この間のテストの結果は、言わずもがなという結果だった。
綾人や咲良、僕はそこそこの点数を取ったものの、一番高い点数を取ったのは高月 リツ花だった。
それは教師が点数を公表したわけではなく、咲良がこっそり彼女の点数を覗いたから判明したわけである。まるで探偵か忍者を思わせる隠密行動だった。
「ほんと、高月さんみたいな頭にはならないわぁ」
などと、咲良がこう言っても何かが違う気がする。
放課後の教室には咲良と綾人、僕の三人しか残っていない。
咲良は自分たちの手伝いを元に宿題のプリントを必死に解いている。授業中に提出できなかった彼女は、なんとか教師を説得して今日中に提出するという約束を取り付けていた。
未だに高月のことはよく理解ができない。
授業に出席しているのが少ないから、宿題のプリントを提出しているのかは正直よく分からない。それでいて、クラスメイトの皆も分かり切っているのだが、今回のように高い点数を出してしまう。
ちなみに、一学期の最後になると担任の先生が成績順位を述べるのだが、栄えある一位に上り詰めたのが高月だった。
高月はどういう勉強をしているのだろうか。
よくクラスの間では色んな噂が広まった。
家で自習してるんじゃないか、学校より塾を優先しているんじゃないか。こんな具合に。でも、彼女に興味をもたないせいでそれらは生まれてはすぐに消えてしまう。
咲良は参考に開いていた教科書を閉じて、自分に返してきた。
「助かったよ、ありがとう」
それだけ言い残して、咲良は職員室に走っていった。
ふたりと別れた僕は、下駄箱で靴を履き替えた。
そこで、高月 リツ花の姿を見たのだ。彼女は僕のことを見るなり足を止めて、こくんと頷いて挨拶をした。
どこへ行っていたのだろうか、裏手から正門へ周るルートを歩いていた。気になったけれど、特に質問する必要はないだろう。
ただふたりして歩いている。陸上部だろうか、街中をランニングしている姿とすれ違った。彼らの掛け声とは対照的に自分たちはいつも静かだ。
「......あら?」
空気がちがう、と高月が小さくつぶやいた。
すると、ついさっきまで曇りだった空から急に水滴が落ちてきたのだ。
それは彼女の鼻の頭にまず落ちる。数秒ぽつんと当たるだけだったと思うと、すぐに大きな音と共に大量に降ってきた。
あっという間のことだった。
僕たちは慌てて近くにあったコンビニの軒先に避難した。
あいにくお互い傘を持っていない。くすんだ色の空を見ながら肩で息を切っていると、僕の視界にあるものが見えた。
高月がハンカチを差し出していた。困ったように眉をひそめている表情は、自分のことを心配しているという色がありありと浮かんでいる。
だけども、ふたりしてもうこんなに濡れてしまっている。
彼女のセーラー服だってひどいものになっていた。ハンカチはもう意味を成さないだろうから、僕は静かに首を振った。
どうして、高月は僕のことを気にかけてくれるのだろう。
「だって、教科書を見せてくれたじゃないですか......」
......覚えてないの? 高月は首を傾げていた。
教科書を見せたのは、二学期がはじまってすぐだった。
その日は未だに蒸し暑い季節で、朝から気温が高い日だった。
数学の移動教室ということでいつもとは別の教室に入ると、高月はもう着席していた。暑いのは分かるけれど、何を思ったかスカートをぱたぱたと仰いでいる。
その中に視線が注目してしまったので、高月に気づかれないように慌てて自分の席に座った。
問題はそこじゃない。気持ちを落ち着かせるように窓の外を見ていた僕は、視界に映る風景の中でひとつの間違い探しを見つけたのだ。
高月の机に置かれていたのは、別の教科の教科書だったのだ。
「もしかしてだけど、間違って持ってきた?」
「......え? あ、そうみたい......」
僕の問いかけに高月は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしたと思ったら、亀が首を引っ込めるように、すぐに萎縮して縮こまりなぜか口をすぼめている。
そして、机の上と腕時計の間で引っ切り無しに目を泳がせていた。
「まあ、戻っても間に合わないと思うよ。僕でよければ見せてあげるから」
高月の返事も待たず、僕は机を彼女の方に近づけた。自分でよければというか、これは隣の席ならではの役目だろうと思ったのだ。
ここで高月はこくんと小さく頷いた。
