君の声が聞こえる【青春BL】

「隣、座ったけど?」

 人が間に一人座れるくらいのスペースを空けて、ベッドに腰掛けると俺は瑛二に尋ねた。
 視線が合うことはないが、瑛二が瞼を上げて、俺のほうを見る。
 いつ見ても透明感のある綺麗な瞳だ。

「うん、その……、虎太郎に按摩実習の練習手伝ってもらいたいんだけど」

 ぼそりとはじまってから、後になるにつれてはっきりとした声になる。

「あんま?」

 生まれてこの方、そんな単語は聞いたことがなかった。
 まったくの未知の存在に思わず、困惑する。

「そう、まあ、マッサージみたいなので、将来の仕事的にそういうのがあってね、俺たちの学校では実習授業があるんだ」

「へぇ」

 説明されてもぱっとイメージ出来ないが、マッサージと言われるとなんだか気持ち良さそうな感じがした。

「ほら、虎太郎、昔、サッカー続けられないようなケガしたって言ってたし、ちょうどいいかなって」

――いや、それは……。

そう思ったが、いまさら恥ずかしい過去の理由は言えない。
へんに黙ってしまう。

「父さんにはもう練習台になってもらったし、実習の相手は千早だし、あと頼めるのは虎太郎しかいなくて、俺上達したいんだよね、頼めないかな?」

 困ったような顔をされて、瑛二に子犬感を感じてしまった。
 おかしい、犬耳が見える気がする。

「別に、いいけど」

 気付いたら、そう答えていた。
 イケメンの力、恐ろしい。

「ありがとう。怪我したのはどこ?」
「え? えーと、右の、太もも?」

 怪我なんか実際にはしてないから、曖昧な感じで適当に答えてしまった。
 足とかサッカー選手が一番致命的そうな部位だろ?

「分かった。最初は上からやっていくからね、まずはうつ伏せになってくれる?」
「おう」

 嬉しそうな瑛二の指示に従って、俺は素直にベッドにうつ伏せになった。
 
 ――あ、香水の匂い、薄まってる……。

 ベッドにうつ伏せになると明莉さんの香水の香りが微かに残っていたが、たしかに消えかかっているのが分かった。

「香水……」
「うん、捨てたんだ」

 顔を上げて小さくつぶやくと、ベッドが軋んで、瑛二が俺の横に膝を着いてこちらを見下ろす形になっていた。


 そして、「触るね」と小さな声で言ってから、瑛二がまずは俺の肩に優しく触れる。

「それって、俺に言われたから?」
「そう」

 俺の問いに答えながら、瑛二は大きな手の平を俺の肩甲骨あたりに添わせた。
 それから手の平でそこをさすられたり、ぐっと押されたりして、普通に気持ちいい。

「虎太郎はどんな香りが好き? 次、なににしたらいい?」
「……別にいらないだろ」

 熱い手が背中に移動して、息がもれる。
 まずい、ちょっと眠くなってきた。

「でも、いつか一緒に合う香水、見つけに行ってくれる?」
「……んー、いつかな」
「虎太郎は優しいね」

 結構な力がいるのだろう、瑛二の息が少し荒くなっているのが分かる。
 練習したいっていったって、俺のためにこんなしっかりやってくれる瑛二のほうが優しいだろ、と思った。

「次、足ね、最後、腰やるから」

 そろりと動いた手がふくらはぎに触れる。
 リンパを流すみたいに手で押されて、じんわりと熱くなってきた。
 怪我してると思ってる太ももをやるときは一番丁寧にほぐされた。

「ちゃんと効いてる感じする?」
「ん」

 一度手が離れて、そう尋ねられたから、俺は正直に相づちを打った。
 嘘じゃなくて、本当に気持ちいい。

 だが、事件は瑛二の手が腰に移動したときに起こった。

 ――あ、れ?

 腰をぐっ、ぐっと押されていると、違和感に一気に目が覚めた。

「んっ」

 小さく声が漏れて恥ずかしくなる。

 ――お父さんも千早もこれ堪えられたのか?

