ぼんやりと零人の背中に目をやっていると、やがて母ちゃんがケーキと紅茶を持って来て、トレーごとテーブルに置いて言った。
 
「後は適当にやってね」

 なんともガサツな母ちゃんだ。
 
「零人くん、ゆっくりして行ってね」
  
「はい」

 母ちゃんの言葉に、零人はにっこり笑った。


 母ちゃんが出て行った後、まだ不思議な気分から抜け出せずにいる俺に、零人が言った。
 
「どうやって食べようか」

「え?」

「椅子が一つしかないから」

「あっ、そうか」

「そっちに持って行って食べる?」

 零人が、俺が腰かけているベッドを指す。
 
「ああ」

 零人は机で食べるのかと思ったら、ケーキと紅茶ののったトレーを持って来て俺の横に置くと、さっさとその向こうに腰かけた。
 
 お、俺のベッドに零人がっ……!
 
「ここのケーキ、すごくおいしいんだよ」

「あ、ああ」

「食べよう?」

「うん」

「いただきまーす」

 零人は、膝の上にショートケーキの皿をのせて食べ始めた。
 
 俺は、イチゴを頬張る彼の横顔を見つめる。
 
「何?」

「あ、いや」

 戸惑いながら、俺もケーキを食べ始める。
 
「うまい」

「でしょ?」

「……あのさ」

「うん?」

「いや」

 零人が、首をかしげて俺を見る。
 
「ええと、俺は足がこんなだから、ゴールデンウイークって言ってもずっと家にいるけど、零人は、お母さんと出かけたりするのか?」

「毎年ゴールデンウイークは、ママはずっと仕事だよ。お店のかき入れどきだからって」

「そうなのか」

「その埋め合わせってわけでもないけど、夏休みは、いつも海外旅行に連れて行ってくれる」

「へー、豪勢だな」

「この年になると、ママと二人で旅行っていうのも微妙だけどね」

「ははっ、そうか」

 本当に聞きたいのは、こんなことじゃない。
 
 そう思っていると、突然、零人がこちらを向いて、思いつめたような目で俺を見た。
 
「あのさ、もしも淳太が迷惑じゃなかったら……」

「え?」

「休み中に、また来てもいい?」

「あっ、もちろんいいけど」

「あのさ、淳太に話しておきたいことがあるんだけど」

「うん」

「……もうずっと、恋人とは連絡取ってない。一度、向こうから来たけど、返さなかった」
   
「そう、なのか?」

 零人は、再び正面に向き直って話し始めた。
 
「僕、彼とはもう終わりにしようと思うんだ」

「……マジ?」

「てか、僕が返さなかったら、それっきりで、結局僕って、彼にとってはその程度の存在だったんだなぁって」

「零人」

「去年のゴールデンウイークは、僕が何も言わないうちに彼女と旅行に行くって言われて。悲しかったけど、嫌われたくなかったから我慢した。

 誕生日も、ホントは一緒に過ごしたかったけど、断られるのが怖くて言い出せなかった」
   
「零人、もういいよ」

「勘違いしないで。別に嘆いてるわけじゃないんだ。

 去年の僕はそうだったけど、今は違うっていう話」
   
「え?」

「1年ときの僕は一人ぼっちで寂しくて、彼だけがすべてだった。

 でも2年になってからは、淳太と友達になって、チャットしたり、病院に行ってスイーツを食べながら話したりして、毎日すごく楽しい。
   
 気がついたら、恋人と過ごすよりも、淳太と過ごすほうが、ずっと……」
   
「え?」


 そこで突然、零人があわてたように言った。
 
「あっ、ごめん。違うよ、そういう意味じゃ」

「そういう意味って?」

「淳太とは友達だから、前にも言ったけど、身代わりとかそういうんじゃない」

 わかっていても、わざわざそう言われると複雑だ。
 
「そうだよな。俺たちは友達だもんな」

「でも、淳太といると、ホントにすごく楽しいし、ありのままの自分を出せるんだ。彼といるときは、いつも我慢ばかりしてた」
   
「そうか」

「あのさ」

「うん?」

「淳太は僕のこと、気持ち悪いと思わないって言ってくれたけど」

「うん」

「淳太は好きな人はいないって言ってたけど」

「うん」

「淳太は、女の子が好きなんだよね?」

「あっ、ええと……」

 なんて答えればいい? いったい、なんて答えるのが正解なんだ!?
 
