気付けば俺は渋川の首を絞めていた。

「渋川ぁ!! お前、俺のチョコを横取りしやがったな!?」

 俺の怒りに反して、渋川は愉快そうに笑うばかりだ。そういう余裕のある態度が人気の秘訣なのだろう。常に全力投球な俺とは正反対だ。
 手の力を緩め、渋川を軽く押しやる。渋川がボール用のカゴにぶつかり、中のバスケットボールが無造作に揺れた。
 二クラス合同の体育で、俺たちの動向に気にする人は誰もいない。ましてや今はバスケの試合中だ。誰もが試合の行く末を見守っている。

「確かに百瀬の机は少し漁ったな。チョコ貰ってねーかなーって気になってさ」
「やっぱり!」
「どうどう。期待を裏切って悪いけど、軽く探した感じだと、百瀬の机にチョコは入ってなかったぜ? 誰かに聞けばわかるだろうけど、教室から出る時、俺は手ぶらだった」
「じゃあ、その場で食べたんだ! 岩本から注意される前に、俺の机からバッとチョコを取り出して、ささっと食べて証拠を隠滅したに違いない!」
「執着するねぇ」

 渋川は仕切りのネット越しに女子の様子を眺める。窓井と吉見がバレーボールでレシーブし合っている。

「気になるなら窓井に聞いてみな。ずっと席にいたから、俺が何かしてれば見てると思うぜ」

 俺はつかつかと窓井たちの方へ向かう。
 数分後、俺は渋川のもとに戻った。

「お前の言うとおりだった。窓井が『渋川は何も持ってなかった』って。吉見も『渋川と入れ違いでクラスを出たけど、何かを隠せるような物は持ってなかった』って。渋川、お前は……無実だ」
「苦虫を噛み潰したような顔で言われてもな」

 俺は渋川の無実を手放しで喜べなかった。本当は俺もチョコを貰っていた、という幻想に(すが)りたかったのだ。

(岩本は渋川を止めようとして俺の机を壊した……か)

 コートを挟んだ体育館の反対側を見やる。岩本が膝を抱え、試合の行く末を見守っている。

(そんなヤツが見学とか、絶対仮病だろ)

 岩本は体育の授業をほとんど見学している。今まで持病かと思っていたけど、昨日の一件を見る限り、要因は他にありそうだ。現に、岩本は水泳の授業には参加し、校内一の記録を叩き出している。個人競技にのみ参加している印象だ。

「……岩本が俺の机を破壊した理由はわかった。だけど、岩本は『俺のため』にそこまでするか?」
「『そこまで』って……友達なんだから、注意の一つや二つしたくなるだろ?」
「岩本とは『友達』って呼べるほどの仲じゃねぇよ。そんなに喋ったこともねぇし」

 そう、俺と岩本の接点は一年と二年でクラスが同じということ。ただそれだけだ。そんな俺を庇って(?)、岩本が俺よりも仲の良い渋川を注意するとは思えない。俺を庇う理由がないのだ。

「そうなのか?」渋川はきょとんとする。「聞いてた話と違うな」
「聞いてたって、誰から?」
「噂で」

 おい、と渋川の肩を小突く。つまらない冗談言いやがって。俺と岩本の関係値が噂で流れてたまるか。
 岩本とは数えるほどしか喋ったことがない。少な過ぎて逆に全て思い出せる。
 直近で言えば、去年の文化祭だ。模擬店の準備で力仕事の大部分を岩本に任せていた。

『岩本、この荷物運んでくんね?』
『わかった』

『岩本、こっちの作業やっといてくんね?』
『わかった』

『岩本、ちょっとコンビニで食いモン買ってきてくんね?』
『わかった』

(ろくでもないヤツだな、俺……)

 謝罪と謝礼の意を込め、対岸の岩本へと頭を下げる。二礼二拍手一礼。残念ながら一文無しなので賽銭は投げられない。頭を上げると、岩本も頭を下げていた。よし! ナイスコミュニケーション!
 不意にバスケットボールが天高く投げ出された。どうやらディフェンスがシュートをブロックしたようだ。思わず視線で追いかける。
 ボールは放物線を描き、ゴールの真後ろに座っていた岩本の頭上へと落下してゆく。岩本が立ち上がり様にキャッチすると、ボールはまるで風船のように弾けた。両チームに緊張が走る。

「わお……」

 俺は口許(くちもと)を押さえる。衝撃を通り越して笑えてきた。茫然と(たたず)む岩本がツボに入る。
 体育の梅田先生が俺たちのもとへと駆け寄ってきた。替えのバスケットボールを用意したいのだろう。俺は後ろのカゴからボールを一個取り出し、先生へと投げ渡す。先生はボールを生徒へと渡すと、何事も無かったかのように笛を鳴らした。
 岩本はコートを迂回(うかい)し、おずおずとバスケットボールの残骸を梅田先生へと差し出した。梅田先生の顔が見る見るうちに青ざめてゆく。