 腰を押される度に、違うほうに熱が集まっていく。

「ぅ、あ……」

 刺激が強くて、抑えようとするのに、声が出てしまって、あれ? 瑛二気付いてるよな? って思ったのに、ぜんぜんやめようとしてくれねぇし、声も掛けてこねえし。

 というか、さっきより強い……!

「瑛二、待……っ」

 さすがにまずいと感じて、俺は瑛二の手を掴んで止めた。

「ん? 虎太郎、大丈夫?」

 心配、というか優しい顔で尋ねてくる瑛二。
 見えてねぇと思うけど、あまりにも恥ずかしくて、顔から全身から全部熱くて

「トイレ!」

 俺は部屋を飛び出した。
 そして、へんに前屈みなままで二階のトイレを目指す。

「瑛二―、今日の夕飯さ……」

 そこでばったり、階段を上ってきたお父さんと鉢合わせ、ギョッとして横目で見てしまった結果、視線が合致してしまった。

 お互いに動きの止まった俺とお父さん。

 俺の現状、同じ男なら分かってしまうかもしれない。

 汗がダラダラ出てくる。

 これは「お父さん、違うんです!」と言ったほうがいまは怪しい。

『俺と瑛二はお友達』

 という言葉がぐるぐる頭の中を巡って、俺はバタンとトイレに逃げ込んだ。
 ◆ ◆ ◆

「え? もう按摩実習の練習台にはなれない? って、どうして?」

 トイレから戻って、俺が言うと、瑛二はベッドの縁に座ったまま残念そうな顔をした。
 犬耳がしゅん、と下がってるように見える。

「け、血行よくなりすぎて、なんか体調悪くなったから……!」

 前になんか、血行よくなって体調崩す人もいるっていうのをどっかで見たことがあって、適当にそれを言い訳に使わせてもらった。

 いや、正直に言ったら、へたすると、瑛二に引かれる可能性がある。

 だって、あの感じだと、お父さんも千早も事件は起こってないみたいじゃんか。
 なんで俺だけ……。

「んー、そっか、ごめん、それなら仕方ないね。体調はもう大丈夫?」

 気配を探って、瑛二が俺を探しているのが分かる。

「大丈夫大丈夫」

 申し訳ないから、さっきみたいに瑛二の隣に腰を下ろした。
 それでも瑛二のしゅん、は直らない。

「俺、ダメなのかな、将来、按摩も進路に入れられると思ったんだけど……」

 落ち込んでる理由はこれだ。

 これはまずい。
 このままだと瑛二の大事な進路を潰すことになりかねない。

「いまの嘘……」

 自分の中の全部を捨てて、俺はぼそりとこぼした。

「え?」

 あまり聞こえなかったのか、聞き返される。

「いまのぜんぶ嘘」

 ちょっと大きくした声はさすがに聞こえただろ?

「虎太郎?」

 首を傾げるように手で探って瑛二が俺の両手を取る。

「体調悪くなってない。気持ちよすぎて恥ずかしくてほんとのこと言えなかっただけ……」

 俺は照れくさくて目を伏せた。
 それなのに、両手から腕を沿って、顔に辿り着いた瑛二の手に正面を向くように持ち上げられる。

「虎太郎、それ、どんな顔で言ってるの?」
「……」

 触れたところが熱い。

「君の顔、見たいな」
「見なくていいからっ」

 絶対に見ることは叶わないのに、瑛二の綺麗な顔が近付いてどきりとする。
 ぶつかりそうになって、それでも、不思議と止まって

「ちゃんと正直に言ってくれて、優しいね、虎太郎」

 優しく微笑む顔が整いすぎて、ずっと見てられる芸術品みたいで

「虎太郎」

 何度も

「ねえ、虎太郎」

 何度も俺の名前を呼んで

「瑛二、なんで、そんな名前呼んで……」

 好きって言われそうだなと思った。

 そして、瑛二が一呼吸置いて口を開く。

「……今日の夕飯はお肉だって」

 ――いや、言わねぇのかよ! 俺もなに考えてんだ! バカ!

