翔は俯いたまま機械的な返事をした。
「……翔くんも、今夜はじっくり休んでください」
 なおも高峰の優しげな声が続く。
「翔くんも、眠れていないのでしょう」
 言い当てられ、翔は視線を上げる。高峰の慈しむような眼差しに、全身を包まれる。
「これから言うことは、決して、意地悪で言うのではないということだけ、理解してください。翔くんと、木下くんのためなんです」
 そう前置きして、高峰は続ける。
「このままこういう状態が続くようなら、私は真剣に、部屋替えを検討します」
 自ら冬馬から離れるなど、翔の選択肢としては有り得なかった。
「それが嫌なら、明日以降、ちゃんと話し合ってください。お互いの気持ちをしっかりと!」
「……はい……」
 翔は弱々しく頷いた。
 席を立とうとした時、高峰が思い出したように言った。
「そうだ。翔くん。『バーチャルウォーター』って知ってますか?」
 脈絡のない話題を切り出されたため、翔は度肝を抜かれてしまった。
「……おばあちゃんの水……?」
 高峰は笑顔で説明を始めた。
「違いますよ。バーチャルな水のことです。輸入食料と水の関係を表す概念なんですけどね――」
 高峰は翔に、食料自給率と水問題について話して聞かせた。

 一人では何もする気にならなかった。高峰の助言に従い、翔は早めにベッドに入った。視界の片隅に、冬馬のベッドが見えていた。
 月明かりに照らされた空のベッドを見ているだけで、涙が込み上げてきた。途方もない、喪失感に苛まれる。
 ――俺が好きになった人はいつも、俺を置いていなくなってしまう……!
 翔の脳裏に、次々と居なくなってしまった愛しい人たちの姿が、浮かんでは消えていった。
 ――父さん……! 母さん……! お父さん……! お兄ちゃん……! おじいちゃん……! おばあちゃん……!
 最後に浮かんだのは、見惚れるような微笑みをたたえた冬馬の顔だった。
 ――冬馬……!
 涙が堰を切ったように溢れ出した。大好きな冬馬のそばに、ずっといたいと思っている。今でも――。
 翔にとって冬馬の態度の変化は、かつての兄の変貌を彷彿とさせた。血のつながらない兄――翼は、一度離れた後、再び一緒に暮らすようになる前後では、接し方に違いがあった。
 兄はまるで腫れ物に触るように、感情の一線を越えなくなった。それは自分にも当てはまるであろうことは、薄々感じてはいる。自分たち兄弟は、剥き出しの感情を出さなくなった。表面上は仲の良い兄弟を装っても、心の中はいつも空虚だった。そのことが翔は、とても寂しい。だからこそ素直で真っ直ぐな冬馬に、強く惹かれているのかもしれない。