視線の先にいる彼女は、おぼろげに窓の外を眺めている。
ランチタイムだというのに、少しだけ手を付けたサンドイッチを再び手にする様子は見られない。
「......歩、どうした?」
綾人に呼び掛けられて、僕は視線を彼に戻した。ごめんと彼の話を聞く姿勢をつくる。
でも、彼の話は半分ほどしか聞いていなかった。先ほどまで眺めていた彼女、高月 リツ花のことが気になってしょうがなかったからだ。
この間の帰り道、高月は中学生のクラスメイトと再会した。なんでもクラス会をやるというのだが、高月はその誘いを断っていた。そして、友達がいなかったと自分に告げる。
その台詞は本物のものなのだろうか。中学の友人が居ない自分に気を遣っただけなのとは思えないほどにリアルな言い方だった気がする。
僕の脳裏に、彼女を心配する言葉が生まれていた。
"誰のために本当の君を捨てるの?"
・・・
高校生のランチタイムというのは、いつも賑やかな空気をしている。
私を何に例えるかと言われれば、その空気の中にたたずむ一輪草だろうか。
太陽の方に首を向けることはできず、私が顔を上げた方角へひたすらと向いていることしかできない。まるで教室の窓際に咲いている小さなものだ。
そんなことを考えながら、私はいつも教室の中を眺めている。窓から入ってくる風が私の長い髪を揺らした。まあ、時にはこちらを向いて微笑んでくれる人も居なくはないか。ちょうど、彼女のように。
咲良さんはたまにこちらに向けて話しかけてくれる。先ほどまで林さんと話していた気がするのに。私はなんでもないよと静かに返したところだ。
「高月さんさあ、今週の土曜日空いてるかな。駅前の神社でお祭りやるから行かない? 林ちゃんも一緒だよ」
なるほど。この提案をしたかったのだろう。そう考えるとなんだか嬉しい。
正直言うと好きなイベントだ。最後に行ったのはいくつの年だっただろうか、父に手を引かれてオレンジの灯りの下を歩いていた気がする......。
「ほら、高月さん。なんか考えこんじゃってだいじょうぶ?」
顔の前で手をひらひらと揺らしてくれて、私は正気に戻った。
慌てて鞄から手帳を出して予定を確認した。できるだけ、咲良さんに中身を見られないように。
「興味あるんだけど、ごめんなさい」
あいにく別の予定があったため、私は正直に頭を下げた。
見ると、咲良さんは困った様子も見せていなかった。むしろなんだか納得したような感じだった。
「ふふ。いつも大変そうだもんね。別に気にしなくていいんだよ。先に入れた予定が優先っていうし。やっぱり参加できそうだったら教えてね、いつでも待っているから」
ウインクをして咲良さんは戻っていった。
土曜日になった。
まだ秋になりきれない蒸し暑い空気が流れて、風鈴をちりんと鳴らする。いつ買ったんだっけ? と、私はベッドの上に寝転んでその様子をずっと眺めていた。
時間があるのに、なかなか勉強する気分にはなれなかった。かといって読書するのも興に乗らない。居間にしか置かれていないテレビからは何かのドラマの音がうっすらと流れてくる。
首を部屋の中に向けて、テーブルの上に置かれている時計に目をやった。出掛ける時間まではあと2時間くらいといったところだろうか。
先に入っている予定なんか、なければ良いのに。私は小さいため息をついた。
でも、なんで誘ってくれたのだろうか。私なんかのために。
そう言えば、ふたりの私服というものは見たことがなかった。
放課後にファミリーレストランに行くのも制服だから、想像するのは難しいか。もしかしたら、浴衣かもしれない。
お洒落なアイテムを持っているのは羨ましいなあ。私も小さい頃に買ってもらうようおねだりをしたかった。
「これが飲みたい!」
と父に願ったのは、サイダーの瓶だ。浴衣を買ってもらうのは子供心に申し訳なく思って、つい妥協をしてしまう。こういう日くらいは贅沢して良いと言われるのに。
空の瓶に転がるビー玉は、手の届かないお月さまのように思えたんだ。駄々をこねて中から取り出してもらったものは、今はどこに失くしてしまったんだっけ。
記憶を手繰り寄せられないまま、いつの間にかうたた寝をしてしまった......。
夕方の空は薄暗い色をしていた。
うっすらと祭り囃子が聴こえてくる。気分だけでも味わいたいから、ちょっと寄り道をしてみようと思ったんだ。
神社の前にある大通りを歩きながらその様子を眺めてみると、皆楽しそうに微笑んでいる様子がうかがえる。やはり、イベントというものは楽しいものだと改めて認識させられる。
......すると、曲がり角に差し掛かったところで人とぶつかりそうになった。でも、何かがおかしい。