 ポカンとしたあとに、ムッとした顔をしてしまった。
 これを悟られないために、無言でいたのだが瑛二にはバレた。

「好きって言われると思った? 残念、言わないよ」
「言わなくていいっつの」

 間近でふっと笑われて、離れるよりも先に頭突きでも喰らわしてやろうかと思った。
 そんなときだ。

 コンコンッ、ガチャッ

 ――え?

 ノックから間もなく、お父さんが部屋に入ってきた。
 本日二回目、すぐに俺と目が合う。

 それから、きゅるきゅると思考が働く。

 俺の顔に添えられる瑛二の両手、この状況、まるでキスしようとしてたみたいじゃね? と気付いた。

「お父さん、違うんです! これは、違うんです!」

 ここは必死に否定する俺だ。
 ほんとに、いや、ほんとに、ただ優しさ振りまいてたら距離感を事故ったというか、瑛二の顔に芸術的に見とれていたというか、ああ、ダメだ、これ、どんどん悪いほうにいく。

「ごめん、ノックのあとすぐ開ける癖あって」

 ……そうじゃない。

 お父さんは申し訳なさそうに言ったけど、違う、そうじゃない。
 しかも、何を言いに来てくれたのかと思ったら

「あ、夕飯、お肉だから」

 ……それ、さっき聞いたって。


 このあと、ちゃんと楽しくお夕飯をいただいて帰りました。
 お父さんが目の前でお肉を焼いているときに「お友達」と小さくつぶやいているのを俺は聞きました。
 お肉は美味しかったです。
 気付いたら夏休みに突入していた。
 美香と日和はいつのまにか彼氏を作っており、夏休み中はデートをしまくるらしい。
 龍生なら少しは遊んでくれるだろうと思っていたが、「バイト」の一言で終わった。
 まあ、二人切りになっても気まずいんだが、藤白は塾だった。

 数日間、じいちゃんばあちゃんの家には行ったけど、そもそも近くに住んでるからそこまで特別感があるわけでもなく。
 夏休みじゃなくても、いつでも行けるわけで、「可愛い可愛い」言われて帰ってきた。

 家族で旅行とかは父親の仕事が休めないので数年前からほぼない。
 ただ、別に行けなくても「嫌だぁああ! どっか行くのぉぉ!」とか泣いてた幼少期とは違い、まあいいかと思うようになった。

 そして、夏休みの課題は先にやる派で、黙々、黙々やっていたら、夏休みももう半ばという状態になっていた。

 それで……、瑛二はといえば、夏休みの間、ずっとサッカーの練習でもしているのか連絡が来ない。
 瑛二自身が将来パラリンピックを目指しているのかは知らないが、邪魔するわけにもいかねぇし、俺からは連絡しないことにした。

 別に連絡しなくてもお友達の関係が切れたわけでもねぇし、龍生に言ったら「惚気か?」とか嫌な顔されたけど、最近、スキンシップが多くて困ってたし、まあ、この距離感がいいのかもな。

 ――やっぱ好きなやつには触りたくなるもんなのか……?

 課題のノートにシャーペンを走らせていた手を止めて、まじまじと見てみる。

「ちっさ……」

 無意識に死んだ目でぼやいた。
 瑛二の手とは第一関節以上、サイズが違う。

 ――俺、三年になっても、身長伸びねぇのかなぁ……。

 絶望しながら、机に突っ伏したときだった。

 スポンッとスマホにメッセージが届く音が聞こえた。

 突っ伏したまま手探りで机の上のスマホを探し、顔を横にして、画面を確認する。

『買い物行かない?』

 久しぶりの瑛二からのメッセージだった。
 つか、電話じゃねぇの珍しい。
 このままいったら、瑛二の声忘れちまったりしてー、なんて……。
 別に聞きたいとか思ってねぇけど。

