なかなか返信が来ない。もしや零人は、俺に打ち明けたことを後悔しているのだろうか。
 
 だが、この俺が、零人のことを気持ち悪いなどと思うわけがない。
 
 俺だって男が、というか、零人のことが好きなんだから!
 
 その零人に恋人がいたのはショックだが、考えてみれば、あんなにかわいいんだから、いてもちっとも不思議はない。
 
(俺は零人のことを気持ち悪いなんてまったく思わないし、このことは絶対に誰にも言わない。
   
 だから、これからも友達でいてくれないか?)
   
(ホントに?)

(ホントに。チャットも続けたい)

(ホントに?)

(だからホントだって!)

(ありがとう。じゃあ、これからもよろしく)

 よかった。いや、よかったというか、すごく複雑な気持ちではある。
 
 急接近した勢いで、このまま両想いになれたら、なんて思っていたのだが、その夢はあっけなく砕け散った。
 
 だからといって、好きな気持ちは、そう簡単には抑えられない。
 
 恋人がいても、やっぱり零人のことが好きだし、チャットもしたい。
 
 情けないことに、不意に涙がこみ上げるが、ぐっとこらえて返信する。
 
(こちらこそよろしく)

(ところで、昨日の急用のことだけど)

(うん)

(あのとき、恋人からメッセージが入って)

 ちぇっ。そういうことか。

(それで?)

(急に仕事がキャンセルになったから、今から来ないかって)

 はー……。それが「急用」か。
 
(で、会いに行ったのか)

(うん)

(恋人の家?)

(うん。泊った)

 はあぁぁー……。
 
(でも、恋人の家に泊まったりして、うちの人はなんにも言わないのか?)

(うち、母子家庭で、母親は夜は仕事でいないから)

(なるほど)

(今日の朝、学校の近くまで彼に車で送ってもらった)

 そこまで教えてくれなくてもいいのにと思いつつ、質問を続ける。
 
(恋人って、何してる人?)

(サラリーマン)

(いくつ?)

(25歳)

(ずいぶん年上なんだな)

(うん)

(年上が好みなのか?)

(うん)

 ちぇっ。最初から俺は対象外だったんじゃないか。
 
 内心打ちひしがれつつ、好奇心にあらがえなくて質問を続ける。
 
(知り合ったきっかけは?)

(彼は僕の家庭教師だったんだ)

 何? 教師が生徒に手を出すなんて、職権乱用じゃないのかっ!?
 
(さっき言ったように、いじめに遭って学校に行けなくなって、それで受験のために勉強を教えてもらってたの)

(なるほど)

(でも、付き合い始めたのは高校生になってから)

(そうか)

 事情はよくわかったが、わかったからといって全然うれしくはない。
 
 しかたがないが、俺とのチャットなんて、恋人とイチャつくためにはあっさり切り捨てる程度のものなんだな。
 
「あー……」
 
 思わず吐息交じりにつぶやいてから、消灯後の四人部屋にいることを思い出し、俺はあわてて口元を押さえる。
 
 隣のベッドのおっさんが、わざとらしく咳ばらいをした。
 

 情けなくて、再び涙がこぼれそうになる。
 
 知らなかったけど、俺って失恋すると泣くタイプなんだな。
 
 そんなことを思っている間にもメッセージが届く。
 
(淳太、ありがとう)

(何が?)

(話を聞いてくれてうれしい)

(そうか)

 俺はあんまりうれしくないが。
 
(こんな話、今まで誰にもしたことがなかったから)

(そうか) 
 
(これからも聞いてくれる?)

 俺の気持ちなんて知るはずもない零人の無邪気な言葉だ。俺は、乱暴に目元をぬぐいながら打ち込み、すぐに送信する。
 
(もちろん)

 不本意ではあるが、ほかになんと答えればいいのかわからない。
 
(よかった。淳太と友達になれてホントによかった)

 そうだよな。俺たちは「友達」だもんな。
 
 鼻をすすりながら、涙で滲んだ画面を呆然と見つめていると、さらにメッセージが来た。
 
(どうかした?)

(何が?)

(なかなか返信が来ないから。眠くなった?)

(いや)

(そろそろ終わりにする?)

(零人がそうしたいなら)

 もっとほかに言いようがある気がするが、今は頭が働かない。
 
 零人も、まだ続けようとは言わなかった。
 
(じゃあ、明日は淳太の話も聞かせて)

(うん)

 送信してすぐに、俺はスマホの電源を切った。
 
 
 零人とのチャットは、退屈な入院生活の中の大きな楽しみになるはずだったのに、二日目にして、早くも思惑が外れてしまった。
 
 胸が痛い……。
 
 
 
 翌日の9時過ぎ。
 
(こんばんは)

(こんばんは)

(昨日は自分のことばかり話してごめんね)

(いいよ。気にするな) 

(今日は淳太のことを教えて)

(好きな作家は白鷺コウ)

 すかさず連投する。

(好きな漫画家はえいなりょう)

(好きなバンドはセンシティヴズ)

(好きなゲームは「ゼロミッションサーカス」)

(課金し過ぎて父ちゃんに殴られてやめたけど)
   
 あとは、えぇと……。
 
(好きな人は?)

