「いるよ!」

 案外近くから声がした。
 ピッチ横のベンチのところに立った監督っぽい男の人だった。
 いや、たぶんっぽいじゃなくて、監督。

「貸し出し用のアイマスクとヘッドギア借りていいですか?」

 俺を連れたまま、そっちのほうに方向転換した瑛二が監督に声を掛ける。

「ああ、言ってた体験の? ほらよ」

 監督はあっさりという感じで瑛二にアイマスクと額につけるサポーターを手渡した。

 ――たい、けん?

 疑問は浮かんだが、監督が移動していくので俺はそれを目で追った。

「ここの端のほう使えよ? ボールはこれだ」

 位置を教えるように監督がピッチのサイドフェンスの一カ所を棒みたいなもので叩く。

「ありがとうございます。――はい、虎太郎、これつけて」

 監督に礼を言って、瑛二が俺にアイマスクとヘッドギアと呼ばれたサポーターを手渡した。

「ほんとはアイマスクの下にこうやってアイパッチもするんだけど、試しだから虎太郎はいいよ」

 そう言いながら瑛二がめくったアイマスクの下には白いシートみたいなアイパッチが貼られていた。

 どうやら、俺はこれからブラインドサッカーの体験をするらしい。
 まあ、さっきの瑛二の動きを思い出すとちょっと興味が沸く。
 それに俺は小学校の頃はサッカーをやっていたし、久しぶりに暴れてみるのもいいと思った。

「虎太郎、大丈夫?」
「嘘、だろ? こんな状態でボール持って走ってんのかよ?」

 準備が完了して瑛二の前に立っているはずなのに、右も左も前も後ろも分からなくなる。
 アイマスクの隙間から光が少し入ってくるが、形としてはなにも見えなかった。

「お前、すごすぎ」

 この状態でボールの位置や人の位置を把握してるなんて、すごいの一言だけじゃ足りない気がする。
 つーか、怖い、この状態。

「そう言ってもらえて嬉しいな。頑張ってるね、とはよく言われるんだけど、あんまり、いいな、とか、すごい、とかは言われないから」

 少し離れたところから瑛二の声が聞こえる。
 あれ? さっきまで目の前に居たのに。

「虎太郎、この音分かる?」

 そう言われて、耳を澄ますと、ボールの中になにか入っているようでシャカシャカと音がしているのが聞こえた。
 下のほうで左右に足で転がしてる?
 聞こえてはいるが、そっちに集中し過ぎて俺は無言になっていた。

「ボール取りに来て、大丈夫だから」

 そう言われて、恐る恐る足を前に運ぶ。
 瑛二が足下で転がしているであろうボールの音はこっちだ。

 ――あ……。

 手が届く距離まで近付いたのか、微かに瑛二の香水の甘い香りがした。
 試合中も香水つけてんのか? と思ったが、同時に、ここだ! とも思った。

「わっ」

 思い切って足を踏み出すと、そこにボールはなかった。
 階段にもう一段あるだろうと思っていたらなかった、みたいな状態になり、俺は前に向かってバランスを崩した。

 しかも、一人だけで芝生に倒れると思ったら、前に立っていた瑛二を押し倒す形で倒れてしまった。

「ご、ごめん、瑛二! 大丈夫か?」

 慌ててアイマスクを外して、瑛二を見る。
 しかし、俺の身体に両腕を回すようにして倒れて、どこか打ったのか、瑛二はピクリとも動かなかった。

「は? どっか怪我した?」

 驚いて、身体を離そうとすると

「肋骨折れたかも」

 ぼそりと聞こえる瑛二の声。

「嘘!?」
「嘘」
「おい!」

 ビビったのに冗談だとすぐバラされた。
 俺のひやっとを返せ。
 バッと起き上がりたいのに腕の力を弱めないから変だと思ったんだ。

「ふふっ、もう少しこうしてたい」

 瑛二は俺のことをぜんぜん離してくれなくて、ピッチの端でなにしてんだと思う。
 ほら、なんか、見えてる人にはニマニマ・ニヨニヨされてるって。

「瑛二、離――」
「ね? お互い、守られる必要なんてない」

 俺の言葉を遮って、瑛二が柔らかい声で言った。
 たしかに、今日、瑛二の凄さは証明された。
 視覚がなしであれだけ動ければ、人に助けられてばかりではないだろう。

「そうだな」

 慰めだったのか、単にどんなハンデがあったとしても一緒だと言いたかっただけなのか。
 同じ状態でなにも出来なかった自分がちょっと悔しい。

「ただ……」

 そう呟いたのは瑛二だ。
 俺を支えながら、ゆっくり身体を起こす。