ドア横のプレートには、『北見沢珠代』の名があった。無意識にすくむ足を、心の中で叱咤する。病室に足を踏み入れると、左右に分れて、三床ずつベッドが並んでいるのがわかった。右奥にあるベッドの白いカーテンの隙間から、上半身を起こして、本を読んでいる女性の姿が目に飛び込んできた。女性もこちらに気付き、目を見張った。本を閉じて、軽く微笑む。
 珠代はまだ、三十代前半のはずだ。けれども、やつれて目が窪んでいる。昔から細身ではあったが、これ程痩せてはいなかった。病魔は確実に、珠代の体を蝕んでいる。
「ほら」
 冬馬に背中を押された。翔は珠代の方へ向かって一歩ずつ、踏み締めるように進んだ。
「……叔母さん……」
 いざ叔母を前にすると、胸がつかえて言葉が出て来ない。
「翔くん……。よく来てくれたわね」
 叔母が、笑みを浮かべたまま涙ぐんで言った。笑顔を見ていると、昔の面影があった。儚げで、それでいて気丈な、少女のようだった叔母――。
「……大きくなったわねえ」
 叔母がやせ細った右手を上げた。翔はすぐにベッドのすぐそばでしゃがみ込んだ。叔母の指が、翔の頭に触れる。
「本当に、大きくなった……」
「……それ、寮の先生にも、言われた」
 翔が口元を少しだけ綻ばせた。
「……そう……」
 叔母の右手が、翔の頭を撫でる。その優しい感触には、覚えがあった。焼け付くような痛みを癒す、魔法の手――。
 痛みでくずおれた翔のそばで、翔の頭を慈しむように撫でてくれていた――。
 涙が込み上げてきた。
「ごめんなさいね。私、何もできなくて」
 叔母の謝罪の言葉に、翔は激しくかぶりを振る。
「ずっと、謝りたかったの……。でも、翔くんは私になんか、会いたくないだろうかと思って……。でもね、お父さんに無理を言って、翼くんと連絡を取ってもらったの。もしかしたら……これが、最後かもしれないから」
 翔は叔母の言葉から諦めのようなものを感じ取り、叫ぶように言う。
「手術受けてよ! 叔母さん!」
 涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、必死に叫ぶ。
「俺、また、会いに来るから……! だから、元気になってよ……」
 翔は昔のように、叔母の両手に頭を抱かれる。
「……ええ……。ありがとう……」
 叔母の涙が、翔の頬に落ちた。
「……ありがとう……」
 翔と叔母の声が、重なった。


 電車から降りた頃には、もう門限の時間を過ぎていた。外出届を提出していて正解だったと、改めて思う。隣を歩く冬馬が、黙り込んでいることが気がかりだった。
「――何むくれてんの?」