「さて俺の話ってのは、横浜方面支部設立についてなんだが」

 お茶を淹れた遥香が座るのを待って、山代が口を開いた。だが聞いたことのない案件で、彰良は眉をひそめる。

「なんです、それは」
「そのまんまさ。横浜にも支部を置けばいいんじゃないかとね、芳川中佐どのの提案だ」
「爺さま……」

 彰良が仏頂面になる。いきなりそんなことを言い出すとは、横浜生まれの半妖である遥香に会いたがったことと関係があるのだろうか。

「横浜での怪異は増えてきている。そのたびに本部から出張するんじゃ面倒くさいだろ。神奈川や東海道筋をみる部署がほしいというのは前からの懸案だったんだ」
「そうですか? 爺さまの我がままとかじゃないでしょうね」
「おまえさあ、いちおう親だろ?」
「だから言ってるんです」

 子ども時代の名残が出たのだろうか、ムスッと言い返す彰良のようすが少年のように見えて遥香はほほえんでしまった。すると山代の視線が遥香をとらえる。

「篠田遥香さん、君にも横浜方面支部に属してもらってはどうかと思うんだよ」
「……はい?」
「うん、驚くよな。まあ軍属になると本決まりしたらの話なんだが――お爺さんがおひとりでいるだろう? 帝都に離れてしまうのは心配じゃないかと考えてね」

 いきなりのことに遥香は黙ってしまった。
 祖父のことはたしかに気がかりだ。だが祖父の方は、遥香が出ていってせいせいしているのでは。そう思うと胸が苦しくなる。遥香は目を伏せた。

「祖父は、私がいない方が……」
「あのさ遥香さん」

 遥香に言葉をにごされて、口をはさんだのは喜之助だった。

「弘道さん、最近出かけてばかりだと言ってたね。あれ――稲荷神社の引っ越し先を探して駆けずり回ってたんだよ」
「……引っ越し?」

 喜之助は申し訳なさそうに肩をすくめた。遥香に無断で調べを入れたのは、少々気まずい。

 遥香が育った集落は、土地の買い取りを進める実業家に目をつけられているのだそうだ。
 居留地を中心に食肉の需要が増えていて、近場で生産するため牧場を作るのだとか。土地を持っている側も、細々と畑をたがやすより高く売って出ていった方がいいという者が多いらしい。
 そんな話になって、祖父の弘道は――あそこにしがみつくこともないと思ったのだ。
 狐の嫁にだまされた稲荷と馬鹿にされ、ご利益(りやく)などなかろうと笑われる。そんな所に未練はない。
 だが、近隣に移転して稲荷の名を残しておかねばとは思っていた。

「――遥香さんのお父さんが帰ってくるかもしれない。その時に弘道さんも遥香さんもいなくなっていたら困るから、て」
「父さんのために……?」
「そう。自慢の息子だって言ってた」

 遥香はこくんとうなずいた。やさしくて、考え深い父だった……と思う。別れたのは七つの時だから、子どもから見た姿でしかないけれど。
 大好きだった。父も遥香を可愛がってくれた。そして母のことをとても大切にしていた。

「遥香さんだってお父さんに会いたいよな。二人を引き合わせるためにも稲荷は残さなきゃならないって頑張ってたんだってさ」

 近所はみな、土地を売る売らないで揉めていた。残りたがっている人にしてみれば、鎮守の稲荷のくせに出ていくのかと文句も出る。道端で怒鳴り合いになったりもしていたようだと喜之助に教えられ、遥香はぼうぜんとした。

「おじいちゃん、そんなこと何も」
「おまえには言えなかったんだ」

 彰良まで口を開く。調べていたのは喜之助だが、話は聞かされていた。

「息子をだました狐は憎い。おまえはその狐の娘だ。だが、息子の血を引く孫でもある」
「彰良、言い方がきついぜ」
「やんわり言っても変わらん。大切な孫なのに母親に似てくるのがつらくて顔を見たくなかったそうだ。そのくせおまえのために稲荷を残したいなんて、おかしな話だからな」

 聞きながら、遥香はぼんやりしてしまった。
 いつも目をそらしがちだった祖父。嫌われていると思っていた。だけど。

「……孫だと言ってくれたんですか、おじいちゃん」

 つぶやいた遥香に、喜之助がうなずいた。

「そりゃあ、孫だし」
「はい……は、い……あの、すみません私」

 我慢しきれず遥香は立ち上がり、ぱたぱたと自室に逃げ込んだ。大粒の涙があふれてとまらない。
 祖父から憎まれてばかりではなかったと知って、遥香は泣きながらほほえんだ。父の帰る日を待ち、遥香にも会わせたいと思ってくれたのが嬉しい。
 ぺたりとすわって胸を抱く。涙を引っ込めようとするのに、うまくいかなかった。そんな自分が何故かおかしい。

「ふ、ふふ……」

 泣きながら笑う遥香のようすを廊下からうかがった男たち三人は、そっと居間に戻った。山代がちゃぶ台に突っ伏してうめく。

「あの子……重症だな」
「ですよねー、なんかもう痛々しくて」

 憎いけど大切な孫、という弘道のねじれた気持ちをそのまま伝えて嬉し泣きされるとは。卑屈にもほどがある。

「顔を見たくないって言われたところはいいのかい」
「ずっとそういう感じで暮らしてたんでしょう。話し相手は妖怪だけで」
「おっと、その妖怪にも会いたかったんだけどなァ。今いないのか?」
「豆腐小僧くん、さっきまでいましたけど。山代さんが来たんで帰っちゃいました」
「なんだ残念」

 ぼやく山代の向かいで彰良はむっつりと黙っていた。
 遥香がわからない。
 ほんのすこしの好意だけで泣くほど喜べるのはどうしてなのか。ずっとひとりぼっちだったのだろうに、ほほえんでいられる強さはどこからくるのか。

「――まったく」

 どういうことだ、と苛立ちをこめてつぶやいたら、山代が笑って同意した。

「泣きやんで出てきてくれないもんかな。俺の話は終わってないんだが」
「……そうですね」

 彰良が言ったのはそんな意味ではないのだが、釈明する気にはならなかった。



 けっきょく山代はさっさと帰っていった。それなりに忙しい身なのだ。
 現場に祓いに出ることはあまりなくなったが、「上に立つとあちこちと折衝せにゃならん」とぼやいていた。今後は支部開設のために飛び回るらしい。

「……私、たいへんな失礼を」

 客を放ったらかしてしまい、遥香は小さくなって謝った。泣きはらした目がはれぼったい。それを見ないふりで喜之助は笑った。

「いいってことよ。正式に支部に配属されるように頑張ろうな」
「はい」
「ところでおまえ、豆腐に埋めずに怪異を何とかできるのか? 考えると言っていただろう」

 いつもの無表情で彰良が話を変えた。前回の反省から、作戦は事前に教えろと言われていた遥香はあわてて説明する。

「あ、はい。とうふちゃんとは別の友だちにも、手伝ってもらえないか訊いてみました」
「別の?」

 遥香の言葉に彰良と喜之助は怪訝な顔をした。