つつがなく流れていく授業の中で、僕は何気に隣の席の生徒を眺めてみた。黒板に向かう瞳は真剣そのもので、ノートは事細かに書き留めている。複数のボールペンで彩られた字面さえ、なんだかスマートに見える。
この風景を写真のように切り出した姿はいたって普通の生徒だ。優等生のような雰囲気さえする。
当たり前みたいに授業を受けて、休み時間はクラスメイトと話すような姿を想像できるのに。
なぜ高月は普通じゃないのだろう、なぜ休まなければならない事情があるのだろうか。
青い空を背景に彼女の透き通った瞳にピントが合ってしまった。まるで時間が止まったように、いつの間にか彼女に惹き込まれていた......。
授業が終わると、高月は教科書を手に取って両手で差し出すように返してくれた。
その丁寧な所作をひとつひとつ見入ってしまう。
「......その、ありがとうございました」
高月は消え入りそうな声で言った。
すこし気恥ずかしながらも、きちんと感謝の気持ちが伝わってくる。そのおかげで僕の耳にはしっかりと聞き取れることができた。
これで分かったことがある。彼女なりに感情表現をしているのだ。それが、周りに届いていないだけなんだ。
些細な出来事すぎて、自分はよく覚えていなかった。
あれは困っていたから声を掛けただけだ。とりあえず謝っておこう。
高月は良いんですよ、と小さいながらもくすくすと笑っている。でも、少し気恥しそうに答えてくれた。
「興味本位じゃなくて話しかけてくれたのは、朝倉くんがはじめてでしたから」
人の興味を覚えるきっかけはとても些細で、なんだかおもしろかった。
高月とはじめて会話を広げられたような気がして、つい嬉しくなった。
だから、僕の口は思ったことがそのまま流れ出てきた。
「小屋のうさぎってだいじょうぶかな」
「だいじょうぶじゃないかしら。
少し奥まったところですし、風向きが間違ってなければ中に入り込んでくることはありません」
確信を持てているみたいに、自信満々に彼女が答えた。
「なるほど。でも一匹で可哀想だよね。
カップルでもいると良いのにね」
調子に乗って言葉にしてしまった。すると、高月は目を丸く開いてこちらをじっと見つめている。何か悪いことを言ったのだろうか。
「あの......。
じゃあ、うさぎの世話ってきちんとやってくれますか?」
少しおどおどしたような雰囲気で告げる。でも、その口調はお説教をしたいように少し強い気もした。
「オスとメスを入れたら、すぐに子供を作ってしまいます。
そして、その子供同士だって......」
高月の説明を聞いていると、薄々と言いたいことが薄々と分かってきた。これはネズミ算より子供が増えていく。
「ええ。なぜそうなるかって知っていますか? うさぎは繁殖することで種を残そうとします。どちらかというと食べられる立場ですから。
それに、ペットでは"うさぎは寂しいと死んでしまう"っていう流布が未だに残ってしまって。
ついついペットショップでつがいを買ってしまうのです、飼育のやり方も知らないで」
問題のある親に育てられたうさぎも可哀想だ。
後で知った話だが、夫婦が老後の楽しみとしてカップルを購入したものの数年間で百単位の数になってしまったというニュースがあったという。身の毛がよだつ話だ。
薄暗くなった話題を振り払おうと、慌ててトークテーマを切り替えた。
「まあ、一匹でもなんでも、可愛いことには変わりないよね」
「そうね。
子うさぎでもなんでも、愛されている姿というのは素晴らしいわ」
僕たちのかたわらで、木々が濡れて光っていた。
いつの間にか雨が止んで、晴れてきた空がその様子をくっきりと浮かび上がらせる。
高月は屋根の下から足を踏み出して、こちらに向けて振り返った。
ほのかに顔を出した太陽の光に照らされて、彼女の微笑みはいつも以上にきらめいて見えた。
つい心を掴まれそうになってしまう。
「......私、うさぎみたいに子供が欲しいんです。いつか、だれかと結婚したいな」
どきりとする言葉が僕の耳にふわりと響いた。
冗談でも雑談交じりのものでもなく、リアルな願望を誰かと分け合いたいのだろう。
ふと僕の頭に担任の先生の顔が浮かんだ。彼女のように今は女性が活躍する時代だ。それなのに、高月はお嫁さんになりたいという。箱入り娘みたいな古風な雰囲気がした。
青い世界が歩くふたりを照らす。
相変わらず会話は少ないけれど、それがふたりだけの時間なのだと思う。
花嫁姿の高月を想像するのは難しいけれど、結婚というのは人生のひとつの門出にあたる出来事だと思う。彼女は将来どんな人と結ばれるのだろうか。
