翌日の午前七時。まだ薄暗い早朝。期末試験が近いせいか、朝練している部活はない。校内は静寂そのものだ。
体育館に隣接している駐車場には車が数台停められている。先生のものだろう。朝早くからお疲れさまだ。
こんな朝早くから登校している人なんて、たかが知れている。ましてや焼却炉に用事がある者などいるはずがない。
しかし、今日に限っては違う。廃材置き場に武永先生が机を運んでいる。一昨日、岩本によって破壊された俺の机だ。天板からフレームにかけてへし折れ、再起不能の状態だ。
武永先生が去ってから数分後、今度は別の影が机に忍び寄った。へしゃげた机の中へと手を突っ込み、何かを探している。
俺は焼却炉の陰から姿を現し、学校の備品に悪事を働かんとする不届き者の背中を叩く。
「探し物はこれか? ――岩本」
岩本は身体を跳ね上がらせ、油の切れた機械のように振り返った。平静を装っているが、俺の手に『それ』を認めると、僅かに眉根を寄せた。
弁明しようと口を開く岩本を手で制する。
「お前は何も言わなくていい。俺の話を黙って聞け」
俺は先程机の中から回収した『それ』――封筒を開き、便箋を取り出す。無地の紙に罫線が入っただけのシンプルなものだ。そこに書き連ねられた文字はバランスが悪く、お世辞にも上手いとは言い難い。
中身はまだ確認していなかったが、想像どおりのものだった。俺はゆっくりと噛み締めるように文章を読み上げる。
「百瀬さんへ。伝えたいことがあります。今日の放課後、焼却炉の前で待っています」
便箋から面を上げると、岩本は俺から顔を逸らした。その反応は俺の推理が正しかったことを何よりも証明している。
二月の早朝は寒さが堪える。手短に済まそう。
「この手紙は一昨日、バレンタイン当日に俺の机に入れられていた。つまりラブレターだ。差出人は書いていないけど、お前の行動を考えれば明らか。この手紙を書いたのは――吉見だ」
岩本がはっと口を開いた。額に玉のような汗をかいている。
「吉見は毎朝、俺の席で窓井と喋っている。その時にこいつを俺の机に入れたんだろう。両面テープで天板の裏に貼り付けて、な」
俺は封筒を裏返す。真っ白な裏面に茶色い粉のようなものがびっしりとついている。
「俺たちのことをよく理解している吉見のことだ。渋川が俺の机を漁ることまで予想できたんだろう。だけど、お前は違う。最後列から吉見が手紙を忍び込ませているのを目撃したけど、まさか天板に貼り付けているとは思わなかった。吉見が去った後に机の中から手紙が発見されれば、差出人が吉見であることは明らか。だから、お前は渋川が俺の机を漁ろうとしているのを見て、止めに入った。吉見のプライバシーを守るために『やめてくれ!』ってな」
「……違う」
岩本は力なく反論する。
「それなら俺より先に窓井が止めに入るはずだ。だが、窓井は何も言わなかった。つまり、それは吉見のものじゃないということだ」
ちっちっち、と俺は人差し指を左右に振る。
「窓井は真後ろの席だから、吉見の手元がよく見えなかったんだろう。死角ってヤツ? 第一、吉見じゃなければ誰が入れられるんだ? お前は手紙が入れられたことも、差出人が誰かってことも知っていた。だけど、そいつを知るチャンスは当日の朝しかない」
「俺は……手紙が入っていたなんて知らなかった。吉見がそれを書いたってことも……」
「じゃあどうして今、お前はここにいるんだ?」
俺は見るも無残なマイリトルデスクをそっと撫でる。指先から机の悲痛な叫びが聞こえる。『無念を晴らしてくれ!』……わかってるよ、マイリトルエンジェルデスク。お前の目の前で仇をとってやる!
