放課後、渋川と共に家庭科室を覗き込んだ俺は、器用にミシンを操る岩本の姿を目撃した。
「岩本は――手芸部部長なんだ」
俺は口許を押さえ、渋川と目を合わせる。
「つまり手芸部こそ強さの秘訣……!?」
「悪い、そこは関係ないんだ。岩本の力が強い理由は俺も知らない」
渋川の両肩を掴み、首がもげそうになるほど大きく揺さぶる。
「思わせぶりなこと言いやがって!! 俺が知りたかったのは、どうして岩本があんな力を持っているかってことなんだよ!! あの力さえ無ければ、俺はチョコを貰えてたし、彼女だってできていた!! 今頃幸せな家庭を築けていたはずなんだ!!」
一姫二太郎、俺と嫁。四人家族で一家団欒している光景がまぶたの裏を駆け巡る。
『パパー! 抱っこー!』
『はは、しょうがいないなぁ。それっ!』
『きゃっきゃ!』
そこに迫り来る岩本の魔の手。俺は岩本の強大なる力によって、妻と子を奪われたのだ。
渋川が首を傾げる。
「イマジナリーガールフレンド?」
「違う! シュレディンガーの彼女だ!」
「死んでるじゃん、それ」
渋川は俺に揺さぶられながらゲラゲラと笑う。
「こうなったら、岩本に責任とってもらわねぇと……!」
「俺の彼女になれ、って?」
四人家族の一人が岩本にすり替わる。
『百瀬! またオモチャなんて買って! 甘やかし過ぎるなと言っただろう!』
『ははっ! いいじゃないか! 愛娘がこんなに喜んでいるんだから!』
『きゃっきゃ!』
岩本が怒りに任せてオモチャをへし折る光景まで見えた。うむ、これは……。
「……悪くない?」
「マジか」
「ただ、ちょっと力が強過ぎるな」
全て暴力で解決するのは子供の教育上よろしくない。せめて制御できるようになってさえいれば話は別だが。
「確かに岩本は力が強過ぎるけど、ただそれだけだ。それ以外は俺たちと何も変わらないぜ? ほら」
渋川の視線を追いかけ、岩本の様子を凝視する。
岩本はミシンを止め、縫い目をチェックしていた。体格の良い岩本が使用していると、ミシンでさえも凶器に見えてくる。
意外なことに手芸部での岩本は生き生きとしていた。他の部員とも楽しそうに談笑しており、教室での無愛想さが嘘のようだ。
「部長! またボビン粉砕しましたね?」
「すまない。取り出す時に捻り潰しちまった」
「もうっ! 今度は部長が買ってきてくださいよ~?」
あはは、と家庭科室に笑い声が木霊する。そんな中、岩本だけは誰にも見せないように寂しげな表情を浮かべていた。
隣で静観していた渋川が神妙な面持ちとなる。
「岩本は孤独なヤツなんだ。力を制御できないあまり、無闇に他人と関われない。手芸部に入ったのだって、精緻な作業を通して、自らの力を制御できるようになるため。……机を壊されたからってそう責めてやるな。岩本は一人で壁を乗り越えようとしているんだ」
「渋川……」
(お前は一体、誰なんだ……?)
まるで育ての親のような台詞を吐く渋川に、俺は初めて戸惑いを覚えた。これが人気の秘訣なのだろうか。
「岩本は優し過ぎるんだ。昨日だって……」
(まだ続くのか……)
俺の視線の先で渋川が滔々と岩本について語る。
「百瀬がチョコ貰ったか机の中を確認してやろうとしたら、岩本は『やめてくれ』と言って机を破壊した。……百瀬のために罪を被ったんだ。誰が責められる? いや、責められないだろう」
「いや、責めるぞ俺は」
シュレディンガーの彼女を奪った罪は重い。
(ん? 『やめてくれ』? 『やめろ』とか『やめとけ』じゃなくて?)
俺は引っかかった。『やめてくれ』では、まるで自分に危害が及ぶのを防ごうとしているようではないか。
岩本は俺の机を破壊した。何故なら渋川が俺の机を漁ろうとしていたから。
いや、そもそもそこがおかしい。渋川が俺の机を漁るのは今回が初めてではない。去年のバレンタインでも、俺より先に机を漁っていたはずだ。だけど、机を壊されたのは今回が初めてだ。
岩本が机を破壊した『理由』に固執していたが、考えるべきはそこではなかった。机を破壊したことで『防ぐことができたこと』『守ることができたもの』を考えるのだ。
(シュレディンガーのチョコ……?)
口許を押さえる俺を見て、渋川が怪訝そうに眉をひそめる。「百瀬?」と声をかけられたものの、俺は返事の手間すら惜しんだ。
「……なるほどな」
岩本の事情は理解した。だからと言って、昨日の一件を許すつもりはない。俺のプライドを守るため、岩本には責任をとってもらうとしよう。