校内に岩本の怒声が響き渡る。普段の仏頂面が嘘のように目に涙を溜め、耳まで真っ赤になっている。岩本の周囲に湯気が立ち上っているようにさえ見えた。
 一瞬、言葉の意味を理解できなかった。俺が、その手紙を書いたんだよ? 岩本が、この手紙を書いた?
 岩本の言葉を反芻(はんすう)し、俺はようやくその意味を理解した。

 俺の机に手紙を忍び込ませた人物は――岩本。

 俺は口許(くちもと)を押さえた。そうなると話が変わってくる。
 思考を整理する前に岩本が早口で(まく)し立てる。

「何なんだ、あんたはッ!! 俺が吉見を好きだとか、俺が吉見のためにわざとあんたの机を破壊したとか、そ、それに、吉見がその手紙を書いたなんてッ……!! たったそれだけの文章書くのに、どれだけ時間がかかったか、あんたにわかるのかッ!? 手紙を入れてからだって、ずっと緊張して、渋川が机を漁り始めた時には頭が真っ白になって、机を壊しちまった後も、手紙を誰かに見られたらどうしようって、ずっと……ずっと、怖かったんだぞッ!! それなのに……あんたってヤツはァッ!!」
「どうして俺が責められてんの!?」

 まるで俺が悪者ではないか。元を正せば、岩本が机を破壊しなければ良かった話なのに。
 俺は手首の痛みを堪え、岩本の胸元をゆっくりと押し返す。こういう時に刺激を与えるのは禁物だ。驚かせないように、敵意が無いように、背中を向けないように、そっと、そおっと、岩本と距離を取る。クマと同じだ。俺は敵じゃない。本当だ。
 何かあれば助けを呼べる位置まで離れ、俺は肩で息をする岩本へと話しかける。

「お前が手紙を書いたってことは、じゅーーーーぶん、わかった! うん! 確かに筋が通ってる! おう!」

 じゃあ聞くけど、と俺は仕切り直す。

「伝えたいことって、何?」
「…………は?」

 岩本は茫然としていた。だから、と俺は続ける。

「伝えたいことがあるって書いてあったじゃん。俺に何の用? 人がいる前じゃ言えねぇこと?」

 女子からの手紙だからラブレターだと考えたが、差出人が岩本だと言うのなら話は別だ。何か重要なことを伝えようとしていたに違いない。何だろう? 力の制御を手伝ってくれ、とかそういうの?
 しばらく(うつむ)きがちだった岩本が、ようやく面を上げる。その顔は――まるで般若(はんにゃ)のようだった。人間がして良い顔ではない。

「あ……んたなァ……!!」

 あまりの殺気に俺の身体が後ずさる。俺の意志ではない。これは本能だ――!

「ななな……何ッ!? 吉見が書いたって言ったのはごめん! お前が勇気を出して、何か相談しようとしてたっていうのに、おちょくるようなこと言ったのもごめん! 謝るからさ! ね?」
「何ッッッッッッにも、わかってねえッ!!!!!!」

 刹那、岩本の姿が消えた。どこかに行ったのかと顔を動かすよりも先に、身体に鈍重な痛みが走った。
 俺の胴体に岩本のタックルが決まっていた。
 朦朧(もうろう)とする意識に反して、脳内にて急速に回想が巡り始める。

『岩本ってさ、すげぇガタイ良いよな。マジ惚れるわ。週に何回くらい筋トレしてんの?』
『……制御トレーニングなら毎日』
『せい……何だって?』

『おい岩本、逃げんなって! 球技大会、一緒に卓球出ようぜ? お前となら、ゼッタイ一位獲れるって!』
『すまない。卓球は……禁じられてる』
『テニス教なの?』

(これが走馬灯――?)

『岩本! みんなで打ち上げやるからお前も来いよ! もう予約しちまったから!』
『わかった』

『楽しかったー! 岩本は? 全然喋ってなかったけど、つまらなかった?』
『騒々しい場所は苦手だが……今日は楽しかった』

『今日は誘ってくれてありがとな。……すげぇ嬉しかった』
『そう……か。へへ、いけ好かないヤツかと思ってたけど、カワイイとこあんじゃん!』

(嫌だ! 俺はまだ死にたくない! 俺にはまだやりたいことがたくさん残っているんだ!)

『もう俺に関わらないでくれ。……迷惑だ』
『はあっ!? 何だよそれッ! かわいくねぇヤツッ!!』

(……ああ、そうか。俺、『心残り』があるんだ)

 思い返してみると、俺は想像以上に岩本と喋っている。岩本と接する時間を『物足りない』と感じていたからこそ、あまり喋ったことがないと思ってしまったのだろう。

(俺はもっと岩本と――)