「あぶない!」
それは、二年生になってしばらくたった頃、体育の授業でサッカーの試合をしていたときのことだった。
俺は、激しくボールを奪い合う集団に巻き込まれそうになった真崎を、思い切り突き飛ばした。
次の瞬間、怒号とともに、俺の上にバラバラと人が倒れかかって来る。
集団の下敷きになった俺は、重さと痛みで息ができなくなって、そのまま意識を失った。
ふと目を開けると、最初に白い天井、次に、やはり白い、真崎の泣き出しそうな顔が目に入る。
「霧山くん……」
「あ……」
俺は保健室のベッドに横たわっている。真崎が言った。
「大丈夫?」
「俺、どうしてここに……」
あの後の記憶がまるでない。
「覚えてないの? 先生と僕とで、ここに連れて来たんだよ」
あまり運動が得意でないらしい真崎は、球技の試合中は、いつもみんなのじゃまにならないようなところでウロウロしている。
それが、なぜか今日はよそ見をしていて、集団の進行方向にぼんやりと突っ立っていたのだ。
ゴールキーパーをしていた俺は、とっさに彼を助けようと駆け寄ったのだったが、自分自身は集団をよける余裕がなかった。
「頭を打ったのかな。僕のせいで、ごめん」
「いや。真崎は、ケガは?」
彼は、首を横にふりながら言う。
「僕はなんともないよ。霧山くんが助けてくれたから」
それならよかった。そう言おうと真崎に向かって体をひねった瞬間、
「痛っ!」
右足に電気が走った。上半身を起こし、上掛けをめくって見てみると、足首のあたりがバンバンに腫れている。
俺は、体操着にジャージを羽織ったままの格好で、教師に車で病院に連れて行かれた。
そして、診察の結果、足首を骨折していることが判明し、そのまま入院することになったのだった。
今は、病室の準備が整うまでの間、処置室の隅のベッドで待たされているところだ。
ベッドの横の丸椅子に、俺の荷物を持って一緒に来た真崎が座っている。
教師は、部屋の外に電話をかけに行っている。
「僕のせいで、こんなことになっちゃって……」
真崎が、しょんぼりと細い肩を落とす。伏せたまつ毛が震えている。
「気にするな。俺が勝手にやったことだ」
「ホントにごめん。僕、どうしたら……」
「だからいいって。でも……」
真崎が顔を上げ、潤んだ目で俺を見る。
「入院中、きっとヒマでしょうがないだろうから、相手してくれよ」
「え?」
「毎日俺とチャットしてくれない? そうだな、夜、寝る前にでも」
「いいよ、もちろん。でも、そんなことでいいの?」
「ああ、それがいいんだ」
真崎が、ほっとしたようにほほえむ。
「わかった」
やった。俺は心の中でガッツポーズをする。
俺はずっと前から、どこか儚げで寂しそうな真崎に惹かれていたのだ。
言葉を交わしてみたいと思っていたが、そういう機会はなく、遠くから見つめていることしかできなかった。
だが、ケガをしたおかげで、その真崎と、毎晩チャットをする約束を取り付けることができたのだった。
その後、連絡を受けた母ちゃんが病院に来て、教師と真崎と顔を合わせた。
「僕のせいですいません」と謝る真崎に、母ちゃんは「いえいえこの子はおっちょこちょいで」とかなんとか言っていた。
断じておっちょこちょいでケガをしたわけではないが、この際、そんなことはどうでもいい。
俺は、四人部屋に入院することになった。
消灯時間の9時を少し過ぎた頃、ベッドの上で握りしめていたスマホが震えた。来た!
(こんばんは)
真崎だ。
(こんばんは)
(足は痛む?)
(そうでもない。痛み止め飲んでるから)
骨折箇所はギプスで固められている。本当は、ちょっと、いや、けっこう痛い。
(ホントにごめんね)
(もういいって。でも、9時に消灯なんて眠れるわけないし、めっちゃヒマ)
(そうだよね。僕でよかったら、いくらでも付き合うよ)
うれしいことを言ってくれる。
(サンキュー。あのさ、ちょっと聞いてもいい?)
(何?)
(真崎って、いつも一人でいるけど、友達作らないのか?)
彼には、どこか人と親しくなるのを避けているようなところがあるのだ。
ずっと気になっていたので、思い切って聞いてみたのだが、ずいぶん間が空いて、聞いたことを後悔しはじめた頃にようやく返信が来た。
(うん。変かな)
(変じゃないけど、どうして?)
またも後悔し始めた頃、返信が来た。
(昔いじめられていたことがあって、人が怖いから)
(そうなのか。俺のことも怖い?)
(霧山くんのことは怖くないよ。僕を助けてくれたし、やさしいから)
や、やさしいだなんて……。俺は、常夜灯だけが点いた暗い病室で、一人にやける。にやけついでに、
(じゃあ、俺と友達になる?)