「なんと哀しきモンスター……」
「おい、百瀬」

 ぼそりと呟いていると、梅田先生がボールの残骸を差し出してきた。

「悪いんだが焼却炉に()ててきてくれ」

 なんと可哀想な俺……。一緒に行くよ、と渋川が言ってくれなければ、岩本の首根っこをひっ捕らえて、棄てに行かせたことだろう。


 ***


「――ってか、岩本が棄てに来いよ!!」

 廃材置き場へとバスケットボールの残骸を叩きつけ、俺は怒号を(とどろ)かせた。二月半ばにもかかわらず、身体から湯気が立ち上らん勢いだ。
 焼却炉は体育館裏手の駐車場を抜けた先にある。焼却炉自体は何年も前から使用されておらず、廃材置き場のことを便宜的に『焼却炉』と呼んでいる。
 肩で息をしていると、隣で渋川は苦笑し、

「不燃ゴミはそっちじゃないぞ」

 と右隣を指差した。俺は渋々残骸を拾い上げ、隣の区画へと投げ入れる。

「どっちに入れたって一緒だろ。明日になれば回収するんだから」

 はあ、と渋川は呆れた様子で廃材置き場の看板を指差した。そこには【粗大ゴミ】【不燃ゴミ】【毎週水曜日回収】【分別されていない物は回収しません】【粗大ゴミは当日の朝に出すこと】と古めかしい文体で書かれている。

「粗大ゴミは当日の朝? どうして?」
「昔、机を置いといたら、生徒が勝手に持ち帰って売っ払っちまったらしいぜ? 廃棄品とは言え学校の備品だ。大事になって、以来粗大ゴミは泥棒対策として当日の朝まで倉庫で保管することになったんだと」

 言われてみれば、廃材置き場に俺の元相棒ことマイデスクの姿が見当たらない。渋川の話から察するに、昨日、担任の武永先生が倉庫へと運んだのだろう。悪態を吐きながら玉のような汗をかいている武永先生の姿が目に浮かぶ。
 へえ、と相槌(あいづち)を打ったところで、校舎から授業終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。「行こうぜ」と(きびす)を返す渋川の背中を追いかける。
 せっかくの体育がゴミ捨てで終わってしまった。名残惜しい気持ちを怒りへと昇華させ、俺は盛大に溜め息を吐く。

「あーあ、岩本のせいで昨日からついてねぇ。やっぱ苦手だわ、アイツ」

 と口にしたところで当の岩本と出くわした。思わぬ遭遇に俺は言葉を失う。
 岩本は脇に何か抱えていた。おそらくバスケットのゴールリングだろう。かつて円形だったそれは、すっかり楕円形になっている。誰だ岩本を参加させたヤツは。
 気まずさのあまり俺は黙ってしまった。隣で渋川が「よっ」と声をかけるものの、岩本は軽く会釈(えしゃく)し、焼却炉の方へと向かってゆく。俺の方を見ようともしない。
 そこで俺は焼却炉の看板を思い出し、咄嗟(とっさ)に岩本の体操着を掴んで呼び止めた。

「おい岩本――!」

 岩本の体操着がまるで障子のように背中から引きちぎれた。
 手元の布切れを見下ろす。岩本の推進力もさることながら、俺の握力も大概だ。
 引き留められた自覚が無かったのだろう。背中の涼しさを感じて、ようやく岩本は立ち止まった。背中にペタペタと触れ、こちらを振り返る。俺の手元の布切れを見て、やっと状況を理解したようだ。
 岩本が眉根を寄せて不快感をあらわにする。

「俺に触るな。……死ぬぞ?」

 岩本が言うと、中二病とかではなく本当に命に関わる気がしてならない。
 途端に身体が震え出す。これはきっと寒気ではなく恐怖だ。目の前の人間から逃げろと本能が危険を知らせているのだろう。
 しかし、俺は本能に背き、岩本へと近づいてゆく。俺にも義理や人情はある。ジャージを脱ぎ、岩本に手渡す。

「悪かった。これ、教室で返せよ?」

 岩本は躊躇(ためら)いながらも、俺の厚意を受け取った。ゴールリングを抱えながら、器用に袖を通してゆく。袖が少し破けたように見えたけど、きっと気のせいだろう。
 あと、と俺は本題を切り出す。

「粗大ゴミは明日の朝出せってさ!」
「粗大?」

 岩本は脇に抱えたゴールリングを見つめる。納得いっていない様子だ。
 隣で渋川がフォローを入れる。

「30cm超えたら粗大らしいぜ?」
「そうか」

 岩本はネットの部分を引きちぎり、ゴールリングを小さく丸めた。あっという間に鉄塊(てっかい)が出来上がる。

「こっちが不燃で、こっちが燃えるゴミでいいか?」

 小刻みに(うなず)いてみせると、岩本は焼却炉へと去っていった。
 岩本の背中を戦々恐々と眺め、隣で手を振る渋川へと耳打ちする。

「なぁ渋川、岩本(あいつ)は一体何者なんだ? 机を真っ二つに破壊したり、ゴールリングを紙クズみたいに丸めたり、フツーの人間にしては力持ち過ぎる」
「百瀬……まさか知らないのか?」

 渋川が信じられないとでも言うように俺の顔を凝視する。

「岩本の正体は――」