駅前のデパートにある文房具屋はとても広い。
 正確には本屋の中にある文房具のコーナーなのだが。ここにはノートも、ボールペンひとつとっても、たくさんの種類があった。
 たまたま目についたノートを手に取ってパラパラとめくってみる。
 パステルカラーで彩られた表紙で、いかにも女の子が買いそうなデザインだ。ふと林の顔が頭に浮かぶ。
 なんて言うか上手く説明はできないのだが、このノートは何かがちがう。ノート自体の厚みや紙の質だろうか。
 だから、いつも買っている大学ノートを手に取った。
 ボールペンの売り場に行って、いつも買っている黒のペンに手をのばしたところだった。
「あっ」
 とお互いに声が出た。
 そこには高月 リツ花が居て、偶然にも同じペンを買おうとしていた。
 奇遇ですね、と本屋での出会いを思わせる言葉を思わず口にしてしまう。彼女も顔を赤くして少し困ったような様子だった。
「......こんなところ、見られるなんて思っていなくて」
 なるほど。何が恥ずかしいのかよくわからないが。
「私、ここで売っているノートがお気に入りなので。いつもここで揃えています」
 そう語る高月の手には、見たことのないノートの束とボールペンが3本握られていた。
 手に取ろうとしていた黒いペンと同じ種類の青・赤・緑だ。そういえば、授業の時に見た時もなかなかカラフルな板書をしていた。
「私、文房具が好きで......。
これらは授業で使うから買うのですが、それ以外にもついつい店内を見ちゃいます」
 もしかして文房具を見て回るのが好きなのだろうか、色んなアイテムをコレクションするようなファンが多いと聞く。
「......いいえ、私はお洒落とかカラフルな便利グッズやマスキングテープはあまり興味が無くて。やはり使いこなれたペンや手帳があれば十分なのです。特にシャープペンシルはお気に入りで、ずっと同じものを使っています。......でも」
 そう言って、高月は振り返って背中側に視線を向けた。そこにはさまざまなメーカーのカラフルなボールペンが棚一面に並んでいる。
「こうしてカラフルなペンが並んでいるだけで、まるで私の世界が輝いて見えるような。
そんな気がしませんか」
 と、くすくすと微笑みながら説明してくれた。


 
 何気に高月がレジを終わらせるのを待って、一緒に本屋を出ることにした。
 お互いに予定があるだろうからここで別れようと思ったのだが、後ろから新しい声をかけられるとは思っていなかった。
「あっ!」
 声の方を振り返ると、そこには林がいた。
 彼女は小さく手を振ってこちらに挨拶をすると、こちらに向けて小走りでやってきた。ちなみに、向かい合うとよくわかるのだが彼女は頭ひとつ分くらい背が小さい。
「こんにちはです......。あの、ふたりとも授業の備えは万端というところでしょうか」
 別に不足しているから買っただけなのだけど。
 すると、林は恥ずかしそうに顔をひそめてしまった。
 どういうことだろうか。
 少しの沈黙がみんなを包み込んだ後、林は少し上目遣いになって言い出した。
「おふたりは、毎日の授業がやりたいこと、なのでしょうか」
うん? 僕と高月はお互いの顔を見合わせた。そして、タイミングをそろえて答える。
「いや、そんなことはないよ」
「私もそういうつもりでは......」
 いまいち話のポイントがよく分からない。どう話を広げようかと困っているところで、高月が話を振り出してくれた。
「林さん、学校きらいなの?」
「ううん。そんなことはないんだけど、何のためにやるのかなって」
 その答えを聞いた高月が、そっか、と小さくつぶやいた。
「私ってみんなみたいに過ごしているわけじゃないですから。授業も、ホームルームも、発言するだけで勇気がいるのです」
 文化祭の前の高月さん、かっこよかったですよ。と思い出しながら微笑んでいる。そんな彼女の瞳は羨望の眼差しだ。
 当の本人は褒められているのに、困っている。相変わらずこの人は褒められるのに馴れていない。つい笑いたくなってしまう。
「......でも、本当に何もできなくて。私、走っていても、歩いていても転んじゃいそうだし」
 と、林が下を向くのに合わせて、僕たちも視線を落とした。
 なるほど。彼女の膝に絆創膏が貼られている。そういえば女子の体育は陸上競技をやっていると誰かが言っていた。
 
 ......そうねえ、と高月は口に手を置いて小さく考えた。
 その後、少し身を掲げて林に視線を合わせて告げた。まるで、子供を諭すような親御さんの雰囲気だ。
「林さん、私たちは選んでこの高校に来たわけじゃないですか。だから授業を受けるのは当然しなければならないこと。みんながそうなのよ」
 林はこくんと小さく頷いた。
「でもね、そこから何を吸収するかは私たち皆一緒じゃないの。みんながそれぞれ考えることがちがうように、林さんにしか気づくことができない、"何か"があるんじゃないかな」
 林はううんと考え込みだした。
「何かと言われても、私......」
「ううん。君の声が、君の飾りが文化祭の成功に一役買ったのでしょう?」
 文化祭の出し物を決めたとき、林の意見が鶴の一声となった。しかし、彼女はまだ納得していない様子だ。
「でも......。だって、私美術部じゃないし、私より素晴らしい絵を描く人なんてたくさんいるじゃないですか......」
 高月はゆったりとしたペースで首を横に振った。そして諭すように告げる。
「そうじゃないんだよ。どれだけ素晴らしい絵を描けても、どんなにセンスがある人がいても。いちばん感動させられるのは、その舞台に適したアイディアを出せる人なのよ」
 ......私も林さんが飾り付けてくれたステージを見たかったな。こう告げる高月を前に、林の顔にはゆっくりと喜びの顔が生まれていった。
 その気づきは、まさに林しか得られないものだ。また、飾りのアイディアは彼女が率先して生み出したものだ。
「絵画展みたいなのは難しいのかもしれないけれど。あなたは今まさしく美術の世界にいて、小さな一歩を踏み出しているの。今やりたいなら、やってみる。それだけではないでしょうか」
 林はやっと感心するように微笑みだした。
「将来につなげられるかは、今日ここで見つける必要があるのでしょうか。
私も見つけられない、というよりも探していないという方が合っていますね。私たちは小鳥みたいに、日々興味あるものに飛んでいくの」
 次第に林の瞳がきらきらとしている。
「いつしか飛んでいく道を見つけられれば素敵ですね。でも、これだけは言えるんじゃないかなあ」
 ......はじまったばかりなんだよ。その言葉はいつくしむべき優しさに満ちていた。



 林はすっかり上機嫌になって帰っていった。
 さあ帰ろうよと声をかけようとして、となりに立つ人物にそっと視線を投げてみる。
 でも、その姿は先ほどの高月リツ花ではなかった。
 魔法に縛り付けられたように、表情は硬く身体が小刻みに震えている。熱を出した子どもみたいに、うわごとで何かをつぶやいていた。
「......私が、しなければならないこと。......そんなこと、わからないよ」
 まるで別人を見ているようだった。
 どんな言葉をかけてあげればよいのかわからない。
 
 ......どうすればよいだろう? とりあえず肩をたたいてみた。
「! ......朝倉くん?」
「だいじょうぶ?」
 ごめんなさいと彼女は頭を下げた。
 
 もう帰ろうか。僕たちはゆっくりとエスカレーターの方に歩いて行った。
 今までいろんな高月の姿を見てきた。
 それでも、今日気付いてしまった。
 彼女にはなにか秘密があるって。
 今思えば、"時間が許さない"という台詞だって何か意味を持っているのだろう。
 
 ......僕は、いつかその世界の中に脚を踏み入れる。