(うん。うれしい)
やった!
(俺もうれしい)
(でも、霧山くんは友達たくさんいるね)
(あのさ、淳太でいいよ)
(え?)
(「霧山くん」じゃなくて「淳太」で)
(わかった、淳太くん)
ああ、それも捨てがたいが、ここはやっぱり、
(「淳太」でいいよ。「くん」はいらない)
(わかった。なんだか恥ずかしいけど。淳太)
うおぉぉ、うれし過ぎる。
(じゃあ俺も、下の名前で呼んでいい?)
(いいけど、僕の下の名前、知ってる?)
(もちろん。零人だろ?)
(うん)
(零人)
(なあに? 淳太)
俺はベッドの上で一人もだえる。なんなんだ、この多幸感はっ。
ひとしきりもだえてから、ふと我にかえって続ける。
(で、さっきの話だけど)
(なんだっけ)
(俺の友達の話)
(うん)
(あいつらは同じ中学出身ってだけで、ただの腐れ縁だよ)
(でも、そういうのうらやましい。僕にはいないから)
(だから、今日から俺と友達だろ)
(そうだね。ありがとう)
わずか一日で、ただのクラスメイトから友達になり、下の名前で呼び合う仲になった。
これもすべてケガをしたおかげ、いや、とっさに真崎改め零人を身を挺して助けた、俺の勇気ある行動の賜物だ。
グッジョブ俺。
本音を言えば、友達より先に進みたいが、何しろ今日友達になったばかりなのだから、あせってはいけないと自分に言い聞かせる。
「ありがとう」のお返しに「どういたしまして」と打ち込もうと指を動かしたとき、次のメッセージが来た。
(ごめん。ちょっと急用ができた)
え……なんだ、もっとチャットしたかったのに。だが、急用ならしかたがない。
(わかった)
零人から、もう一言あるかとしばらく待っていたが、メッセージはそれきり途絶えた。
スマホを枕の脇に置いて、ベッドに横になる。
初めてのチャットは、終わってみるとあっという間で、少し物足りなかったが、それでも収穫はあった。
「友達」になれたし、下の名前で呼び合う仲になったし、何より、これからも毎晩チャットができるのだ。
暗い天井を見上げながら、零人の姿を思い浮かべる。
色白の小さな顔、憂いを含んだ瞳と柔らかそうな明るい色の髪、華奢な体型……
抱きしめたら、腕の中にすっぽり収まってしまいそうだな。
そんなことを思いながら、俺は自分の体をぎゅっと抱きしめた。
翌日の午後、「腐れ縁」のやつらが見舞いに来て、雑誌だの漫画本だのお菓子だのを山ほど置いて行った。
そして、待ちに待った消灯時間。今日も、9時を少し過ぎたところでスマホが震える。
(こんばんは。昨日はごめんね)
(いや。急用は大丈夫だった?)
(うん。大丈夫)
(それならよかった)
急用とやらがなんだったのか気になるが、踏み込むのはずうずうしい気がして聞けない。零人も説明する気はないようだ。
(今日はたくさんチャットしようね)
(うん。零人のこと、よく知らないから教えてもらってもいい?)
(いいよ)
まずは当たりさわりのないところから。
(趣味は?)
(平凡だけど読書かな)
(どんな本?)
俺もぜひ同じものを読んでみたい。こう見えて(どう見えて?)読書は嫌いじゃないのだ。
(菅平豊太郎とか)
え……。ラノベかミステリーかと思ったら、純文学の巨匠の名前をあげるとは。
(意外だな)
(そう? 知り合いに勧められて)
わざわざ「知り合い」と言うからには、家族や親類ではないのだろう。
俺は、恐る恐る尋ねる。
(もしかして彼女とか?)
(違うよ。彼女なんていない)
とりあえずホッとして、一歩踏み込む。
(じゃあ、どういう?)
(男の人だよ)
(先輩とか?)
(違う)
まさか……? ぎくりとして固まっていると、さらにメッセージが来た。
(これから言うこと、内緒にしてくれる?)
嫌な予感がするが、ここは言い切るしかないだろう。
(もちろん。絶対内緒にする)
(ホントに?)
