首筋を擦る。昨日の痛みは残っていない。昔から身体だけは丈夫なのだ。
「もーもせっ! 昨日、チョコ何個貰った?」
「ぐぬぬぬぬっ!!」
下駄箱のフタを力任せに締め、肩を並べてきた友人・渋川へと遺憾の意を表明する。寒波なんて何のその。俺は怒りで身体が焼け焦げそうだった。
「岩本が机を壊さなかったら、たくさん貰えていたはずなんだ!! だのに!! アイツが!! 俺の机を壊したから!! 誰も机にチョコを入れられなかったんだ!!」
「まあまあ、怒りなさんな。俺からの友チョコ。要る?」
渋川がスティック状のチョコ菓子を俺の口へと突っ込む。俺はポリポリと菓子を咀嚼し、怨嗟のこもった視線を隣の友人へと向ける。
「……渋川は何個貰った?」
「ん? にー、しー、ろー、やー……十個!」
「嘘だッ!! どうせ全部姉ちゃんからだろッ!!」
「姉さん入れたら十二個だな」
「じゅうにっ……!?」
小動物みたいな声が出た。多分顔はフクロウみたいにきょとんとしていることだろう。
渋川がケラケラと笑う。爽やかな外見とその気さくな性格から、渋川は男女問わず人気が高い。何を考えているかわからない『あの岩本』とも喋っているところを何度も見たことがある。しかも、会話が結構弾んでいた。
「なぁ渋川、お前岩本と仲良いよな?」
「まあね。岩本な、けっこー面白いぜ? 馬鹿真面目だし」
「馬鹿真面目ねぇ」
昨日の一件を思い返す。岩本は俺の机を破壊し、あまつさえ机を二階建てにして俺を肩車するという奇行に走った。通称『岩本ショック』。真面目が行き過ぎると、あのような奇行に走るのだろうか。俺も意地になって、岩本の提案に乗ってしまったが、今では思い出すだけで耳が熱くなる。
(いや、あれは岩本が悪い!)
階段を上りながら、俺はぶつぶつと恨み言を口にする。
「わざわざバレンタイン当日に人の机壊しやがって。俺に恨みでもあるのかよ」
「恨み?」
渋川はぶっと噴き出し、腹を抱えて笑った。俺はムッとし、渋川のマフラーを引っ張る。
「その顔は何か知ってるな? 言え! どうして岩本は俺の机を破壊したんだ!?」
「さあ? 理由はわかんねーけど、少なくとも百瀬に恨みはねーと思うぜ?」
じゃ、と言って、渋川は隣のクラスに消えていった。
待てよ、と伸ばした手を引っ込め、俺は自分のクラスへと入った。あの顔は問い詰めても教えてくれない顔だ。無駄なことは止そう。昨日の恥を忘れ、堅実に生きてゆくのだ。
おはよう、と誰にともなく口にすると、俺の席に座ってお喋りしていた女子生徒が振り返った。文系クラスの吉見だ。
「あ、おはよー。百瀬、もう来たんだ。昨日は遅かったのに。もしかしてチョコ待ちだった? ごめん、もう売り切れなんだ」
「うるせー」
キャハハと笑いながら席を立つ吉見を、しっしと手で払い除ける。吉見は後ろの席の窓井に「バイバーイ」と手を振ると、教室の外に消えていった。
岩本によって真っ二つに破壊された俺の机は既に撤去され、代わりに岩本が持ってきた机とイスが並べられている。空き教室にあった備品なので、以前の机に比べると年季が入っているものの、使う分には問題はない。あとは気持ちの問題だ。
机にバッグを置き、俺は最後列を横目に見る。岩本が静かに本を読んでいる。
岩本の朝は早い。以前、文化祭の準備のため七時頃登校した時にも岩本は既に登校していた。ちなみに二番手は吉見・窓井コンビだ。
(あいつ、俺の気持ちも知らないで呑気に本なんて読みやがって!)
俺はつかつかと岩本の席に近付き、読んでいた本を取り上げた。岩本の反応は薄い。まるでこうなることを予期していたかのようだ。
それが癪に障った。俺は岩本が読んでいた本をパラパラと捲る。
(お前がどんな趣味してるか見てやろうじゃねぇの)
栞が挟まっていたページを開く。そこにはこう書かれていた。
【♥あみぐるみの作り方♥】
「ほぉぉぉぉ……!?」
我ながら素っ頓狂な声が出た。
開いたページには毛糸でのぬいぐるみ(『あみぐるみ』と呼ぶらしい)の作り方が紹介されていた。猫やウサギなど、大小様々な動物の写真が掲載され、種類ごとに必要な毛糸の色や量がわかりやすく説明されている。果物のあみぐるみなんてものもあるのか。
俺は本と岩本の顔を交互に見遣る。岩本が、毛糸を編んで、ぬいぐるみを作る? まだ『毛糸を駆使した武闘術』のほうが納得できただろう。
三往復したところで、ようやく岩本が口を開いた。
「返せよ」
ぶっきらぼうな要求に俺はムッとする。
「おい岩本、昨日はどうしてあんなことしたんだよ?」
「いいから返せって」
岩本が腰を浮かせ、俺の手元へと手を伸ばす。俺はひょいっと本を頭上に掲げ、仏頂面の岩本を見下ろした。岩本の眉根に皺が寄ってゆく。
埒が明かないと感じたのだろう。岩本は腰を落ち着かせ、唇を尖らせた。
「……イスが足りなかったから、ああするしかなかった」
「そうかそうか、イスが足りなかったからか~!」
岩本の顔面に本を叩きつける。
「ちっがーう!! 肩車した理由なんてどうでもいいんだよ! いや、そっちもワケわかんねぇけどさ! 他人の机を真っ二つにかち割るなんて、何か理由が無きゃやらねぇだろ、フツー!」
「理由があってもやらないっしょ、フツー」と茶々を入れてくる窓井を睨みつける。敵意を向けられても尚、ケラケラと笑うあたり、窓井は吉見とよく似ている。二人とも俺という人間をよく理解しているようだ。
岩本は机の上に落ちた本をじっと見下ろした。俺から目を逸らしているあたり、やましいことがあるのは明らかだ。
「……破壊するつもりはなかった」
「はあ?」
「あんたの机を漁ってるヤツがいたから、机を叩いて注意するだけのつもりだった。だが……力を制御できなかった」
なんと哀しきモンスター……。
じゃなくって!
岩本の机をバンッと叩き、ずいっと身を乗り出す。目と鼻の先に迫られようとも、岩本は決して目を合わせようとしない。肝が据わっているのか、舐められているのか。
「こんな風に『やめろ!』って言ったわけか? 一体誰に?」
岩本は逡巡し、チラリとこちらを見た。
「……渋川」