 もしも間違えた答えを言ったとき、今まで築き上げたものがすべて壊れてしまうのでは……。
 
 だが、そのとき天啓がひらめいた。
 
「そういうのは関係ない。つまり、好きになった相手が好きっていうか」

「あ……そうなんだ」

「変、かな」

「ううん。変じゃない」

 俺たちは、食べかけのケーキの皿を膝の上に置いたまま黙り込む。
 
 言う瞬間までは、これぞベストな答えだと思ったのだが、すでに今は間違えてしまったような気がしている。
 
 零人が言った。
 
「じゃあさ、たとえば……今まで友達だった相手を好きになる、とか」
   
「あっ。そういうのもある、かも。

 いや。……そうじゃない」
   
「え?」

 後悔するかもしれない。だけど、もうこれ以上黙っていることなんてできない。
 
「ホントは好きなのに、友達のふりをして付き合う、とか」

「え?」

「ホントは好きだけど、相手は自分のことを友達としか見ていなくて、だから嫌われるのが怖くて、ホントの気持ちを言えなくて……。

 相手には恋人がいて、ホントはつらいけど、相手が幸せならそれでいいなんてカッコつけて、でもホントは、ただ勇気がないだけで……」
   
 ヤバい。泣きそうだ。
 
「それなら僕も」

「え?」

 見ると、零人の両目に涙の粒が膨らんでいる。
 
「いつの間にか、その人の存在が恋人よりも大きくなって、気がつくと、いつもその人のことばかり考えてて。

 でも、ホントは好きなのに、嫌われるのが怖くて、友達だよって強調して。
 
 だって、その人のことが大好きで、ずっと一緒にいたくて、その人を失うのが怖くてたまらないから……!」
   
 表面張力の限界を超えた涙が、ポロポロと頬を伝ってこぼれ落ちる。
 
 俺は、ついに言った。
 
「俺、いつも零人のことを見てた。あの日、サッカーの試合中も。

 それで、零人が集団に巻き込まれそうになってるのに気づいて、助けなきゃって思ったんだ」
   
「淳太……」

「骨折には参ったけど、思い切ってチャットしたいって言ったらオッケーしてくれて、俺、うれしくて、心の中でガッツポーズしたんだぜ」

「あ……」

 俺は、くしゃくしゃになった零人の顔を見て言う。
 
「好きです。俺の恋人になってください」

「……はい」

 泣き顔が、笑顔に変わる。
 
 

「わー、すげぇ……。あっ、あれってもしかしてフォレストランドの観覧車?」
   
「そうだよ。足がすっかりよくなったら一緒に乗りに行こう」

「うん」

 俺たちは、タワマンの零人の部屋の窓から、晴れわたった外の景色を眺めている。
 
 今日は5月25日。零人の誕生日だ。
 
「これ……」

 俺は、リボンのかかった小さな箱を差し出した。
 
「誕生日のプレゼント。何にしていいかわからなくて、すごく悩んだんだけど」

「ありがとう……。開けていい?」

「もちろん」

 それは、クリスタルの小さなウサギだ。プレゼントを探して、まだ治りきらない足を引きずりながらデパートの中をうろついていて見つけた。
 
「きれい……」

「それを見た瞬間、『あ、零人だ』って思ったんだ」

「え?」

 零人が、横に立つ俺を見上げる。俺は、その目を見つめながら言う。
 
「きれいでかわいくて」

 繊細で壊れそうで、たまらなく愛おしくて。
 
「すごくうれしい。ありがとう……」

 陽の光を受けて輝くクリスタルの光を反射して、零人の目もキラキラしている。
 
「それにしても、すごい部屋だな」

「そう?」

「広くて、この部屋だけで俺んちがすっぽり入っちゃいそうじゃん」

「そんなことないでしょ」

「それに、この景色。零人は、毎日こんな景色を見て暮らしてるんだな」

「もう見飽きたけど」

「ほー。そんなセリフ、俺も言ってみたいぜ」

「だって……」

 零人は目を伏せる。

「うん?」

「どんな景色だって、一人ぼっちで見てもつまらないよ」

「零人……」

「でも」

 零人がにっこり笑った。
 
「今日は淳太と一緒に見られてうれしい。それに、誕生日を一緒に過ごせるなんて夢みたい」
   
「夢じゃないぜ。俺もうれしいよ」

 零人は、ドアのほうをちらりと見て言った。

「ホントは二人きりで過ごしたかったけど……」

 今日は零人の母親は休みを取っていて、正式には、俺は零人の母親に招待されてやって来たのだ。
 
「ママ、朝から張り切って料理してる」

「そうか」

「ママの料理、けっこうおいしいんだよ」

「楽しみだな」

「ケーキもあるよ。この前、淳太の家にお土産に持って行ったのと同じお店のやつ」

 二人きりで過ごしたかったと言いながら、零人はとてもうれしそうだ。
 
 そのことが、俺もうれしい。二人きりで過ごす時間ならば、この先いくらでもあるだろう。
 
 俺は、体ごと零人のほうを向く。
 
「あのさ」

「うん?」

 零人もこちらを向く。

「俺、零人のこと、大切にするよ。全力で零人のことを守るし、絶対に悲しい思いなんてさせない。

 だから、これからもずっと一緒にいてほしい」
   
「あ……」

 零人の目に涙が浮かぶ。
 
「いつもやさしくしてくれてありがとう。何度も僕を助けてくれてありがとう。

 ダメな僕を叱ってくれて、たくさん話を聞いてくれて、ホントに僕は、何度も何度も淳太に救われたよ。
 
 今度、何かあったときには、僕も淳太を助けたい。僕も、ずっとずっと淳太と一緒にいたい」
   
「零人」

 俺は、零人の細い両肩に手を置き、静かに顔を近づける。
 
 零人が、そっと目を閉じる。
 
 唇と唇が重なる。
 
 END