『別にいいけど、いつ? どこ行くの?』

 机にぺたりとついたままで返信を返す。

『空いてたら明日午前十時、ファッションストリートに行ってみたい。人が多いところだから、一緒に行ってほしい』

 やっぱりメッセージでくるんだよな。

 たしかにあそこは人が多いし、周り見えてねぇ若いやつもたくさんいるし、店も種類があって、瑛二が一人で行くには面倒くさい場所かもしれない。

 あと、関係ないけど、いま思えばファッションストリートってダサい名前なのに、昔からずっと若いやつに人気なのすごいな。

『分かった。瑛二んとこの駅集合な』
『ありがとう』

 軽く返事を返して、瑛二からのメッセージを受信して、スマホはまた静かになった。
 
「ファッションストリートでなに買うんだろ……」

 伏せたままつぶやいて、回そうとして失敗したシャーペンがどこかに飛んでいった。
 ◆ ◆ ◆

 次の日の朝は色々とバタバタした。

「コタくん、外熱いから、この首冷えるシートのやつ。それとハンドクーラーね。瑛二くんと手繋ぐでしょ?」

「母さん、言い方。手じゃなくて、腕掴んでもらうだけだよ」

「はいはい、気を付けて行ってらっしゃい」

 まさか、そんな物まで用意してくれているとは思わなかったが、母親は俺よりも嬉しそうに準備して俺を送り出した。

 ――手繋ぐんじゃねぇし……。

 駅に向かって歩きながら、手首に着けられたハンドクーラーをサイズを変えて二の腕に着け直す。
 保冷剤をリストバンドにしたみたいなやつだ。

 ひんやりして気持ちよかった。

「……」

 瑛二のとこの最寄り駅に着いて、改札の中側で瑛二を発見して、俺は一瞬声を掛けるのを躊躇った。
 透明感があって凜としてる姿がとても絵になっていたからだ。

 そこに立った瑛二を通っていく人たちが二度見していくのは、瑛二が白杖を持っていることだけが理由ではないだろう。

 ――ほんと、かっこいいよな……。いやいや、早く声掛けねぇと。

 そう思った瞬間、不思議なことに瑛二がにこっと笑ったのが分かった。

「え? 気配、分かった?」

 思わず、近付いて尋ねてしまう。

「ううん、なんかそんな気がして」

 ふっと笑った瑛二が「こんにちは」と言う。
 なんだ、それ、と思いながら俺も「こんにちは」と返した。

 そして、ああ、そうだ、と思い出す。

「瑛二、ここ」

 隣に立って、瑛二の手をハンドクーラーの上に誘導する。

「ありがとう。これ、いいね。冷たい」
「まあ、たぶん、すぐぬるくなっちゃうと思うけど」
 
 瑛二が快適そうでよかった。
 帰ったら母さんにお礼しないとな、と思いながら俺たちは電車に乗って移動した。
 ◆ ◆ ◆

「やっぱり暑いね」

 電車を降りて、駅を出ると、じりじりとした陽射しが俺と瑛二に襲い掛かった。
 にも関わらず、ファッションストリートに入れば、暑いけどそんなことより買い物だろ、という俺らと同じ年くらいのやつらが溢れていた。