早く立ち去りたいという雰囲気を出している、明らかに客ではない男性。
その人が異質であるというメッセージを含んだ叫び声。
私は咄嗟に状況を判断し、男性が走っている最中に足払いをかけた。すると、彼は一気にバランスを崩し慌てだした。
そこに、体当たりをかける。彼は歩道の上に顔から倒れ込んだ。
必死に右腕を掴むと、その手に小さな巾着が握られていた。やはりスリだったのだ。
「そこのお姉さん、ありがとうございますー! って、高月さん!?」
お姉さんでもないけれど、声の方に顔を上げてみた。こちらに向けてやってきたのは、息を切らしながら走ってくる咲良さんと林さんだった。
すぐに警備員が現れて犯人はあっけなく確保された。事態が収まっていくまで私たちはお互いを見つめ合っていた、まさかこんな偶然があるなんて。
隅のベンチで、ふたりは状況を説明してくれた。
「私、ふと声を掛けられたんです。前触れもなく"お着物が汚れています"って。でも、どこも汚れてなんかいないし。後ろのスカートの裾だと思って振り返った瞬間でさ」
林さんが巾着から視線を離した瞬間に奪っていったのだという。お金は大した金額しか入っていなかったそうだけど、スマートフォンに気づかれたら危なかっただろう。個人情報が盗まれたら被害は計り知れないそうだから。
「それにしても、高月さん! かっこよかった!」
と咲良さん。まるで映画のアクションシーンでも観たような眼差しを向けてくる。
私はヒロインでも何でもないのだから、その視線は眩しすぎる。
「私、たまたま通りかかっただけですから......」
「えー、またまたぁ。あんなすぐに判断できるなんてさ。高月さんはかっこいいんだ、って学校で言いふらしちゃうぞ」
などとひとりで腰に手をついて高らかと笑っている。恥ずかしいから止めて欲しい。私の顔は知らない間にみずみずしい果物のように赤くなってしまった。
「でもさ、持つべきものは友だちだよね!」
彼女が口にした言葉に私は一瞬戸惑った。今まであまり味わったことのない響きだから......。
そこに声をかけられた。犯人を確保した警備員だった。
「えっと、そこのお嬢さん。一応お話をお聞かせください、すぐ済みますから」
「え、あ。はい」
それじゃあね、と私は事務所に行くために彼女らと別れた。その背中越しに、ふたりのために生まれた言葉を口にしていた。
「友だちは、助けるものですから......」
ほとんど衝動的だった。
週が明けて学校に行くと、教室の中で林さんが待っていた。
彼女はこちらの姿に気づくと、自分の席を立って私の机の前にぽつんと立った。
何かしら? と表情を伺うと、これまた恥ずかしそうに顔を赤くしている。発表会をする前の小学生みたいな表情が愛らしかった。
「......咲良さんが言いふらすのは、私が食い止めておきました。でも、私を助けてくれたことには変わらないのです」
というわけでこちらをどうぞ、と差し出してきたのは小さな紙袋だった。中を見て良いのと訊くと、小さくこつんとうなづいた。
それは、サイダーだった。缶に入ったものが2本も。
「ほんとうはビー玉のポンするやつが美味しいんですけど、あいにく持ってこれないので」
「十分嬉しいですよ」
ありがとうございます! と林さんは満面の笑みで答えてくれた。
「そ、それじゃあもうひとつだけ話を聞いてもらって良いですか?」
なぁに? と訊くと、答えはとてもシンプルだった。
「今日、ランチご一緒しませんか? あとで咲良さんにも話しておきますので」
「もう、しょうがないですね」
くすくすと笑いながら答えるしかなかった。もちろん答えはひとつしかない。
嬉しそうに席に戻る彼女を見送って、もう一度サイダーを手に取った。フルーツのフレーバーというのは美味しそうだ。帰ったら冷やしてみたい。
爽やかな空気が窓から入って、私の髪を揺らしていた。
ランチタイムだというのに、少しだけ手を付けたサンドイッチを再び手にする様子は見られない。
「......歩、どうした?」
綾人に呼び掛けられて、僕は視線を彼に戻した。ごめんと彼の話を聞く姿勢をつくる。
でも、彼の話は半分ほどしか聞いていなかった。先ほどまで眺めていた彼女、高月 リツ花のことが気になってしょうがなかったからだ。
この間の帰り道、高月は中学生のクラスメイトと再会した。なんでもクラス会をやるというのだが、高月はその誘いを断っていた。そして、友達がいなかったと自分に告げる。
その台詞は本物のものなのだろうか。中学の友人が居ない自分に気を遣っただけなのとは思えないほどにリアルな言い方だった気がする。
僕の脳裏に、彼女を心配する言葉が生まれていた。
"誰のために本当の君を捨てるの?"
