今日のホームルームは、だいぶ時間がかかっている。
 いつもなら終わる時間帯を過ぎていても、文句を言う人は誰もいない。教室の隅にいる担任の先生も、怒る雰囲気でもなくクラス中の様子を見守っている。
「なるほど、模擬店ですか」
 文化祭の出し物を決めるのだ。
 実行委員を務める()()が黒板に字を書いた。少し癖がある字だ。
 色んな案が生まれては消えていき、今では劇と模擬店が残っている。いや、模擬店の方が強そうだ。
 皆がここまで積極的に意見をするのは不思議なもので、その雰囲気を僕は眺めている。
 これまで平穏な空気で進んでいたが、窓の外にある木々が小さな風で揺れた途端に教室の中にある風見鶏が音を立てて回転しだした。
「......はあ、"メイド喫茶"?」
 咲良が少し上ずんだ声を上げて驚いた。
 ひとりの生徒が口にした意見によって、クラスの中が不穏な空気になった。
 誰かが「それはちょっと......」と小声を漏らしている。さすがに身勝手なのではないかと感じた。
 
 ここで手を挙げたのが高月だった。
「えっと......。はじめての文化祭だから、皆さん盛り上がりたいのは分かります。
......でも」
 高月はいったん言葉を区切った。誰もが発言を止めてその後先を見守っている。
 そこから掛けられた声は、相変わらずの静かな口調だったが語尾が強くてしっかりと彼女自身の意思を言葉に乗せていた。
「私たちを見世物にするのは、困ります」
 高月の言葉によって号令が掛けられたように、女子生徒が一気に意見を言うようになった。
 力を合わせた女子たちは強い。メイド喫茶をやりたいと提案した彼は、今では沈められそうな船みたいだ。
 僕は咲良の方を向いてみた。
 彼女は実行委員という立場からか、女子の波に乗ろうとはしない様子だ。
「皆さん、静かにしなさい」
 ここで手をたたきながら声を掛けたのは担任の先生だった。
「クラスはみんなで作るものです、一方的に話を進めて相手をないがしろにするのは良くありません。
それに、高月さんよく言ってくれたわね」
 静かに語りかける姿に、波の勢いは収まったものの逆に静まり返ってしまう。誰もが意見できる空気ではなくなってしまった。
 名前を呼ばれた高月は先ほどの威厳はどこに行ってしまったのか、萎縮している。
 どうする? クラスの中の雰囲気はまるで無人島に遭難したような感じで、議論という航海ができず立ち往生してしまった。
 咲良は出しかけた声を少し閉じた。たぶん、何かの意見を言いたいのだが、まだまとまり切れていないのだろう。
 
「......あのう」
 静かな教室に、小さいながらも鶴の一声が響いた。
 助け舟を出してくれたのは、ひとりの女子生徒だった。
 背が低くていつもおとなしい。とても内向的な性格の彼女が意見を言うのは珍しかった。
「......あのですね、飲み物を出しながら劇を見せるのはどうでしょうか」
 黒板の前にいる咲良は少し真顔を保っていたが、やがて眼を大きく開いてなるほどと頷いた。
「林ちゃん、一理あるわね。
劇をやりたい人とお店でグループが分けられるし、給仕する人は制服で済むし」
 おずおずとした発言は、やがて大きな賞賛をもって迎えられる。意見を取りまとめる必要はもうなかった。クラス全体の雰囲気はもうまとまっていたのだから。
 模擬店というのは、どのクラスでも出したがる人気の企画だ。それ故に何店舗しか通らない狭い門でもある。
「劇をアピールするなら企画を通せるかもしれないわ。
大きな会場を押さえてあげるから、期待して待っていなさい」
 先生は両手を腰について自信ある言葉で締めくくった。生徒も先生も、何気にイベントが好きなのだろう。

 ホームルームが終わって、皆がぞろぞろと帰りだしている。
 僕は荷物をまとめながら咲良に声をかけた。今思いついたことを告げておこうと思ったのだ。
「給仕をする人さ、エプロンやスカーフでも付けてみたらどうかな。
統一感が出るし、良いと思うんだけど」
「あら、気の利くこと言ってくれるじゃない。
百均で買えるもんね」
 足を止めた咲良は口角を上げて答えてくれた。
 より良い意見を聞いたから、絶対に採用しようと意気込んでいる。そして、小さくありがとうと告げると高月の席に向かっていった。
 僕の耳にふたりの会話が届く。
 何やら楽しく話しているようで、嬉しさが顔を覗かせているみたいだ。その様子を見ながら、僕は教室を出ていった。

 ・・・

 高月さん、と呼び掛けられて私はそちらに顔を向けた。
 見ると咲良さんが小さく手を振りながら机の前に立ったところだ。
「ありがとうね」
「ありがとう、ですか? わたし、......何もしていないけれど」
 またまた、そんなこと言っちゃって。と彼女はくすくすと笑っている。
「あんな立派な意見言っちゃって、惚れちゃったわ。
君って、自分の意思をしっかり持っているんだね」
 咲良さんは美しいものを見たと言わんばかりの表情だ。別に私は月でも宝石でもないと思うのだけど。
「だって、私ウェイトレスの仕事やらされるのかなって思ったらつい言葉が出てた」
 私は知らぬ間に少し身を引きながら答えていた。
 いったい顔色はどんなだっただろうか。咲良さんは少し顔を覗き込むようにして答えてくれる。
「そんなに淋しい顔しなくていいんだよ。
我慢してたけどさ、私だって意見を言いたかったんだ。
どうせ男子は高月さんみたいな美人を使って、客寄せしたかったのよー」
 男子うるさいもんね。こう告げる彼女に私はつい口に手を置いて笑い出した。
「高月さんの笑っているところはじめて見たかもね」
 じゃあね、と声を上げて咲良さんは戻っていった。

 私はイチョウ並木ひとり歩いていた。
 やんわりとした風が私の髪を揺らしている。夏色の空は少し爽やかながらも、少し乾いた空気を感じさせた。
 これから少しずつ秋になるのだろう。
 女心と秋の空という言葉があった気がする。
 私は、あんな風に表情が変わらないと思っていた。
 でも、咲良さんは教えてくれた。私は淋しい顔をするときもあるけれど、笑うこともあるんだよって。
 会話の花が咲いた。
 それは何時ぶりのことだっただろうか。
 
 そっか、これが高校生の私なんだ。