「あ」
 乱れてしまった髪を手櫛で整えていると、冬馬が西の空を見上げて歓声を上げた。いつのまにか、寮の前まで来ていた。
「見て!」
 冬馬が右手の人差し指を伸ばし、朱色の空を指し示す。
「一番星!」
 一号館のはるか向こう、紅く染まった空に宵の明星が輝いていた。何等星なのだろうか。その明るさはマイナス一等星を優に超えている。金星は時折、全天第一の恒星といわれるシリウスをもしのぐ、輝きを放つ。
「綺麗だねー」
「……ああ」
 素直な感想を述べている冬馬の隣で、翔は硬い声で頷いた。
 背後の東の空からは夜が始まっている。来月になれば、夏の大三角が東の空に昇って来るだろう。琴座が南中する頃には、夏の盛りは終わっている。はるか遠い記憶であるはずの、天窓から見える夏の大三角が脳裏をよぎる。
 翔は唇を噛み締め、拳を握り締めた。夏の星座は嫌いだ。過ぎ去ったはずの痛みに、体中が疼くから――。
「……大丈夫?」
 翔の変化に気付き、冬馬が眉宇に皺を刻む。
「……なんでもないよ」
 無理やり笑顔を浮かべながら、翔は応える。
「入ろうぜ」
 頼りない足取りで門まで行き、扉を開いた。冬馬はそれ以上聞いてこなかった。