 ぎくりとする。そういうことを聞かれたくなくて、矢継ぎ早に打ち込んでは送信していたのだが。
 
 嘘はつきたくないが、本当のことを言うわけにはいかない。
 
(好きな人はいない)

(そうなの? じゃあ好きなタイプは?)

 それは……。
 
(色白で華奢で、どこか寂しげで守ってあげたくなるような)

(蔵多メグみたいな?)

 零人は、最近テレビでよく見る新人女優の名前をあげた。そうじゃないよと思いながら、
 
(まあそんな感じかな)

(あの子かわいいよね)

(女は好きじゃないんだろ?)

(恋愛対象じゃなくても、かわいいとか好きとか思うことはあるよ)

(そうか)

(淳太はそういうのない?)

 俺は思いっきり恋愛対象の、色白で華奢で、どこか寂しげなお前のことが……。
 
(どうかな。よくわからない)

(そうなんだ)

 零人は、俺のことを無粋なやつだと思っただろうか。
 

 何を言えばいいのかわからない。こんなはずじゃなかったのにと思う。
 
 だが、チャットも、零人とのつながりも終わりにしたくはない。
 
 それで、無理やりひねり出してメッセージを打ち込む。
 
(学校はどんな感じ?)

(相変わらずっていうか、僕はいつも通り)

(困ってることはないか?)

(ないよ。ありがとう)

(うん)

(淳太は、病院での生活はどう?)

(松葉杖を使って、今日初めて売店に行ってみた)

(何を買ったの?)

(飲み物とかスナック菓子とか)

(そう。足は痛む?)

(床に着いたりしなければ大丈夫)

(あのさ)

(何?)

(もしも後遺症が残ったりしたら、僕のせいだね)

(そんなこと気にしなくていいよ。多分大丈夫だろ)

(でも、謝ってすむことじゃないよね)

(じゃあ責任取ってくれる?)

(僕にできることならなんでもする)

 即答された言葉に、思わずくすりと笑う。この言葉だけで十分だ。
 
(冗談だよ。俺が自分で招いたことだから気にするな)

(ありがとう。淳太のぶんの授業のノート、取っておくね)

(マジ?)

 正直、授業はどうでもいいが、零人がノートを取ってくれるのはうれしい。
 
(それで、週末の学校の帰りに、お見舞いがてら持って行く)

(マジ? それってもしかして明日じゃね?)

(うん。行ってもいい?)

(もちろん)

(じゃあ、明日行くね)

(うん。待ってる)

 3日ぶりに会って顔が見られると思うと、やっぱり無条件にうれしい。
 
 

 翌日の午後、今か今かとそわそわしながら待っていると、隣のベッドとの間を仕切るカーテンの向こうから、白く小さな顔がのぞいた。
 
「淳太」
 
「おう」

 華奢な肩にデイパックを背負って近づいて来た零人は、当たり前だが相変わらずかわいい。
 
 うれし恥ずかしい気持ちでちらちら見ていると、彼が手に持った紙袋を示して言った。
 
「シュークリーム好き?」

「ああ、うん」

「一緒に食べようと思って買って来たんだ」

「あっ、じゃあ、談話室に行く? 飲み物の自販機もあるし」

 隣のベッドのおっさんが聞き耳を立てているかと思うと、(いや、立てていないかもしれないが)どうも話しにくい。
 
 松葉杖をついて立ち上がると、零人がかばうように背中に手を添えてくれ、俺は、にやけそうになるのを必死にこらえる。
 
 
 飲み物を買ってテーブルに着くと、零人がデイパックのファスナーを開けてルーズリーフを取り出した。
 
「はいこれ、授業のノートだよ。教科ごとにまとめてあるから」

「すごいな。ありがとう」

「どうってことないよ。淳太が退院するまで、毎週持って来るからね」

「きれいな字だな」

「そう? さあ食べよう」

 そう言って、今度は紙袋の中から個別包装されたシュークリームを取り出す。
 
「カスタードとイチゴとチョコがあるんだよ。どれがいい?」



「じゃあ、また今夜チャットで」

 そう言って、零人は笑顔で手を振り、エレベーターに乗り込んだ。
 
 松葉杖をついて病室に戻りながら、俺はさっきの零人の姿を思い返す。
 
 シュークリームを食べる姿がかわいかった。
 
 指先についたクリームを舐める仕草が、なんかエロかった。
 
 いや、そういう目で見ている俺がエロいのか。
 
 でも、あんなけがれを知らない天使のような顔をしていても、恋人の家に泊まったら、当然エロいことを……。
 
 ついくだらないことを考えそうになり、俺はあわてて頭を振る。
 
 そんなこと考えるな。俺と話しているときの零人のことだけ考えればいい。
 
 それが俺にとっての零人なんだから。