......いつか、彼女の願いが叶いますように。
綾人や咲良、僕はそこそこの点数を取ったものの、一番高い点数を取ったのは高月 リツ花だった。
それは教師が点数を公表したわけではなく、咲良がこっそり彼女の点数を覗いたから判明したわけである。まるで探偵か忍者を思わせる隠密行動だった。
「ほんと、高月さんみたいな頭にはならないわぁ」
などと、咲良がこう言っても何かが違う気がする。
放課後の教室には咲良と綾人、僕の三人しか残っていない。
咲良は自分たちの手伝いを元に宿題のプリントを必死に解いている。授業中に提出できなかった彼女は、なんとか教師を説得して今日中に提出するという約束を取り付けていた。
未だに高月のことはよく理解ができない。
授業に出席しているのが少ないから、宿題のプリントを提出しているのかは正直よく分からない。それでいて、クラスメイトの皆も分かり切っているのだが、今回のように高い点数を出してしまう。
ちなみに、一学期の最後になると担任の先生が成績順位を述べるのだが、栄えある一位に上り詰めたのが高月だった。
高月はどういう勉強をしているのだろうか。
よくクラスの間では色んな噂が広まった。
家で自習してるんじゃないか、学校より塾を優先しているんじゃないか。こんな具合に。でも、彼女に興味をもたないせいでそれらは生まれてはすぐに消えてしまう。
咲良は参考に開いていた教科書を閉じて、自分に返してきた。
「助かったよ、ありがとう」
それだけ言い残して、咲良は職員室に走っていった。
ふたりと別れた僕は、下駄箱で靴を履き替えた。
そこで、高月 リツ花の姿を見たのだ。彼女は僕のことを見るなり足を止めて、こくんと頷いて挨拶をした。
どこへ行っていたのだろうか、裏手から正門へ周るルートを歩いていた。気になったけれど、特に質問する必要はないだろう。
ただふたりして歩いている。陸上部だろうか、街中をランニングしている姿とすれ違った。彼らの掛け声とは対照的に自分たちはいつも静かだ。
「......あら?」
空気がちがう、と高月が小さくつぶやいた。
すると、ついさっきまで曇りだった空から急に水滴が落ちてきたのだ。
それは彼女の鼻の頭にまず落ちる。数秒ぽつんと当たるだけだったと思うと、すぐに大きな音と共に大量に降ってきた。
あっという間のことだった。
僕たちは慌てて近くにあったコンビニの軒先に避難した。
あいにくお互い傘を持っていない。くすんだ色の空を見ながら肩で息を切っていると、僕の視界にあるものが見えた。
高月がハンカチを差し出していた。困ったように眉をひそめている表情は、自分のことを心配しているという色がありありと浮かんでいる。
だけども、ふたりしてもうこんなに濡れてしまっている。
彼女のセーラー服だってひどいものになっていた。ハンカチはもう意味を成さないだろうから、僕は静かに首を振った。
どうして、高月は僕のことを気にかけてくれるのだろう。
「だって、教科書を見せてくれたじゃないですか......」
......覚えてないの? 高月は首を傾げていた。
教科書を見せたのは、二学期がはじまってすぐだった。
その日は未だに蒸し暑い季節で、朝から気温が高い日だった。
数学の移動教室ということでいつもとは別の教室に入ると、高月はもう着席していた。暑いのは分かるけれど、何を思ったかスカートをぱたぱたと仰いでいる。
その中に視線が注目してしまったので、高月に気づかれないように慌てて自分の席に座った。
問題はそこじゃない。気持ちを落ち着かせるように窓の外を見ていた僕は、視界に映る風景の中でひとつの間違い探しを見つけたのだ。
高月の机に置かれていたのは、別の教科の教科書だったのだ。
「もしかしてだけど、間違って持ってきた?」
「......え? あ、そうみたい......」
僕の問いかけに高月は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしたと思ったら、亀が首を引っ込めるように、すぐに萎縮して縮こまりなぜか口をすぼめている。
そして、机の上と腕時計の間で引っ切り無しに目を泳がせていた。
「まあ、戻っても間に合わないと思うよ。僕でよければ見せてあげるから」
高月の返事も待たず、僕は机を彼女の方に近づけた。自分でよければというか、これは隣の席ならではの役目だろうと思ったのだ。
ここで高月はこくんと小さく頷いた。
つつがなく流れていく授業の中で、僕は何気に隣の席の生徒を眺めてみた。黒板に向かう瞳は真剣そのもので、ノートは事細かに書き留めている。複数のボールペンで彩られた字面さえ、なんだかスマートに見える。
