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「え? もう按摩実習の練習台にはなれない? って、どうして?」

 トイレから戻って、俺が言うと、瑛二はベッドの縁に座ったまま残念そうな顔をした。
 犬耳がしゅん、と下がってるように見える。

「け、血行よくなりすぎて、なんか体調悪くなったから……!」

 前になんか、血行よくなって体調崩す人もいるっていうのをどっかで見たことがあって、適当にそれを言い訳に使わせてもらった。

 いや、正直に言ったら、へたすると、瑛二に引かれる可能性がある。

 だって、あの感じだと、お父さんも千早も事件は起こってないみたいじゃんか。
 なんで俺だけ……。

「んー、そっか、ごめん、それなら仕方ないね。体調はもう大丈夫?」

 気配を探って、瑛二が俺を探しているのが分かる。

「大丈夫大丈夫」

 申し訳ないから、さっきみたいに瑛二の隣に腰を下ろした。
 それでも瑛二のしゅん、は直らない。

「俺、ダメなのかな、将来、按摩も進路に入れられると思ったんだけど……」

 落ち込んでる理由はこれだ。

 これはまずい。
 このままだと瑛二の大事な進路を潰すことになりかねない。

「いまの嘘……」

 自分の中の全部を捨てて、俺はぼそりとこぼした。

「え?」

 あまり聞こえなかったのか、聞き返される。

「いまのぜんぶ嘘」

 ちょっと大きくした声はさすがに聞こえただろ?

「虎太郎?」

 首を傾げるように手で探って瑛二が俺の両手を取る。

「体調悪くなってない。気持ちよすぎて恥ずかしくてほんとのこと言えなかっただけ……」

 俺は照れくさくて目を伏せた。
 それなのに、両手から腕を沿って、顔に辿り着いた瑛二の手に正面を向くように持ち上げられる。

「虎太郎、それ、どんな顔で言ってるの?」
「……」

 触れたところが熱い。

「君の顔、見たいな」
「見なくていいからっ」

 絶対に見ることは叶わないのに、瑛二の綺麗な顔が近付いてどきりとする。
 ぶつかりそうになって、それでも、不思議と止まって

「ちゃんと正直に言ってくれて、優しいね、虎太郎」

 優しく微笑む顔が整いすぎて、ずっと見てられる芸術品みたいで

「虎太郎」

 何度も

「ねえ、虎太郎」

 何度も俺の名前を呼んで

「瑛二、なんで、そんな名前呼んで……」

 好きって言われそうだなと思った。

 そして、瑛二が一呼吸置いて口を開く。

「……今日の夕飯はお肉だって」

 ――いや、言わねぇのかよ! 俺もなに考えてんだ! バカ!

 ポカンとしたあとに、ムッとした顔をしてしまった。
 これを悟られないために、無言でいたのだが瑛二にはバレた。

「好きって言われると思った? 残念、言わないよ」
「言わなくていいっつの」

 間近でふっと笑われて、離れるよりも先に頭突きでも喰らわしてやろうかと思った。
 そんなときだ。

 コンコンッ、ガチャッ

 ――え?

 ノックから間もなく、お父さんが部屋に入ってきた。
 本日二回目、すぐに俺と目が合う。

 それから、きゅるきゅると思考が働く。

 俺の顔に添えられる瑛二の両手、この状況、まるでキスしようとしてたみたいじゃね? と気付いた。

「お父さん、違うんです! これは、違うんです!」

 ここは必死に否定する俺だ。
 ほんとに、いや、ほんとに、ただ優しさ振りまいてたら距離感を事故ったというか、瑛二の顔に芸術的に見とれていたというか、ああ、ダメだ、これ、どんどん悪いほうにいく。

「ごめん、ノックのあとすぐ開ける癖あって」

 ……そうじゃない。

 お父さんは申し訳なさそうに言ったけど、違う、そうじゃない。
 しかも、何を言いに来てくれたのかと思ったら

「あ、夕飯、お肉だから」

 ……それ、さっき聞いたって。


 このあと、ちゃんと楽しくお夕飯をいただいて帰りました。
 お父さんが目の前でお肉を焼いているときに「お友達」と小さくつぶやいているのを俺は聞きました。
 お肉は美味しかったです。