・・・
高校生のランチタイムというのは、いつも賑やかな空気をしている。
私を何に例えるかと言われれば、その空気の中にたたずむ一輪草だろうか。
太陽の方に首を向けることはできず、私が顔を上げた方角へひたすらと向いていることしかできない。まるで教室の窓際に咲いている小さなものだ。
そんなことを考えながら、私はいつも教室の中を眺めている。窓から入ってくる風が私の長い髪を揺らした。まあ、時にはこちらを向いて微笑んでくれる人も居なくはないか。ちょうど、彼女のように。
咲良さんはたまにこちらに向けて話しかけてくれる。先ほどまで林さんと話していた気がするのに。私はなんでもないよと静かに返したところだ。
「高月さんさあ、今週の土曜日空いてるかな。駅前の神社でお祭りやるから行かない? 林ちゃんも一緒だよ」
なるほど。この提案をしたかったのだろう。そう考えるとなんだか嬉しい。
正直言うと好きなイベントだ。最後に行ったのはいくつの年だっただろうか、父に手を引かれてオレンジの灯りの下を歩いていた気がする......。
「ほら、高月さん。なんか考えこんじゃってだいじょうぶ?」
顔の前で手をひらひらと揺らしてくれて、私は正気に戻った。
慌てて鞄から手帳を出して予定を確認した。できるだけ、咲良さんに中身を見られないように。
「興味あるんだけど、ごめんなさい」
あいにく別の予定があったため、私は正直に頭を下げた。
見ると、咲良さんは困った様子も見せていなかった。むしろなんだか納得したような感じだった。
「ふふ。いつも大変そうだもんね。別に気にしなくていいんだよ。先に入れた予定が優先っていうし。やっぱり参加できそうだったら教えてね、いつでも待っているから」
ウインクをして咲良さんは戻っていった。
土曜日になった。
まだ秋になりきれない蒸し暑い空気が流れて、風鈴をちりんと鳴らする。いつ買ったんだっけ? と、私はベッドの上に寝転んでその様子をずっと眺めていた。
時間があるのに、なかなか勉強する気分にはなれなかった。かといって読書するのも興に乗らない。居間にしか置かれていないテレビからは何かのドラマの音がうっすらと流れてくる。
首を部屋の中に向けて、テーブルの上に置かれている時計に目をやった。出掛ける時間まではあと2時間くらいといったところだろうか。
先に入っている予定なんか、なければ良いのに。私は小さいため息をついた。
でも、なんで誘ってくれたのだろうか。私なんかのために。
そう言えば、ふたりの私服というものは見たことがなかった。
放課後にファミリーレストランに行くのも制服だから、想像するのは難しいか。もしかしたら、浴衣かもしれない。
お洒落なアイテムを持っているのは羨ましいなあ。私も小さい頃に買ってもらうようおねだりをしたかった。
「これが飲みたい!」
と父に願ったのは、サイダーの瓶だ。浴衣を買ってもらうのは子供心に申し訳なく思って、つい妥協をしてしまう。こういう日くらいは贅沢して良いと言われるのに。
空の瓶に転がるビー玉は、手の届かないお月さまのように思えたんだ。駄々をこねて中から取り出してもらったものは、今はどこに失くしてしまったんだっけ。
記憶を手繰り寄せられないまま、いつの間にかうたた寝をしてしまった......。
夕方の空は薄暗い色をしていた。
うっすらと祭り囃子が聴こえてくる。気分だけでも味わいたいから、ちょっと寄り道をしてみようと思ったんだ。
神社の前にある大通りを歩きながらその様子を眺めてみると、皆楽しそうに微笑んでいる様子がうかがえる。やはり、イベントというものは楽しいものだと改めて認識させられる。
......すると、曲がり角に差し掛かったところで人とぶつかりそうになった。でも、何かがおかしい。
早く立ち去りたいという雰囲気を出している、明らかに客ではない男性。