この風景を写真のように切り出した姿はいたって普通の生徒だ。優等生のような雰囲気さえする。
当たり前みたいに授業を受けて、休み時間はクラスメイトと話すような姿を想像できるのに。
なぜ高月は普通じゃないのだろう、なぜ休まなければならない事情があるのだろうか。
青い空を背景に彼女の透き通った瞳にピントが合ってしまった。まるで時間が止まったように、いつの間にか彼女に惹き込まれていた......。
授業が終わると、高月は教科書を手に取って両手で差し出すように返してくれた。
その丁寧な所作をひとつひとつ見入ってしまう。
「......その、ありがとうございました」
高月は消え入りそうな声で言った。
すこし気恥ずかしながらも、きちんと感謝の気持ちが伝わってくる。そのおかげで僕の耳にはしっかりと聞き取れることができた。
これで分かったことがある。彼女なりに感情表現をしているのだ。それが、周りに届いていないだけなんだ。
些細な出来事すぎて、自分はよく覚えていなかった。
あれは困っていたから声を掛けただけだ。とりあえず謝っておこう。
高月は良いんですよ、と小さいながらもくすくすと笑っている。でも、少し気恥しそうに答えてくれた。
「興味本位じゃなくて話しかけてくれたのは、朝倉くんがはじめてでしたから」
人の興味を覚えるきっかけはとても些細で、なんだかおもしろかった。
高月とはじめて会話を広げられたような気がして、つい嬉しくなった。
だから、僕の口は思ったことがそのまま流れ出てきた。
「小屋のうさぎってだいじょうぶかな」
「だいじょうぶじゃないかしら。
少し奥まったところですし、風向きが間違ってなければ中に入り込んでくることはありません」
確信を持てているみたいに、自信満々に彼女が答えた。
「なるほど。でも一匹で可哀想だよね。
カップルでもいると良いのにね」
調子に乗って言葉にしてしまった。すると、高月は目を丸く開いてこちらをじっと見つめている。何か悪いことを言ったのだろうか。
「あの......。
じゃあ、うさぎの世話ってきちんとやってくれますか?」
少しおどおどしたような雰囲気で告げる。でも、その口調はお説教をしたいように少し強い気もした。
「オスとメスを入れたら、すぐに子供を作ってしまいます。
そして、その子供同士だって......」
高月の説明を聞いていると、薄々と言いたいことが薄々と分かってきた。これはネズミ算より子供が増えていく。
「ええ。なぜそうなるかって知っていますか? うさぎは繁殖することで種を残そうとします。どちらかというと食べられる立場ですから。
それに、ペットでは"うさぎは寂しいと死んでしまう"っていう流布が未だに残ってしまって。
ついついペットショップでつがいを買ってしまうのです、飼育のやり方も知らないで」
問題のある親に育てられたうさぎも可哀想だ。
後で知った話だが、夫婦が老後の楽しみとしてカップルを購入したものの数年間で百単位の数になってしまったというニュースがあったという。身の毛がよだつ話だ。
薄暗くなった話題を振り払おうと、慌ててトークテーマを切り替えた。
「まあ、一匹でもなんでも、可愛いことには変わりないよね」
「そうね。
子うさぎでもなんでも、愛されている姿というのは素晴らしいわ」
僕たちのかたわらで、木々が濡れて光っていた。
いつの間にか雨が止んで、晴れてきた空がその様子をくっきりと浮かび上がらせる。
高月は屋根の下から足を踏み出して、こちらに向けて振り返った。
ほのかに顔を出した太陽の光に照らされて、彼女の微笑みはいつも以上にきらめいて見えた。
つい心を掴まれそうになってしまう。
「......私、うさぎみたいに子供が欲しいんです。いつか、だれかと結婚したいな」
どきりとする言葉が僕の耳にふわりと響いた。
冗談でも雑談交じりのものでもなく、リアルな願望を誰かと分け合いたいのだろう。
ふと僕の頭に担任の先生の顔が浮かんだ。彼女のように今は女性が活躍する時代だ。それなのに、高月はお嫁さんになりたいという。箱入り娘みたいな古風な雰囲気がした。
青い世界が歩くふたりを照らす。
相変わらず会話は少ないけれど、それがふたりだけの時間なのだと思う。
花嫁姿の高月を想像するのは難しいけれど、結婚というのは人生のひとつの門出にあたる出来事だと思う。彼女は将来どんな人と結ばれるのだろうか。
......いつか、彼女の願いが叶いますように。