけど、俺にも責任があるし」

 だけど、わからない。確かに岩本が書いた手紙を吉見のものだと早とちりしてしまったことは、悪いと思う。吉見のことが好きだと勘違いしていたということも。それが岩本を怒らせたことも理解できる。

(だけど、まさか泣くとは思わなかった)

 自分が手紙を書いたと白状する時、岩本は顔を真っ赤にして泣いていた。それほど俺を呼び出すことに、ひいては『何か』を伝えることに勇気を振り絞ったということだ。

「なぁ渋川、涙が出るほど勇気が必要な相談って何だと思う?」

 教室前での別れ際、渋川に尋ねてみる。

「それ相談なのか?」
「たぶん」

 うーん、と悩んだ挙句、「あっ」と渋川は手を打った。

「女装するから化粧道具を貸してく――」
「違う」

 渋川の肩に自分の肩をぶつける。渋川は笑いながら廊下の窓に激突した。
 どうして俺が化粧道具を持っている前提なのか。渋川のほうが持っていそうなのに。
 それじゃあ、と渋川が人差し指を立てる。

「恋の相談、とか?」

 ああ、と俺は膝を打った。確かに恋の相談は勇気が必要そうだ。しかし、そうなるとわからない。

「それって、俺が適任なのか? 渋川のほうが良くね? 姉ちゃんいるし」
「適任かどうかは岩本が決めることだろ?」
「それもそうか……」

(あれ? 俺、岩本からの相談なんて言ったっけ?)

 渋川の横顔を見遣るが、「じゃあね」と言って隣のクラスに去っていった。相変わらず掴みどころのないヤツだ。

「よっ、不良」
「サボりじゃねぇよ」

 席に着いた途端、窓井からおちょくられ、俺は気分が落ち着いた。過度に心配されるよりも、冗談交じりに話しかけられるほうが助かる。やはり窓井は俺のことをよく理解している。
 次の授業は、と机の中から教科書を出そうとすると、何かがポロリと落ちた。床に落ちたそれを拾い上げる。桃のあみぐるみだ。

「何それ? カワイイ」

 窓井が目をキラキラさせる。

「机の中に入ってた。窓井が入れたのか?」
「んなわけないじゃん。アタシだよ? 作れると思う?」

 思わない、と即答すると、ペシンとノートで頭を叩かれた。全く痛みがない。岩本にやられていたら、今頃地面にめり込んでいただろう。
 桃のあみぐるみをじっと眺める。これとよく似たものを最近目にした気がする。

「なぁ、誰か俺の席に座ってた?」
「ん? ん~、座ってないと思うよ~?」

 いつにも増していい加減な返事だ。棒読みとでも言おうか。
 机の中を漁ると、くしゃくしゃになった付箋(ふせん)が出てきた。俺のものではない。何故なら俺は付箋を使わないからだ。
 付箋には見覚えのある筆跡で一言。

【すまない。】

 手先は器用でも、コミュニケーションは不器用なのか。入学初日に連絡先を交換しているというのに、わざわざ手書きとは。過程を重んじるタイプなのかもしれない。
 思わず口許を押さえる。すると、窓井は頬杖をついてニヤニヤと笑った。

「百瀬って、わっかりやすいよねぇ」
「はあ? 何が?」

 窓井がネイルのついた指で俺の口許を指差す。

「コーフンすると、ニヤけるの隠そうとするじゃ~ん! なに? 気付いてなかったの?」

 俺は顔が熱くなるのを感じた。笑いを堪えるために口許を隠していた自覚はある。だけど、トリガーが興奮状態だということには、自分でも気づいていなかった。
 ここ最近、癖が出た瞬間を思い返してみる。

 岩本が破裂したボールを手にして落ち込んでいる時。
 岩本が家庭科室で楽しそうに部活している時。
 あみぐるみの送り主が岩本だとわかった時。

(全部、岩本絡みじゃねぇか! ……つまり俺って、岩本のことが――!?)