(ホントに。嘘はつかない)
(じゃあ言うけど、彼は僕の恋人だよ)
俺はスマホを取り落としそうになる。ああ、やっぱりそう来たか。
(僕は男の人が好きなんだ。いじめられていたのも、友達を作らないのもそのせい。
みんなに知られて、気持ち悪いって言われて仲間外れにされた。
淳太も、僕のことが気持ち悪いと思うなら、チャットも友達も終わりにしていいよ)
俺は、震える指で猛然と文字を打ち込む。
(そんなこと思わない。これからも友達でいたい)
ああ、なんということだ……。
それは、二年生になってしばらくたった頃、体育の授業でサッカーの試合をしていたときのことだった。
俺は、激しくボールを奪い合う集団に巻き込まれそうになった真崎を、思い切り突き飛ばした。
次の瞬間、怒号とともに、俺の上にバラバラと人が倒れかかって来る。
集団の下敷きになった俺は、重さと痛みで息ができなくなって、そのまま意識を失った。
ふと目を開けると、最初に白い天井、次に、やはり白い、真崎の泣き出しそうな顔が目に入る。
「霧山くん……」
「あ……」
俺は保健室のベッドに横たわっている。真崎が言った。
「大丈夫?」
「俺、どうしてここに……」
あの後の記憶がまるでない。
「覚えてないの? 先生と僕とで、ここに連れて来たんだよ」
あまり運動が得意でないらしい真崎は、球技の試合中は、いつもみんなのじゃまにならないようなところでウロウロしている。
それが、なぜか今日はよそ見をしていて、集団の進行方向にぼんやりと突っ立っていたのだ。
ゴールキーパーをしていた俺は、とっさに彼を助けようと駆け寄ったのだったが、自分自身は集団をよける余裕がなかった。
「頭を打ったのかな。僕のせいで、ごめん」
「いや。真崎は、ケガは?」
彼は、首を横にふりながら言う。
「僕はなんともないよ。霧山くんが助けてくれたから」
それならよかった。そう言おうと真崎に向かって体をひねった瞬間、
「痛っ!」
右足に電気が走った。上半身を起こし、上掛けをめくって見てみると、足首のあたりがバンバンに腫れている。
俺は、体操着にジャージを羽織ったままの格好で、教師に車で病院に連れて行かれた。
そして、診察の結果、足首を骨折していることが判明し、そのまま入院することになったのだった。
今は、病室の準備が整うまでの間、処置室の隅のベッドで待たされているところだ。
ベッドの横の丸椅子に、俺の荷物を持って一緒に来た真崎が座っている。
教師は、部屋の外に電話をかけに行っている。
「僕のせいで、こんなことになっちゃって……」
真崎が、しょんぼりと細い肩を落とす。伏せたまつ毛が震えている。
「気にするな。俺が勝手にやったことだ」
「ホントにごめん。僕、どうしたら……」
「だからいいって。でも……」
真崎が顔を上げ、潤んだ目で俺を見る。
「入院中、きっとヒマでしょうがないだろうから、相手してくれよ」
「え?」
「毎日俺とチャットしてくれない? そうだな、夜、寝る前にでも」
「いいよ、もちろん。でも、そんなことでいいの?」
「ああ、それがいいんだ」
真崎が、ほっとしたようにほほえむ。
「わかった」
やった。俺は心の中でガッツポーズをする。
俺はずっと前から、どこか儚げで寂しそうな真崎に惹かれていたのだ。
言葉を交わしてみたいと思っていたが、そういう機会はなく、遠くから見つめていることしかできなかった。
だが、ケガをしたおかげで、その真崎と、毎晩チャットをする約束を取り付けることができたのだった。
その後、連絡を受けた母ちゃんが病院に来て、教師と真崎と顔を合わせた。
「僕のせいですいません」と謝る真崎に、母ちゃんは「いえいえこの子はおっちょこちょいで」とかなんとか言っていた。
断じておっちょこちょいでケガをしたわけではないが、この際、そんなことはどうでもいい。
俺は、四人部屋に入院することになった。
消灯時間の9時を少し過ぎた頃、ベッドの上で握りしめていたスマホが震えた。来た!
(こんばんは)
真崎だ。
(こんばんは)
(足は痛む?)
(そうでもない。痛み止め飲んでるから)
骨折箇所はギプスで固められている。本当は、ちょっと、いや、けっこう痛い。
(ホントにごめんね)
(もういいって。でも、9時に消灯なんて眠れるわけないし、めっちゃヒマ)
(そうだよね。僕でよかったら、いくらでも付き合うよ)
うれしいことを言ってくれる。
(サンキュー。あのさ、ちょっと聞いてもいい?)
(何?)
(真崎って、いつも一人でいるけど、友達作らないのか?)
彼には、どこか人と親しくなるのを避けているようなところがあるのだ。
ずっと気になっていたので、思い切って聞いてみたのだが、ずいぶん間が空いて、聞いたことを後悔しはじめた頃にようやく返信が来た。
(うん。変かな)
(変じゃないけど、どうして?)
またも後悔し始めた頃、返信が来た。
(昔いじめられていたことがあって、人が怖いから)
(そうなのか。俺のことも怖い?)
(霧山くんのことは怖くないよ。僕を助けてくれたし、やさしいから)
や、やさしいだなんて……。俺は、常夜灯だけが点いた暗い病室で、一人にやける。にやけついでに、
(じゃあ、俺と友達になる?)
