とある休日の昼下がり。
 僕は駅前にあるチェーン店のカフェに入ってアイスコーヒーを飲んでいる。
 クラスメイトである綾人(あやと)と映画を観る予定なのだが、たまたま早く到着してしまった。そのため時間をつぶさないといけないわけだ。
 綾人はクラスでの座席が近いことからよく話す間柄になった。いつの頃からは覚えていないけれど、もう自然なものになっていた。
 よく彼から話題を広げてくれる。
 その種類は同じく部活に入っていない自分とは比べ物にならないもので、ゲームにスポーツに色んなことを日々楽しんでいる。彼のお気に入りのサッカーチームが勝利した次の日は、その選手の活躍についてたくさん話を聞かされたことがあった。
 まるでアンテナが張っているように、話題の引き出しには事欠かない。そのバリエーションが面白くてつい話を聞いてしまう、とても面白いクラスメイトだ。
 
 夕方という時間帯のせいか、カフェの座席はそこそこ埋まっている。
 窓際にある二人用のテーブルには買い物帰りと思われる主婦が座ったところだった。これによって、自分の隣にあるカウンター席しか空いていなかった。
 そこに座るひとりの影。
 長い髪を揺らして席に座ったのは、誰でもない高月 リツ花だった。彼女は僕に気づいているのか気づいていないのか、まったく分からなかった。
 何をするのかと思ったら、おもむろに数学の教科書を開いて勉強しはじめた。
 カフェで勉強する学生は決して珍しいものではないが、ましてや今日は日曜日だ。
 読んで字のごとく休む日でもあるし、どちらかというと学校の放課後に勉強するものだという印象がある。
 
 高月が髪を手でかきあげた。
 電灯が彼女の耳からうなじの辺りを照らして、白い肌がより一層僕の目に映る。つい見とれてしまって、声を掛けるのを忘れてしまった。
 白という色は時に冷たい印象を与える。
 他人と距離を取りたいという雰囲気を感じてしまい、出しかけた挨拶の声は無意識に飲んだコーヒーと一緒に飲み干してしまった。
 アイスコーヒーの氷はいつの間にか溶けてしまっていた......。



 映画を観終わった僕たちは、夕飯にハンバーガーを食べている。
 僕は綾人にカフェでの出来事を話してみせた。頷きながら話を聞いていた彼は、高月の名前を出した途端、フライドポテトを取ろうとした手が止まった。
 もっと深く聞きたい、彼の視線からはそんな念を深く感じる。
 自分の口からはそんなに深く話せることはないけれど。
「お前、ホント羨ましいなぁ。なにも話さなかったのか?」
「なにも話さなかったよ」
「なんで?」
「なんでって言われても......」
 正直言って、回答に困るものだ。
 つい高月の横顔を見てしまった。そう言おうと思ったけれど、彼に話して良いのだろうか。なんだか秘密にしておきたいなと思ったから。
 ......もったいない、そう言い放って彼はハンバーガーを頬張った。

 綾人はコーラで口の中を流して、しっかりと僕の方に視線を向けた。
 それから、彼の熱弁がはじまるのだった。
「いいかい、歩くん。高月はクラスいちの美少女だぞ、高嶺の花だぞ」
 はいはい、僕は黙ってうなずいた。
 高月をひとつ例えるなら、しきりに目が行く女の子ということだろうか。
 文庫本を開いているだけでも、その姿が様になっていて、なんだか気になってしまうものだ。
 だが、親しみを持って話しかけられるかというのは別の話なのだと思う。
 彼みたいに高月 リツ花とお近づきになりたい<隠れファン>は多い。
 どこから話が広がったのかはわからないが、他のクラスの生徒も彼女に注目しているらしい。
 高月が廊下を歩いているだけでも、その姿をちらりと見る生徒がいるのをよく見かけることがあった。彼女自体が引力を持っているかどうかは分からないが、一度その美しい黒髪の姿を視界に認めてしまうと、色々と考えてしまうだろう。
 高月を知りたい、友達になりたい、それ以上の間柄になりたいと。
「......彼女の姿を想像してご覧なさい。
あのセーラー服の裾から見える腰回りとか最高じゃないか」
 綾人はいつかしただろうか、しなかっただろうか。そんな話題をバーガーショップでも再現してみせた。
 たしかに、高月の華奢なスタイルには少々目のやり場に困るところがある。彼女が体を動かす度に目を反らしたことが何度もあった。
 ん? 今この話の展開は必要だろうか。
 ......聞かなかったことにしようと決めた。
「そんな彼女とカフェに入って勉強するなんて、それだけでデートじゃないか」
 デート。
 その言葉の響きに、なんだか不思議な違和感を覚えた。
 他のクラスメイトだったら少しは期待しても良いのかもしれない、だけども高月と一緒に過ごすなんてまったく想像できなかった。
 僕は視線だけで綾人に訊いてみた。君ならどうするんだい?
「そりゃ挨拶はちゃんとしないと。
そして一緒に勉強するよ、アイツは学校に来ていないんだからさ」
 などと偉そうに語っている。
「お前、教えられるレベルだったっけ」
 お互いにとても素晴らしい成績ではない。テストの点数は平均点かその少し上くらいなものだ。
「細かいことは良いんだよ、歩くん。一緒に勉強する、それだけで素晴らしいじゃないか。"ありがとう、君に教えてくれたところがテストに出たよ"って言われたら嬉しすぎて夜も眠れないぜ」
「そんなものかなぁ」
「お前も趣味のひとつでも持てば良いのに、デートできないじゃん」
 そこを突かれても微妙なところではある。まあ自覚しているし、反論する必要があるわけでもなかった。
 綾人の熱弁はまるで演説のように続いた。



