その週の土曜日に僕は学校に向かった。
教科書を忘れたから、と説明すると警備員がなんだか面白い表情を浮かべて答えてくれた。
「部活以外で来る人はふたり目だよ」
僕は適当に会釈をしながら学校に入っていく。それは言い訳でしかない。
当たり障りのないことを述べたものの、教室ではなく校舎の裏側に向かった。そこにはリツ花が待っていた。傍らには綾人と咲良もいる。
「ちゃんと、来てくれましたね......」
当たり前だ。自分のやりたいことでもあるし、なによりもリツ花が願ったことだ。うさぎの埋葬をしようと彼女が言ったから。
本来なら業者がうんぬんと必要になるのだが、最後のひとときまで愛でてあげたい。その意思を支えるために、僕は彼らにも声をかけた。
小屋に入った僕たちは手を合わせて十分にお祈りをする。それじゃあやろうか、と誰ともなく声を掛けて立ち上がった。
先ずは床の掃き掃除をした。
当然と言えばそうなのだが、うさぎが亡くなって以来なにもしていないからずいぶんと落ち葉が溜まっていた。それでも、いつもより丁寧に作業をしよう。
これが最後の仕事なのだから、皆言わずとも分かっているようだった。
「それで、これどれくらい掘るの?」
綾人の発言によって、次は男仕事のターンになった。
「できるだけ、深くお願いします」
リツ花が答える。
僕も軽く調べてみたのだが、たとえば自宅の庭に埋葬する場合はたくさんのことが書かれていた。まず、深い穴を掘らなければいけない。万が一のことでご遺体が出てくる可能性があるかもしれないし、何よりも近所トラブルになってはいけないわけだ。
あいよ、と答えた綾人はさっそくショベルで掘り出した。でも、掘るといってもこの床はどれくらい土が被っているのだろう。僕はリツ花の顔を伺った。
「私、掘ってみたことありますから。興味本位で」
などと言って、リツ花は口に手を添えてにこりと笑っている。その細い腕からは想像できない回答だ、意外と力仕事をこなすとは思っていなかった。
自分も綾人に続けて掘り出すことにした。最初の頃はまったく進まなかったものの、夢中になってくるとどんどん穴が膨らんでいった。
それから結構な時間をかけてそこそこ深くできただろう、一度リツ花に見てもらったのだが首を左右に振ってしまった。
「......もっと、深く広くできますか?」
皆で穴を覗き見ながら様子を伺っている。もっと深くと言われても、作業を止める人は誰もいなかった。
私もやるわよ、と途中から咲良が小さなスコップを片手に手伝ってくれると作業スピードが進んでいった。
そんな中、リツ花はうさぎをタオルにくるんで段ボールに詰めているところだ。彼女なりの棺のイメージだ。
どれくらいの時間がかかっただろう、その準備ができた頃に穴掘りも完璧なものが出来ていた。やったね、と誰とも言わずに口にした。
皆はリツ花が段ボールを地中に入れるのを静かに見守っている。誰もがその瞬間を待ち望んでいたように、このために作業をしたように。
掘り起こした土を元に戻して、小屋の中は綺麗に納めることができた。
そして、咲良が小さな花束をその傍らに置いた。今日参加することができない林が、せめてものお代を差し出してくれたのだ。
小屋から出た僕たちは微笑み合っている。軍手をしているとはいえ、顔には土汚れがついているし制服も洗濯が必要だろう。
少し西日が差していた。いつの間にか夕方が近づいていて、コートを脱いでいる身体に冬の風は冷たいだろう。でも、成功させた心は冷やしきれていなかった。
「私のことなのに、今日のところは付き合ってくれてありがとう......。皆さんのことを信じてたから、お願いしてよかったな」
......みんなのおかげです。そう言ってリツ花は丁寧に頭を下げた。
そこにいる誰もが表情をひとつも変えずに彼女を見つめている。皆、言いたいことは同じだ。リツ花も分かっていると思うから何も言わなかったのだが。
でも、リツ花は困り果ててしまう。そこにやっと咲良が口を開いた。
「高月さんさ、水くさいこと言わないの」
え? とリツ花は少し首を傾げているようだ。本気で分かっていないようなその表情に、くすりと笑いがこみ上げる。