「瑛二、人多いから、白杖振れないかも」
「虎太郎がいれば大丈夫」

 そんな会話をして、瑛二は白杖を真っ直ぐに持ったまま、俺と一緒に歩いた。

「で、なに買いたいんだっけ?」

 そういえば聞いてなかったな、と思って聞いてみると瑛二は「んー」と言った。

「え? 決めてねぇの?」
「ううん、決まってるけど、決まってない」

 俺が驚いて聞き返すと瑛二は訳の分からないことを言って笑った。
 本当に分からない。子供のなぞなぞみたいだ。

「ん? それ、どういう意――」
「あ! お前! あんときのやつ!」

 もう一回ちゃんと聞こうとして、急に前方から大声で指を差された。

 ――まずい。

 そこに立っていたのは赤髪、金髪、黒髪の藤白を襲おうとしたヤンキーたちだった。

 瞬時にキリキリと思考が回転する。

 やばいと思って、急いで瑛二の手を自分の腕から離して、俺は一歩前に出た。

「あ? なんだ?」

 三人だけかと思ったら、隣の怪しい店からさらに銀髪やら金髪が三人出てきて、赤髪のやつに問う。

「こいつ、この前俺たちのことボコったやつ」

 怒りを纏った赤髪の視線が俺を見下ろした。

 瑛二だけは傷付けたくない。
 だが、一緒に走って逃げるのも難しいだろう。

「虎太郎、どうしたの?」
「そこにいろ」

 焦ったように動こうとする瑛二を言葉で制止して、俺はヤンキーたちに向き合った。
 ケンカがはじまりそうだ、と誰かが警察に通報してくれたらどうにかなるかもだけど……

「この前はよくもやってくれたな!」
「……っ」

 赤髪からの拳をギリギリのところで避ける。
 少し遅れていたら鼻に入っていた。
 にしても、ここは路地じゃなくて表通りで周りに人が多いってのに、容赦がない。
 周りの人間たちは興味津々で見てるか、嫌そうな顔で見てくるか、スルーするか、のどれかだ。
 誰も止めようとは思わない。

「ちょっとお前ら手貸せ」

 空打った赤髪が他の五人に声を掛ける。
 嫌な汗が出て、心臓がバクバクと暴れ出す。

 いや、一人で六人は無理だろ!?
 瑛二だって、後ろにいるし、どうする……!?

「ほんと、しゃしゃってんじゃねぇぞ! このチビ!」

 考えている間に金髪の足が俺の身体目掛けて蹴り出される。

「いっ」

 手の平に当てて滑らせるようになんとかいなすが、次は上手くいくとは限らない。

「虎太郎、どうしたの!? 大丈夫!?」
「そっから動くな!」

 後ろから瑛二の声が聞こえた。
 すごく心配しているのが分かる。
 だが、いまは丁寧に返事をしている余裕がなかった。

「二人で行け!」

 赤髪の掛け声で銀髪と黒髪が卑怯な手に出始めた。
 左右から殴り掛かってきたのだ。

 ――まずい……! 殴られる……!

 さすがに無理だ、と諦めたときだった。

 急にスパンという音がした。

「お前ら、一人相手になにしてんだ?」

 それは俺の目の前に出てきた背の高い人物が大きな手の平で二つの拳を止めた音だった。
「なに一人でやられそうになってんだ? 虎太郎」
「龍生?」

 それは紛れもなく龍生で、黒いズボンに白いシャツ、それと黒いエプロンという格好をしていた。

「うわっ、こいつ仁坂高のやばいやつだ!」
「逃げろ! 骨粉砕されっぞ!」

 ヤンキーたちはすぐに龍生の正体に気付いて、負け犬みたいに走って逃げていった。

「骨粉砕なんかしたことねぇっての」

 逃げていくやつらの背中を見ながら龍生が不機嫌そうにぼやく。
 俺はそんな龍生の背中を見てショックを受けていた。

 龍生は戦ってすらいなかった。
 その体格と威圧感、それと勝手に生み出された噂でヤンキーたちを蹴散らした。

「はっ、かっこわる……」

 思わず、誰にも聞こえないくらい力無くこぼす。

 不良になったら、ケンカしたら、周囲からかっこいいって言われるかなとか思ってて、助けられる必要ないとか言って、結局、龍生に助けられて、救いようがないほどダメじゃん俺。
 やっぱ、俺みたいなやつはかっこよくなれねぇんだ……。
 調子乗ってた……。