(うん。うれしい)
やった!
(俺もうれしい)
(でも、霧山くんは友達たくさんいるね)
(あのさ、淳太でいいよ)
(え?)
(「霧山くん」じゃなくて「淳太」で)
(わかった、淳太くん)
ああ、それも捨てがたいが、ここはやっぱり、
(「淳太」でいいよ。「くん」はいらない)
(わかった。なんだか恥ずかしいけど。淳太)
うおぉぉ、うれし過ぎる。
(じゃあ俺も、下の名前で呼んでいい?)
(いいけど、僕の下の名前、知ってる?)
(もちろん。零人だろ?)
(うん)
(零人)
(なあに? 淳太)
俺はベッドの上で一人もだえる。なんなんだ、この多幸感はっ。
ひとしきりもだえてから、ふと我にかえって続ける。
(で、さっきの話だけど)
(なんだっけ)
(俺の友達の話)
(うん)
(あいつらは同じ中学出身ってだけで、ただの腐れ縁だよ)
(でも、そういうのうらやましい。僕にはいないから)
(だから、今日から俺と友達だろ)
(そうだね。ありがとう)
わずか一日で、ただのクラスメイトから友達になり、下の名前で呼び合う仲になった。
これもすべてケガをしたおかげ、いや、とっさに真崎改め零人を身を挺して助けた、俺の勇気ある行動の賜物だ。
グッジョブ俺。
本音を言えば、友達より先に進みたいが、何しろ今日友達になったばかりなのだから、あせってはいけないと自分に言い聞かせる。
「ありがとう」のお返しに「どういたしまして」と打ち込もうと指を動かしたとき、次のメッセージが来た。
(ごめん。ちょっと急用ができた)
え……なんだ、もっとチャットしたかったのに。だが、急用ならしかたがない。
(わかった)
零人から、もう一言あるかとしばらく待っていたが、メッセージはそれきり途絶えた。
スマホを枕の脇に置いて、ベッドに横になる。
初めてのチャットは、終わってみるとあっという間で、少し物足りなかったが、それでも収穫はあった。
「友達」になれたし、下の名前で呼び合う仲になったし、何より、これからも毎晩チャットができるのだ。
暗い天井を見上げながら、零人の姿を思い浮かべる。
色白の小さな顔、憂いを含んだ瞳と柔らかそうな明るい色の髪、華奢な体型……
抱きしめたら、腕の中にすっぽり収まってしまいそうだな。
そんなことを思いながら、俺は自分の体をぎゅっと抱きしめた。
翌日の午後、「腐れ縁」のやつらが見舞いに来て、雑誌だの漫画本だのお菓子だのを山ほど置いて行った。
そして、待ちに待った消灯時間。今日も、9時を少し過ぎたところでスマホが震える。
(こんばんは。昨日はごめんね)
(いや。急用は大丈夫だった?)
(うん。大丈夫)
(それならよかった)
急用とやらがなんだったのか気になるが、踏み込むのはずうずうしい気がして聞けない。零人も説明する気はないようだ。
(今日はたくさんチャットしようね)
(うん。零人のこと、よく知らないから教えてもらってもいい?)
(いいよ)
まずは当たりさわりのないところから。
(趣味は?)
(平凡だけど読書かな)
(どんな本?)
俺もぜひ同じものを読んでみたい。こう見えて(どう見えて?)読書は嫌いじゃないのだ。
(菅平豊太郎とか)
え……。ラノベかミステリーかと思ったら、純文学の巨匠の名前をあげるとは。
(意外だな)
(そう? 知り合いに勧められて)
わざわざ「知り合い」と言うからには、家族や親類ではないのだろう。
俺は、恐る恐る尋ねる。
(もしかして彼女とか?)
(違うよ。彼女なんていない)
とりあえずホッとして、一歩踏み込む。
(じゃあ、どういう?)
(男の人だよ)
(先輩とか?)
(違う)
まさか……? ぎくりとして固まっていると、さらにメッセージが来た。
(これから言うこと、内緒にしてくれる?)
嫌な予感がするが、ここは言い切るしかないだろう。
(もちろん。絶対内緒にする)
(ホントに?)
(ホントに。嘘はつかない)
(じゃあ言うけど、彼は僕の恋人だよ)
俺はスマホを取り落としそうになる。ああ、やっぱりそう来たか。
(僕は男の人が好きなんだ。いじめられていたのも、友達を作らないのもそのせい。
みんなに知られて、気持ち悪いって言われて仲間外れにされた。
淳太も、僕のことが気持ち悪いと思うなら、チャットも友達も終わりにしていいよ)
俺は、震える指で猛然と文字を打ち込む。
(そんなこと思わない。これからも友達でいたい)
ああ、なんということだ……。