「世話してるんだーって教えてくれたらよかったのに。そしたらさ、私たちだけでも面倒を見てあげられたしクラスのみんなでもできるじゃん」
「そんなの、......考えもしませんでした」
リツ花は口に手をそえている。久しぶりに豆鉄砲をくらった鳩のような彼女の表情を見た。まったくその通りだ。うさぎが居てくれたから僕たちは会話をはじめることができたし、彼女もクラスメイトと交流を深められただろう。
すべてを背負い込みすぎるリツ花の悪い癖が出てしまった。
「それに、うさぎの世話をしたいから授業を抜ける人なんてどの世界中を探しても君だけだよね」
リツ花の仕事を知っている咲良なりの発言だ。
上手くオブラートに包んだ言い方に皆の中に笑いが広まった。この話が広まれば、彼女の休みの理由に心地よい種が植えられるだろう。
そこに、警備員だろうか。こちらに向けて歩いてくる足音が聞こえる。
僕たちは慌てて見えない位置まで避難する。
やがて、何もなかった空気が沈黙の空気を鳴らす。その様子にみんなで笑いあった。
これからも、素敵な花が咲きますように。
夕暮れの空は薄暗いものの、満足している心が明るい雰囲気を作っていてなんだかしっかりとものが見えるような気にさせてくれる。
前を歩く綾人と咲良は、ファミレスで何を食べるのか揉めていた。
好きなものを食べれば良いのに、とつぶやくリツ花も楽しそうだ。
海外の言葉に、"binky free"という言葉があるそうだ。月に旅立ったうさぎにかける言葉で、"binky"が飛び跳ねるだから"自由にぴょんぴょん跳ねてね"という意味になる。
小屋にいるうさぎは、その中に一匹だけで寂しかったかもしれない。
下手したら誰にも世話をしてもらえなかっただろう。それを、ひとりだけ救ってくれた人が居た。
僕は隣を歩く人物の顔をちらりと見た。
リツ花はこちらに視線を送り、微笑みを返してくれる。彼女は人一倍苦しんで生きている。誰にも相談する相手がいなかった。でも、優しさの大きさは誰にも負けてない。それが、僕の好きな人だ。
リツ花の代わりに、自由に跳ね回ってね。
これが、僕たちだけの青春。
教科書を忘れたから、と説明すると警備員がなんだか面白い表情を浮かべて答えてくれた。
「部活以外で来る人はふたり目だよ」
僕は適当に会釈をしながら学校に入っていく。それは言い訳でしかない。
当たり障りのないことを述べたものの、教室ではなく校舎の裏側に向かった。そこにはリツ花が待っていた。傍らには綾人と咲良もいる。
「ちゃんと、来てくれましたね......」
当たり前だ。自分のやりたいことでもあるし、なによりもリツ花が願ったことだ。うさぎの埋葬をしようと彼女が言ったから。
本来なら業者がうんぬんと必要になるのだが、最後のひとときまで愛でてあげたい。その意思を支えるために、僕は彼らにも声をかけた。
小屋に入った僕たちは手を合わせて十分にお祈りをする。それじゃあやろうか、と誰ともなく声を掛けて立ち上がった。
先ずは床の掃き掃除をした。
当然と言えばそうなのだが、うさぎが亡くなって以来なにもしていないからずいぶんと落ち葉が溜まっていた。それでも、いつもより丁寧に作業をしよう。
これが最後の仕事なのだから、皆言わずとも分かっているようだった。
「それで、これどれくらい掘るの?」
綾人の発言によって、次は男仕事のターンになった。
「できるだけ、深くお願いします」
リツ花が答える。
僕も軽く調べてみたのだが、たとえば自宅の庭に埋葬する場合はたくさんのことが書かれていた。まず、深い穴を掘らなければいけない。万が一のことでご遺体が出てくる可能性があるかもしれないし、何よりも近所トラブルになってはいけないわけだ。
あいよ、と答えた綾人はさっそくショベルで掘り出した。でも、掘るといってもこの床はどれくらい土が被っているのだろう。僕はリツ花の顔を伺った。
「私、掘ってみたことありますから。興味本位で」
などと言って、リツ花は口に手を添えてにこりと笑っている。その細い腕からは想像できない回答だ、意外と力仕事をこなすとは思っていなかった。
自分も綾人に続けて掘り出すことにした。最初の頃はまったく進まなかったものの、夢中になってくるとどんどん穴が膨らんでいった。