 次の日の教室はテストが近いため、独特の重い雰囲気に包まれていた。
 今日は珍しく高月も出席していた。
 だけども、彼女は授業中に目を開けているのか、開けていないのか。同じ姿勢のままじっとしている。僕はその姿が滑稽なものに見えて、なんだか気になってしまった。
 授業を終えて、みんながぞろぞろと席を立った時。
 綾人の体育が楽しみだという言葉は、僕の耳に入ったもののするりと抜けて消えてしまった。ある別の言葉に上書きされたからだ。
 僕は高月に呼び止められて足を止めた。
「さっき、先生は何話してたの?」
「テストの範囲だよ。
え、......まったく聞いてなかったの?」
 高月はこくんと首を縦に振った。
「目が悪いから全く黒板が見えなくて。
それに、寝てしまっていたから」
「え?」
 その台詞はつかみどころが分からない。僕は困ってしまった。

 その日の帰り道、僕の耳には機関銃のようにひっきりなしに声が響いていた。
「高月さんって、やっぱり何かが違うんだよね。
私から見ても羨望の気持ちになるっていうかー」
 相変わらずの高月の話題に、ちょっと耳を離してしまいたくなる。
 先ほどから一方的なトークを繰り広げているのは、クラスメイトの()()だった。
 彼女は明るくはきはきした性格の女子生徒だ。クラスの中ではよく男女問わず話しかけられている。また彼女自身もよく雑談みたいな会話を皆と広げている。
 ちなみに、最初は名前の読みを"さくら"と間違えていたのは秘密だ。
「花が付いた名前なんてお洒落じゃないですかやだー」
 などと咲良はひとりで語っている。さすがに突っ込みどころが分からない。
「な、気になるの分かるだろ?」
 彼女の会話に相づちを打つのは綾人だ。彼と咲良は中学生からの同級生とのことで、明るい雰囲気がお互いに波長が合うのだろう。
 異性が視線を寄せるならまだしも、女子生徒にも羨ましい気持ちで見られているのだろうか。高月というのはなんだか不思議な存在だなと思った。
「私より背が高いのに、同じ体重でさ。ホント不思議よ。
それでいて、朝とかなんかシャンプーだかトリートメントだかの香りとかするし。
お洒落だよねえ」
 もし男の子にしたらイケメンなんだよねえ、とひとりで腕組みをしながら呟いている。
 女子生徒に体重の話はなんだか厳禁な気がするけれど、彼女はしゃあしゃあと言って述べる。あまりツッコミをしないであげよう、僕はひとりでそう思った。
 そういうものなのだろうか? 僕から言わせると、高月だって授業をよく受けている印象だし。恋愛的な要素として他人を見たことがないからなにもコメントのしようがないのだけど。
「違うの、高月さんは何かが違う気がするんだよ......」
 昨日、高月がカフェで勉強している姿を思い出してみた。
 実は、映画の帰りにちょっとだけ様子を見に行ったのだが、だいぶ遅い時間なのに彼女はまだ一生懸命に勉強していた。
 咲良は勉強の物量を話題にしたいんじゃない。高月が放つ独特の雰囲気を知りたい、そんなことを感じた。それは、たぶんクラスメイトのほとんどが感じていることなのだろう。
 彼女はひとつだけ言ってくれた。
「高月さんはね、......なんだかバレリーナみたいなんだよ」

 信号機が赤に変わったタイミングなのか、自然とトークテーマが切り替わった。
「そういえば、なんでお前は高月に話しかけられるの?」
 綾人の質問に対し、僕はつい首を捻ってしまった。
 先ほどの休み時間のことだ。それは高月が先生の話を聞けていなくて困ったからだろうと思っていたのだが。よく考えると、彼女がクラスメイトに話しかけている姿を見たことがなかった。それが、自分に話しかけてきてくれたのだ。
 
 高月とのはじめての接点はどこにあったのだろうか。
 クラスメイトだから、少しの会話自体はあったと思うけれど。
 小さなドラマすぎて思い出せなかった......。