「龍生、さんきゅー」

 出来るだけ明るい雰囲気を纏って、龍生に礼を言う。

「ちょうど、そこのカフェでバイトしてて、お前が見えたから」

 自慢するでもなく、驕るわけでもなく、龍生は普通にそう言った。
悔しいけど、俺はいい友達を持ったな、と思う。
 すぐそこに洒落たカフェが見えた。

「そこだったのか、助かったよ」

 ほっと息を吐きながら言うと、後ろから「虎太郎?」と瑛二が俺を呼ぶ声がした。
 龍生に先に礼を言わないとと思って、まだ声を掛けられていなかったのが申し訳ない。

「瑛二、ごめん、絡まれてないか?」

 ゆっくり近付いて、声を掛けると

「うん……」

 という小さな返事が返ってきた。
 気になったのか、龍生がこちらに来て、俺の横に立つ。

「瑛二、俺の高校の友達、龍生だ」

 とりあえず、龍生を瑛二に紹介する。

「どうも……」

 瑛二は小さくぺこっと頭を下げた。

「で、こっちがお友達の瑛二」

 今度は龍生に瑛二を紹介すると龍生はあろうことか

「ああ、例の虎太郎が困ってる人」

 と言った。
 たぶん悪気なくノリで言ったんだろうが、いまはよくない。
「おい、やめろよ、それ言うの」
「なんだよ?」

 俺が止めると龍生は「だって言ってたじゃんか」という顔をした。
 たしかに言ったが、タイミングがよくない。
 何も言えなくなって変な間が空くと「とりあえず、俺、バイト戻っから」と龍生はカフェに戻っていった。

「瑛二、ほんとごめんな、行こう」

 顔を覗き込みながら、尋ねてみるが、瑛二からの返事はない。

「瑛二?」

 俺は戸惑いながら、なにかを考え込んでいるような瑛二に再度声を掛けた。
 そんな俺に

「虎太郎、今日はもう帰ろう」

 瑛二は俯きながら小さな声で言った。

 聞いた途端、罪悪感のもやが心に広がる。

「そう、だな」

 ケンカに巻き込まれて、もう買い物なんて気分ではなくなってしまったのかもしれない。
 今日は帰って、切り替えて、別の日に来たほうがいい。

 そう思って、俺は素直に言うことをきいた。
 俺のせいだ。

 ハンドクーラーを手のほうにおろして、俺は瑛二の手を取った。
 駅までの道も、電車に乗っても瑛二は静かだった。

「こわかったよな、本当にごめん」

 ケンカしたことをこわがってるのかと思って、そう謝ったんだがずっと黙ったままで、どうしたらいいのか分からなくなる。
 結局、瑛二の最寄り駅の改札までなんの会話もないまま来てしまった。

 俺から、また別の日に行こう、と言えばいいのか?
 どうしたらいい?

 頭の中で考えていたのに、結果的に出てきたのは

「瑛二、またな」

 で、出来るだけ優しい口調で言ったはずなのに、瑛二は暗い顔をしたままだった。
 それに離れていくと思った瑛二の手は全然離れていかなくて、「どした?」と聞くしかなかった。

「虎太郎、もう……」
「え?」

 駅前のざわざわとした音にかき消されて、瑛二の小さな声が上手く聞こえなくて、思わず、聞き返す。
 すると、今度はとても大きな声が聞こえた。

「もうケンカしないで……!」

 それは少し怒ったような口調だった。

「いや、俺も別に好きでしたわけじゃなくてさ」

 場を少しでも和ませたくて、苦笑いを浮かべながら答える。

「俺には見えなかったけど、怪我するようなケンカだったよね?」
「いや、聞けよ」

「俺は、この先も虎太郎になにかあってもなにもしてあげられないし、気付いてあげられない。それが悔しい。俺は虎太郎を困らせる」
「それは、違ぇって」

 まるで俺の言葉がなにも聞こえてないみたいに瑛二は怒りと悲しみを含んだ声で話し続けた。

「俺はまた自分の出来ないことを見つけてしまった。虎太郎を困らせて、最低で、かっこわるいよ」
「――悔しいのは俺だよ……!」

 かっこいい瑛二の口から出た『かっこわるい』という言葉にカチンときてしまった。

「かっこよくなれなくて苦しんでる俺の気持ち、立ってるだけでかっこいいお前には分かんねぇよ!」

 言うなってどこかで警告音が鳴っていたのに自分の中でプツリとなにかが切れて、止まらない。

「お前とは絶交だ!」

 握っていた手を勢い良く振りほどいて、俺は走り出した。

「虎太郎!」

 俺のことを呼ぶ、瑛二の声を無視して。
 なんで、あんなこと言ってしまったんだろう……。
 完全なる八つ当たりだ。
 瑛二はなにも悪いことしてないのに、ほんと最低だ、俺……。
 最低以外のなんでもない。

