眠そうな瞳で、冬馬は翔を見返した。
「その……お父さんとお母さんの……子供じゃないって……」
 言いにくかったが、言ってしまった。生まれた直後の記憶など、覚えているはずがない。冬馬は誰かから、出自を知らされたはずだ。そのことが、ずっと気になっていた。
 冬馬は「ああ」と呟き、姿勢を整えた。
「五歳の頃かな。お母さんに、ぶちまけられた」
「……え……?」
 淡々とした物言いに、翔の方が言葉を失う。
「お母さんもさ、育児ノイローゼ気味だったんだよ。今思えばだけど。妹も弟も、まだ小さかったし。子守り手伝おうと思ったら、怒鳴られた。『私の子に触らないで』って」
「……それは……」
 何も言うことができず、冬馬の体を抱き寄せる。冬馬も無言で、されるがままにしていた。
「……でもね、ポテトサラダ作ってくれたんだ」
 翔の胸に頬をくっ付けたまま、冬馬がぽつりと言う。
「ポテトサラダ?」
 聞き返すと、冬馬は顔を上げて翔を仰ぎ見る。口元が少し、綻んでいた。
「うん。帝仁に受かったって言った時、お母さんは、大して反応しなかったけど、その日の晩御飯に、ポテトサラダが出て……。嬉しかったなー。お母さん、僕の好物、覚えててくれたんだって」
「へえー。良かったなあ」
「うん」
 微笑みを浮かべる冬馬の顔を見ながら、脳内にインプットする。冬馬の好物はポテトサラダ――。
 翔は表情を曇らせて、冬馬の貼り付いた前髪を指で横に流す。
「でも、五歳の時、その後、どうしたの?言われた後……」
「……ああ」
 冬馬は視線を逸らし、遠い目をした。
「……あの時は、団地に住んでて、橋からは遠かったんだけど、五歳児の足で、なんでか、橋まで辿り着いちゃってね」
「まさか……飛び降りちゃったりなんか……してないよな?」
 翔が慌てて尋ねると、冬馬は一笑した。
「まさか。飛び降りてたら、今、ここにいないって」
「……だよな」
 そう言いながら、翔は冬馬を抱きすくめた。冬馬も腕を回して、抱擁に応える。
「お兄ちゃんがね、迎えに来てくれたんだよ」
 冬馬は顔を上げて、微笑した。
「その時の、お兄ちゃんの言葉が、今でも、僕を支えてくれてる」
 冬馬は腕をほどき、翔の両の頬を掌で包みこんだ。
「生きててくれて、ありがとうって」
 冬馬のまなじりが、涙で濡れている。
「僕からも、翔に、同じ言葉を贈るよ。生きててくれて、ありがとう」
 不意に、涙が溢れてきた。冬馬は慈しむように、翔の涙を唇で掬い取った。
「……ありがとう……」
 嗚咽混じりに言う。
 ――俺は、あの時……あの家から逃げ出した時に、兄の口からその言葉を聞きたかったんだ……。
 翔はひとしきり涙を流し続けた。その間、冬馬はずっと抱き締めてくれていた。