「粗大ゴミの回収は毎週水曜日。だけど、過去の一件から粗大ゴミが廃材置き場に置かれるのは当日の朝になった。お前みたいな不届き者から学校の備品を守るために、な」
俺は岩本に詰め寄り、威圧するように下から睨み上げる。
「つまり、机から手紙を回収するには今しかチャンスがない。今ここにいるってことは、お前が机の中に手紙があるって知ってたことになるんだよ」
岩本が机から手紙を回収した理由も簡単だ。昨日、ゴールリングを棄てに来て、廃材置き場の看板を見たのだろう。【分別されていない物は回収しません】という文言から、机の中の手紙が業者に回収されず、先生の手に渡ると考えた。そうなれば、吉見が手紙を書いたことが公になるおそれがある。だから、業者が来る前に手紙を回収しようとした。
岩本は俺から顔を遠ざけ、もごもごと反論する。
「……机に手紙が入ってたってことは認める。当日の朝に手紙が入れられたってことも。……だが、それなら他にいるだろう。その……手紙を入れられるヤツが」
「渋川か? あいつには無理だ。机の中を漁ってすぐにお前が机を壊しちまった。机を壊した後に手紙を入れるなんて、皆が見ている前じゃできないだろう。それじゃあ窓井か? それも無理だ。吉見と一緒に登校してくる窓井にはそんなタイミングはない。吉見がいなくなってからも、入れ違いで渋川がやって来てるしな」
「……仮に、仮にだ。吉見が手紙を入れたとして、何故俺が吉見のためにあんたの机を破壊しなくちゃならない? 吉見とは喋ったことなんて一度もない。守る義理もない相手だ」
岩本の言うとおり、岩本と吉見の接点は俺と岩本以上にない。喋っているのも見たことがない。
簡単な話だ、と俺は岩本に背を向ける。
「お前は――吉見のことが好きなんだ」
空気が変わった。背中がピリピリする。岩本の表情はわからないが、きっと赤面しているに違いない。顔を見ないように背を向けた俺の気遣いに感謝するがいい。
「それならお前が机を破壊した理由にも説明がつく。お前は力の制御ができなかったと言っていたけど、実際には、はじめから机を壊すつもりだった。吉見のラブレターを俺に読ませないようにするため……。そう、俺と吉見を付き合わせないように、自分の心を守るために、お前は俺の机を破壊したんだ!」
ざあっと木々が揺れ、頬に冷たい風が突き刺さる。岩本からの返事はない。
(仇は取ったぜ、相棒)
元相棒ことマイデスクを一瞥し、手紙をポケットに突っ込む。
「そろそろ吉見たちが登校してくる頃だろう。これから俺は吉見にラブレターの返事をしに行く。別にお前に宣言する必要なんてねぇけど、まぁ筋ってモンがあるからな」
好きという気持ちが暴走するのはよくわかる。ましてや、自分の好きな相手が別の人に告白しようとしているとわかれば、阻止したくもなるだろう。岩本も俺たちと変わらない『ただの高校生』だったということだ。だから、今回の件は不問としよう。
じゃあな、と手を振り焼却炉を去ろうとすると、背後からか細い声が聞こえた。
「……がう」
「え?」
岩本の声だろうか。振り返ると、岩本が目と鼻の先にいた。あまりにも近距離だったので、思わず仰け反る。すると、岩本は俺の身体を支えるように手首を力いっぱい握り締めた。ありが――
「いでででででででででッ!! 骨が! 骨が折れるッ!!」
昔から頑丈なのが取り柄だと思っていたが、岩本の前では紙っぺらも同然だった。激痛のあまり涙目となる。
「…………から」
ぼやけた視界の向こうで岩本が何事か言っている。だけど、痛みで聴覚が遮断されているのか、よく聞こえない。
「ななななな、何ッ!? 痛ェ! 痛ェって!!」
「……だからッ!!」
徐々に視界が晴れてゆく。岩本が力を緩めたのか、ようやく痛みに慣れてきた。
「俺が、その手紙を書いたんだよッ!!」
目の前にいる岩本は爆発しそうなほど赤面し、目に涙を溜めていた。