病院から戻ってすぐ、翔は倉庫に閉じ込められた。夏だった。最低限の水と食料しか与えられず、翔はもはや限界だった。天窓から見える夏の大三角を、見るともなしに見ていた。あの夜も、月がなかった。その時、物音がした。緩慢に首だけを動かすと、引き戸に隙間が見えた。開いていたのだ。倉庫を出ると、水と食べ物が置いてあった。
 とりあえず腹を満たした後、翔はあの家から逃げ出した。今、冬馬と共にいるこの場所に向かって――。
 今思い返してみると、あの時、倉庫の鍵を開け、水と食べ物を置いてくれたのは、珠代以外に考えられない。六歳の翔の命を救ってくれたのは、他の誰でもない珠代なのだ。その珠代が、今、病床にある。
 翔の頬に、冬馬の唇が押し当てられた。流れる涙を、唇で掬われる。
「会いたいんでしょ?」
 翔の気持ちを汲むように、冬馬が言った。翔は苦悶の表情を浮かべながら、頷いた。
 ――会いたい。会って、お礼を言いたいと思う。
 それでも、体に奥深く染み付いてしまった痛みが、翔の足をすくませる。自分があの場所に逆戻りして、再び苦痛が襲ってくるような、そんな気がしてならなかった。
「俺も、一緒に行くから」
 翔を抱き締め、寄り添うように、冬馬が言った。
「……ホントに? 一緒に来てくれる?」
 翔の問いに、冬馬は頷いた。
 珠代に会いたいと思う。会って、二倍程の背丈に成長した姿を見てもらいたい。病気なんかふっ飛ばして、元気になってほしい。
「……ありがとう……」
 冬馬に縋りついて、泣きながら礼を言った。
「どういたしまして」
 冬馬は翔の背をさすりながら、優しく言った。
 冬馬の濡れた双眸が、目の前にあった。
「他に、俺に何か、できることない?」
 冬馬の腕に抱かれながら、少しの間の後、翔は言う。
「テニス部に入ってくれ」
「……え?」
 冬馬には意外だったらしく、首を傾げられた。
「本当は……好きなんだろ? テニス……」
 ドクターストップのかかっている翔は、テニスの授業中は教師の助手のようなことをしている。だが教師の目を盗んでは、冬馬のことばかり見ていた。彼が瞳を輝かせて、ボールを追う姿を――。
「俺のことなんか、気にしなくていいから、テニス部に入ってくれよ」
 城崎や寺坂とも気が合うようだから、きっと冬馬はテニス部で上手くやっていけるだろう。