 あんなこと言う必要も、言うつもりもなかったのに、なにしてんだ。

 どうやって謝ろう……、でも、俺の声はもう聞きたくないだろうし、メッセージも見たくないだろうな。
 お友達、解消か……。

 どうすべきか、と考えてはいたが、お互いになんの連絡も取り合わないまま、気付けば、夏休みが終わりかけていた。

「コタくん、ずっと元気ないね。瑛二くんとケンカでもしちゃった?」

 リビングのソファで白猫の空に顔を埋めて倒れていると、ソファの横に立って母さんが声を掛けてきた。

 きっと、もう何日も前から気付いていたと思うが、そろそろ話を聞いてみましょうかね、という感じに涙が出そうになる。

 こんなとき、頼りになるのは母親という存在だ。

「母さん、僕……」

 空から顔を離して、母親を見上げる。
 そして、空を膝に乗せてソファに座り直した。

「うん、どうしたの?」

 横に母親が座り、話しを聞く姿勢になってくれる。

「可愛いって言われたくなくて、こんな格好してかっこつけてるのに、ぜんぜんかっこいいやつになれなくて、ケンカにも勝てなくて、落ち込んでるところに瑛二が自分はなんもできなくてかっこわるくて悔しいって言うから、悔しいのはこっちだ、って怒っちゃったんだ」

 早口で息つく場所もぐちゃぐちゃで、ぜんぜんまとまってないままに話した。
 そして、苦しくなって「ほんと、さいてい……」とまた空に顔を埋める。

「あら、しおしおのお野菜みたい」

 ふっと母さんが笑ったのが聞こえた。
 それから母さんは微かに笑ったまま続ける。

「コタくん、可愛いなんて言われるのはね、若いときだけなのよ? ママなんか、もうパパにさえ可愛いって言ってもらえないんだから」

 大人の余裕なのか、文句を言いながらも母さんは楽しそうだ。

「母さんは女の人じゃないか」

 空から目だけを覗かせて、俺は母さんを見た。

「あらぁ、それは偏見ってやつじゃない? 人は猫の男の子にだって可愛いって言うじゃない。ねぇ、陸くん?」

 そう言いながら、母さんはちょうど足下にきた黒猫の陸を抱っこした。
 母さんの膝の上でみょーんっと伸びた陸は「うん」と鳴いた。
 陸は本当にこの鳴き方をする。

「猫と人は違う……」

 俺はしょぼくれた眼差しを陸に向けた。

「ねえ、コタくんは猫を猫だと認識してから可愛いって言うの? 見た瞬間にただ可愛いって思わない?」

 こちらを覗き込みながら、母さんがなんか博識なことを言っている。
 そうだ、母さんは頭のいい学校を出ているんだった。

「たしかに……」

 へんに納得してしまった。
 俺だって、猫はパッと見で可愛いと思う。

「見た瞬間にこうビビッときて、どうしても人に可愛いって言いたくなっちゃう気持ち、コタくんにもいつか分かるときがくるよ」

 そう言って、いつまでも小さい子扱いをするように、母さんは俺の頭を優しく撫でた。

 それから思い出したかのように

「あら、忘れてたけど、三日後に近くの大きな公園で夏祭りがあるのよね。瑛二くん呼んでみたら?」

 と言う。

 夏祭り、それは知らなかった。しかし

「瑛二、夜は帰るの危ねぇし……」

 来るときは明るいからいいんだが、帰るときは心配になる。
 向こうも不安だろう。

「お泊まり会すればいいのよ。お布団干さなきゃ」

 いいこと思い付いちゃった! みたいな雰囲気で突然陸を抱えて立ち上がった母親は俺の返事を聞く前にルンルンで二階に消えていった。
 勝手に呼ぶことが決まってしまった、というか、呼ぶしかない空気作るの上手すぎる。

「はぁ……」

 俺は溜息を吐きながら重たい腰を持ち上げた。