「北見沢!」
 バレー部員の後藤(ごとう)慶助(けいすけ)だった。六組の教室から全力疾走して来たのであろう。息が上がっていた。
「今日こそバレー部に入ってもらうぞ!」
 肩で息をしながら、声を荒らげる。翔は内心で舌打ちをした。迷惑なことには変わりはないが、城崎の方が感情的にならないだけ、いくらかマシに思える。
「入らねえって、何度も言ってんだろうが!」
 どすのきいた声になった。隣にいる冬馬が、不安そうに翔を見上げる。
「そんなんで、納得できるか!」
 ほとんど裏返った声で、後藤が応戦してきた。これでは切りがない。冬馬の前で、バレー部の話題には触れたくなかった。
「……さっさと部活行けよ。やる気のない奴はほっといてさ」
 翔は後藤に背を向けて歩き出した。
「クソ食らえ!」
 後藤が今時珍しい捨て台詞を残し、翔を追い越して階段を駆け下りて行った。
「……大丈夫?」
 眉宇に深い皺を刻んだままの翔に、冬馬が心配そうに顔を寄せてきた。
「ああ。大丈夫」
 翔は慌てて、顔に笑みを貼り付ける。それでも、冬馬は不安げに眉根を寄せていた。
「行こうぜ」
 翔はゆっくりと歩き出した。
「……うん」
 冬馬も隣に並ぶ。左手に、冬馬の指が触れた。慌てて引っ込めようとしたが、間に合わなかった。冬馬が細く長い指を絡めてきた。全身が粟立っていく。呼吸を落ち着かせるために、ゆっくりと息を吐いた。元テニス部のエースだっただけあって、冬馬は瞬発力がある。もっとも翔は、冬馬がテニスをしている姿をまだ見たことがないのだが――。
 首を少しだけ動かし、繋げられた指と冬馬の顔を交互に見る。冬馬は俯き加減で、顔を強張らせていた。冬馬も緊張しているのだ。されるがままだった指に力を込める。冬馬の手の甲を握り返す。冬馬の体温を感じているだけで、自然に心が浄化されていくようだった。先程まで感情を支配していた鬱憤が、霧が晴れるようになくなっていく。繋げた手が心地良い。
 階段を下りきり、一階に着く。ロータリーに出た。外靴に履き替えるために、どちらからともなく手をほどいた。冬馬の掌の感触が、まだ左手に残っている。
 正門をくぐり、坂道を下っていく。冬馬は歩きながら首を横に向け、フェンス越しに運動部のグラウンドを見ていた。
 冬馬の足が止まる。野球部のグラウンドの隣は、テニスコートだ。翔も立ち止まって、冬馬の隣に並ぶ。上級生らしい数人が、試合形式で練習していた。目を凝らしても、城崎と寺坂の姿は見えなかった。一年生は別メニューのようだ。