その人が異質であるというメッセージを含んだ叫び声。
私は咄嗟に状況を判断し、男性が走っている最中に足払いをかけた。すると、彼は一気にバランスを崩し慌てだした。
そこに、体当たりをかける。彼は歩道の上に顔から倒れ込んだ。
必死に右腕を掴むと、その手に小さな巾着が握られていた。やはりスリだったのだ。
「そこのお姉さん、ありがとうございますー! って、高月さん!?」
お姉さんでもないけれど、声の方に顔を上げてみた。こちらに向けてやってきたのは、息を切らしながら走ってくる咲良さんと林さんだった。
すぐに警備員が現れて犯人はあっけなく確保された。事態が収まっていくまで私たちはお互いを見つめ合っていた、まさかこんな偶然があるなんて。
隅のベンチで、ふたりは状況を説明してくれた。
「私、ふと声を掛けられたんです。前触れもなく"お着物が汚れています"って。でも、どこも汚れてなんかいないし。後ろのスカートの裾だと思って振り返った瞬間でさ」
林さんが巾着から視線を離した瞬間に奪っていったのだという。お金は大した金額しか入っていなかったそうだけど、スマートフォンに気づかれたら危なかっただろう。個人情報が盗まれたら被害は計り知れないそうだから。
「それにしても、高月さん! かっこよかった!」
と咲良さん。まるで映画のアクションシーンでも観たような眼差しを向けてくる。
私はヒロインでも何でもないのだから、その視線は眩しすぎる。
「私、たまたま通りかかっただけですから......」
「えー、またまたぁ。あんなすぐに判断できるなんてさ。高月さんはかっこいいんだ、って学校で言いふらしちゃうぞ」
などとひとりで腰に手をついて高らかと笑っている。恥ずかしいから止めて欲しい。私の顔は知らない間にみずみずしい果物のように赤くなってしまった。
「でもさ、持つべきものは友だちだよね!」
彼女が口にした言葉に私は一瞬戸惑った。今まであまり味わったことのない響きだから......。
そこに声をかけられた。犯人を確保した警備員だった。
「えっと、そこのお嬢さん。一応お話をお聞かせください、すぐ済みますから」
「え、あ。はい」
それじゃあね、と私は事務所に行くために彼女らと別れた。その背中越しに、ふたりのために生まれた言葉を口にしていた。
「友だちは、助けるものですから......」
ほとんど衝動的だった。
週が明けて学校に行くと、教室の中で林さんが待っていた。
彼女はこちらの姿に気づくと、自分の席を立って私の机の前にぽつんと立った。
何かしら? と表情を伺うと、これまた恥ずかしそうに顔を赤くしている。発表会をする前の小学生みたいな表情が愛らしかった。
「......咲良さんが言いふらすのは、私が食い止めておきました。でも、私を助けてくれたことには変わらないのです」
というわけでこちらをどうぞ、と差し出してきたのは小さな紙袋だった。中を見て良いのと訊くと、小さくこつんとうなづいた。
それは、サイダーだった。缶に入ったものが2本も。
「ほんとうはビー玉のポンするやつが美味しいんですけど、あいにく持ってこれないので」
「十分嬉しいですよ」
ありがとうございます! と林さんは満面の笑みで答えてくれた。
「そ、それじゃあもうひとつだけ話を聞いてもらって良いですか?」
なぁに? と訊くと、答えはとてもシンプルだった。
「今日、ランチご一緒しませんか? あとで咲良さんにも話しておきますので」
「もう、しょうがないですね」
くすくすと笑いながら答えるしかなかった。もちろん答えはひとつしかない。
嬉しそうに席に戻る彼女を見送って、もう一度サイダーを手に取った。フルーツのフレーバーというのは美味しそうだ。帰ったら冷やしてみたい。
爽やかな空気が窓から入って、私の髪を揺らしていた。