それから結構な時間をかけてそこそこ深くできただろう、一度リツ花に見てもらったのだが首を左右に振ってしまった。
「......もっと、深く広くできますか?」
皆で穴を覗き見ながら様子を伺っている。もっと深くと言われても、作業を止める人は誰もいなかった。
私もやるわよ、と途中から咲良が小さなスコップを片手に手伝ってくれると作業スピードが進んでいった。
そんな中、リツ花はうさぎをタオルにくるんで段ボールに詰めているところだ。彼女なりの棺のイメージだ。
どれくらいの時間がかかっただろう、その準備ができた頃に穴掘りも完璧なものが出来ていた。やったね、と誰とも言わずに口にした。
皆はリツ花が段ボールを地中に入れるのを静かに見守っている。誰もがその瞬間を待ち望んでいたように、このために作業をしたように。
掘り起こした土を元に戻して、小屋の中は綺麗に納めることができた。
そして、咲良が小さな花束をその傍らに置いた。今日参加することができない林が、せめてものお代を差し出してくれたのだ。
小屋から出た僕たちは微笑み合っている。軍手をしているとはいえ、顔には土汚れがついているし制服も洗濯が必要だろう。
少し西日が差していた。いつの間にか夕方が近づいていて、コートを脱いでいる身体に冬の風は冷たいだろう。でも、成功させた心は冷やしきれていなかった。
「私のことなのに、今日のところは付き合ってくれてありがとう......。皆さんのことを信じてたから、お願いしてよかったな」
......みんなのおかげです。そう言ってリツ花は丁寧に頭を下げた。
そこにいる誰もが表情をひとつも変えずに彼女を見つめている。皆、言いたいことは同じだ。リツ花も分かっていると思うから何も言わなかったのだが。
でも、リツ花は困り果ててしまう。そこにやっと咲良が口を開いた。
「高月さんさ、水くさいこと言わないの」
え? とリツ花は少し首を傾げているようだ。本気で分かっていないようなその表情に、くすりと笑いがこみ上げる。
「世話してるんだーって教えてくれたらよかったのに。そしたらさ、私たちだけでも面倒を見てあげられたしクラスのみんなでもできるじゃん」
「そんなの、......考えもしませんでした」
リツ花は口に手をそえている。久しぶりに豆鉄砲をくらった鳩のような彼女の表情を見た。まったくその通りだ。うさぎが居てくれたから僕たちは会話をはじめることができたし、彼女もクラスメイトと交流を深められただろう。
すべてを背負い込みすぎるリツ花の悪い癖が出てしまった。
「それに、うさぎの世話をしたいから授業を抜ける人なんてどの世界中を探しても君だけだよね」
リツ花の仕事を知っている咲良なりの発言だ。
上手くオブラートに包んだ言い方に皆の中に笑いが広まった。この話が広まれば、彼女の休みの理由に心地よい種が植えられるだろう。
そこに、警備員だろうか。こちらに向けて歩いてくる足音が聞こえる。
僕たちは慌てて見えない位置まで避難する。
やがて、何もなかった空気が沈黙の空気を鳴らす。その様子にみんなで笑いあった。
これからも、素敵な花が咲きますように。
夕暮れの空は薄暗いものの、満足している心が明るい雰囲気を作っていてなんだかしっかりとものが見えるような気にさせてくれる。
前を歩く綾人と咲良は、ファミレスで何を食べるのか揉めていた。
好きなものを食べれば良いのに、とつぶやくリツ花も楽しそうだ。
海外の言葉に、"binky free"という言葉があるそうだ。月に旅立ったうさぎにかける言葉で、"binky"が飛び跳ねるだから"自由にぴょんぴょん跳ねてね"という意味になる。
小屋にいるうさぎは、その中に一匹だけで寂しかったかもしれない。
下手したら誰にも世話をしてもらえなかっただろう。それを、ひとりだけ救ってくれた人が居た。
僕は隣を歩く人物の顔をちらりと見た。
リツ花はこちらに視線を送り、微笑みを返してくれる。彼女は人一倍苦しんで生きている。誰にも相談する相手がいなかった。でも、優しさの大きさは誰にも負けてない。それが、僕の好きな人だ。
リツ花の代わりに、自由に跳ね回ってね。
これが、僕たちだけの青春。